前回映画「悪人」の感想を書いたが
実は書きながら自分でも言葉足らずな気がしていた。
深津絵理さんがモントリオール映画祭で最優秀女優賞を受賞し話題になったが
私にとって一番インパクトがあったのはやはり被害者の父親役の柄本明さんで
最初の感想もそこがメインになってしまった。
そして破滅的な逃避行に出る主役の二人
特に妻夫木くんが演じた清水佑一という人物がもう一つ理解しにくかったので
結局原作を読んでみることにした。
映画化にあたっては原作者の吉田修一さんが脚本に関わっておられるので
小説の世界観を表現するために必要な場面は
きっちりと押さえられていたのだろうと思う。
それでも原作を読んで、改めてこれだけの長編を
2時間の映画にするのにはやはり少々無理があると感じた。
「悪人」は一つの殺人事件をめぐって展開される群像劇とも言える。
幼い時に身持ちの悪い母親に置き去りにされて
祖父母に引き取られ、成長して祖父母の面倒を見ながら
解体作業の現場で働き、車だけが趣味の寡黙な若者佑一。
佐賀市郊外の紳士服量販店で働く29歳の馬込光代は
どちらかといえば内向的なタイプの女性で
原作ではタイプの異なる双子の妹と同居している。
彼女が暮らしている土地は
「三日も続けて外出すれば、必ず昨日会った誰かと再会する。
実際、録画された映像を、繰り返し流しているような町」なのであり
彼女自身自らの人生が、小学校も中学も高校も、職場も一本の国道沿いで
「考えてみれば、私って、この国道から全然離れんかったとねぇ。
この国道を行ったり来たりしとっただけやったとよねぇ」と述懐する。
佑一に殺された佳乃は、久留米で理髪店を経営する親元を離れて
福岡で一人暮らしをするOLだが
金持ちの大学生に憧れる一方で
出会い系サイトで車が趣味の佑一と知り合う。
しかし彼女はただドライブがしたかったわけではなく
誰もが羨むような男の車で、颯爽と博多の街を走り抜けたかったのであり
彼女の理想の相手は佑一のような男ではなかったのだ。
他にも佳乃が憧れた別府の老舗旅館の息子で
三瀬峠に佳乃を置き去りにして事件のきっかけを作りながら
人の死をさえも茶化して笑い話にする大学生も
怪しげなキャッチセールスに引っかかって
高額な漢方薬を買わされる佑一の祖母も
登場するほとんど全ての人間が
自分の生きている現実に何かどうしようもない
不満や空虚さを抱えている。
豊かさと貧困、都会と地方といった単純な対比ではない。
「自分は今ここで生きている現実とは違った
何か素晴らしいものに出会えるのではないか」
そういう幻想をテレビやネットといったツールが増幅する。
高級なマンションや、光溢れる庭付きの一戸建てに住み
流行のファッションや車、贅沢な食事や海外旅行
生活力のある夫と若くて美しい妻
素直で頭のよい子どもたち
そういうステレオタイプな
幸せのイリュージョンを見せられ続けると
自分の現実を受け入れることができなくなり
それが様々な悲劇を生み出しているのではないだろうか。
私の話は最後はいつも依存症の問題になるが
ギャンブル依存症に陥りやすい人の特徴に
プライドが高いというのがある。
自己評価は高いがそれが思うほど周囲から評価されないストレスが
ギャンブルに向かい、ギャンブルで勝つことで
勝利の快感を得るという心理らしい。
等身大の自分と冷静に客観的に向き合うのは誰にとっても難しいことだ。
特に幼い頃から色々な意味で競争社会で生きてきた人間にとって
純粋に自分とだけ向き合うのはおそらく禅の修行のようなものだろう。
けれどそういう視点を持てると
少しだが生きていくのが楽になるような気がする。
いたずらに他人と競うことを止めて
自分で自分の物差しを決め、それに向けて日々を生きる
そういう生き方もできなくはないと思う。
まあ、それは私のようにある意味
どん底を体験した人間ならではの考え方さと
言われてしまえばそれまでのことだけど。
