塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

指揮官に柔軟性はどれだけ必要だろうか

2019-01-05 02:07:50 | 日記
 自身の哲学を貫くことと、状況に応じて柔軟な対応を取る事。

 果たしてどちらが指揮官に求められる要素として強いのでしょうか。

 トルシエがフラット3を導入した1998年から2002年にかけて、日本代表がバック4を採用したことは一度もありませんでした。

 基本布陣は3-4-1-2であり、せいぜい前線の形を変化させた3-3-2-2、3-5-1-1という塩梅でしたよね。

 岡田さんやオシムはそれぞれ状況に応じて布陣をかえましたが、それの背景には

 「試合前の戦い方はあくまで机上の理論」
 「試合が始まれば選手の考えで布陣や戦い方は変化する」

 というとらえ方があったと思います。

 森保さんが十八番の3-4-2-1ではなく4-2-3-1を重用するのも、解決策をひとつに絞ることは無いよ、という考えによってと想像できます。

 ドイツ代表監督のヨヒハム・レーブ

 選手の入れ替えをしながらも、その柔軟さで2014年ワールドカップを制覇するも、2018シーズンになると多くのドイツ国民が、彼の続投を支持しないという形に変化しました。

 それはワールドカップ・ロシア大会で王者の責務を果たせなかった。

 という点が当然尾を引いています。

 しかし、一番肝心なのはレーブではもう限界ではなく、ドイツ国民が

 「レーブの方法論が限界」
 「新しい指揮官を求める」

 というように、指揮官が交代し練習内容と選手選考が変化すれば、代表に活気が戻ると考えているように見えることではないでしょうか。

 つまりレーブの柔軟性がここにきて、自身を追い込んでいるように僕には見えるのですが、彼の後任を探すならば欧州選手権まで残り1年の今が決断の時、と言える気がします。
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サッカーに自由が感じられる理由

2019-01-05 01:33:48 | 日記
 高校サッカーと高校野球、そしてラグビー全国大会。

 フジテレビがプッシュする「春高バレー」もそうですが、米国の大学競技ほどではないにせよ、日本でも注目を集める大会は高校生が担っています。

 ラグビーはどうなのかわかりかねますが、春高バレーと高校野球はどこか似通っていると思います。

 競技は学校教育の一環
 髪型から用具に至るまですべてにおいて厳格が規格が存在する
 日々の猛練習とコーチをとにかく敬う態度

 これは僕の主観でしからありませんから、当事者たちとは異なる意見でしょうがね。

 ではどうしてサッカーは学校教育の一環でありながら、選手が自由にスパイクを履くことができ、髪型にもさほど警告が与えられないのでしょうか。

 勿論過去は厳しい練習に用具指定などがあったのでしょうが、アンダーアーマーやプーマ、ナイキは実に自由闊達なデザインでジャージを提供します。

 これはサッカーと他の競技の試合時間が影響しているのかもしれません。

 サッカーは長時間練習しなくても良い面があります。

 それは基本FIFAが定めるルールが全世界に波及していることもそうですが

 大人ならば前半と後半が45分ずつの90分で試合を組む
 ハーフタイムは15分、指揮官は試合中テクニカルエリアまでしか侵入できない

 言い換えれば試合の時間が決まっている以上、3時間、4時間という長期の練習は意味がなく、90分をどれだけの集中力で戦えるのか、15分のインターバルをどう有効活用するのか。

 この点が勝負となります。

 サッカーはウインタースポーツであり、欧州各国は冬の移籍市場が開いています。

 高校選手権にも多くのスカウトが国内外問わずに視察に訪れているのでしょうね。
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