塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

米国製という言葉の響き

2022-07-30 22:05:26 | 日記
 ミスター・トランプが米国大統領に当選すると、メイド・イン、USAを打ち出します・

 自動車製造大手のフォードは、メキシコに新工場を建設予定でいたのですが、大統領が名指しで批判したため計画自体がとん挫してしまうという形になりました。

 この米国生産、アメリカ主義と言ってもよいと感じますが、現在のジョー・バイデン政権でも受け継がれています。

 リーバイスは現在、日本の「カイバラ」からデニムの供給を受け、一部の商品を米国生産で輸出しているように、服飾の世界、車の世界では2020年の現在も米国製は大きな価値を持ちます。

 それはヴィンテージのジーパンや、コストの都合上中米に拠点を移す以前のチャンピオン、ヴァンズなど「かつての」米国生産品にも同じことがいえる一方、米国生産に固執しつづけると、むしろコストの上昇を抑えきれない、という面があるんですね。

 例えばナイキは、バッシュもサッカースパイクも、米国生産を行ってはいません。

 仮にナイキが〇〇パックと呼ばれるサッカースパイクを米国生産で発売すれば、燃料費を軸に高騰し続ける物価高の中で、置いてけぼりにされてしまうように思います。

 それはナイキが地元「米国」で製造した、という良い意味合いではなく

 「価格が高すぎるよ」
 「別に手にできなくてもよい」

 という、ファンの反感を招いてしまうように感じます。

 よく考えますと、ファストファッションの多くはアジア生産が基本ですし、今は(僕は利用経験がないのですが)3Ðプリンターからスパイクが作れるといいますしね。

 今日本は高品質商品を低価格で供給できるということで、ある種の下請けのようになりつつありますが、その形で雇用と手仕事が維持できるならば、相当な矛盾さと言えそうですよ。
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