実は書きながら自分でも言葉足らずな気がしていた。
深津絵理さんがモントリオール映画祭で最優秀女優賞を受賞し話題になったが
私にとって一番インパクトがあったのはやはり被害者の父親役の柄本明さんで
最初の感想もそこがメインになってしまった。
そして破滅的な逃避行に出る主役の二人
特に妻夫木くんが演じた清水佑一という人物がもう一つ理解しにくかったので
結局原作を読んでみることにした。
映画化にあたっては原作者の吉田修一さんが脚本に関わっておられるので
小説の世界観を表現するために必要な場面は
きっちりと押さえられていたのだろうと思う。
それでも原作を読んで、改めてこれだけの長編を
2時間の映画にするのにはやはり少々無理があると感じた。
「悪人」は一つの殺人事件をめぐって展開される群像劇とも言える。
幼い時に身持ちの悪い母親に置き去りにされて
祖父母に引き取られ、成長して祖父母の面倒を見ながら
解体作業の現場で働き、車だけが趣味の寡黙な若者佑一。
佐賀市郊外の紳士服量販店で働く29歳の馬込光代は
どちらかといえば内向的なタイプの女性で
原作ではタイプの異なる双子の妹と同居している。
彼女が暮らしている土地は
「三日も続けて外出すれば、必ず昨日会った誰かと再会する。
実際、録画された映像を、繰り返し流しているような町」なのであり
彼女自身自らの人生が、小学校も中学も高校も、職場も一本の国道沿いで
「考えてみれば、私って、この国道から全然離れんかったとねぇ。
この国道を行ったり来たりしとっただけやったとよねぇ」と述懐する。
佑一に殺された佳乃は、久留米で理髪店を経営する親元を離れて
福岡で一人暮らしをするOLだが
金持ちの大学生に憧れる一方で
出会い系サイトで車が趣味の佑一と知り合う。
しかし彼女はただドライブがしたかったわけではなく
誰もが羨むような男の車で、颯爽と博多の街を走り抜けたかったのであり
彼女の理想の相手は佑一のような男ではなかったのだ。
他にも佳乃が憧れた別府の老舗旅館の息子で
三瀬峠に佳乃を置き去りにして事件のきっかけを作りながら
人の死をさえも茶化して笑い話にする大学生も
怪しげなキャッチセールスに引っかかって
高額な漢方薬を買わされる佑一の祖母も
登場するほとんど全ての人間が
自分の生きている現実に何かどうしようもない
不満や空虚さを抱えている。
豊かさと貧困、都会と地方といった単純な対比ではない。
「自分は今ここで生きている現実とは違った
何か素晴らしいものに出会えるのではないか」
そういう幻想をテレビやネットといったツールが増幅する。
高級なマンションや、光溢れる庭付きの一戸建てに住み
流行のファッションや車、贅沢な食事や海外旅行
生活力のある夫と若くて美しい妻
素直で頭のよい子どもたち
そういうステレオタイプな
幸せのイリュージョンを見せられ続けると
自分の現実を受け入れることができなくなり
それが様々な悲劇を生み出しているのではないだろうか。
私の話は最後はいつも依存症の問題になるが
ギャンブル依存症に陥りやすい人の特徴に
プライドが高いというのがある。
自己評価は高いがそれが思うほど周囲から評価されないストレスが
ギャンブルに向かい、ギャンブルで勝つことで
勝利の快感を得るという心理らしい。
等身大の自分と冷静に客観的に向き合うのは誰にとっても難しいことだ。
特に幼い頃から色々な意味で競争社会で生きてきた人間にとって
純粋に自分とだけ向き合うのはおそらく禅の修行のようなものだろう。
けれどそういう視点を持てると
少しだが生きていくのが楽になるような気がする。
いたずらに他人と競うことを止めて
自分で自分の物差しを決め、それに向けて日々を生きる
そういう生き方もできなくはないと思う。
まあ、それは私のようにある意味
どん底を体験した人間ならではの考え方さと
言われてしまえばそれまでのことだけど。