ルナが長生きをしたことで一番得をしたのは
実はダンナだったかもしれないと、ふと思った。
ギャンブル、借金、女遊び。
そんな人間のやる愚かで醜悪な世界は
猫にはまったく関係がない。
あったかな陽だまりで目を細めてひなたぼっこをしたり
昼寝をしたり、おいしいものをお腹一杯食べて
一日平和に暮らせさえすれば幸せオーラに満ちている。
私の腕枕ですやすや寝ている顔を見ると
さながら「幸せ」が毛皮を着ているようなものだ。
もし家の中が成長した子どもたちだけだったら
私はもっと逆上して事あるごとに
ダンナに対して怒りや悲しみをぶちまけていたかもしれない。
子どもたちはもう何が悪いのか、誰が間違っているかを
判断できるようになっているから
たとえ私が怒り狂って泣き叫んだとしても
状況を理解して、それで精神的に大きなダメージを
受けることはなかったはずだ。
しかしルナは私が普段と違う行動をすれば
不安とか恐怖を感じてパニックになりそうだった。
年を取った猫にそんな思いをさせたくない。
それがずっと私の爆発に歯止めをかけ続けてきた。
私はルナが幸せそうであればそれでいいと思い
その幸せそうな顔を見て自分も幸せを感じることができた。
本来は人間同士もそういう関係がベストなんだと
頭では分かっていても夫婦にしろ親子にしろ
なかなかそういう具合にはいかない。
絶え間のない葛藤と混乱。
もうカオス、カオス、カオスなのだ。
それでもルナを失って今しみじみ思うのは
誰かの幸せのために生きる人生でもいいんじゃないかということ。
例え給料が安くたって、お客さんが笑顔で「ありがとう」と
言ってくれる瞬間があればそれでいい。
今日自殺意識調査で、死にたいと思った人の割合が
20代で一番高いという悲しい結果が報道されていた。
自分が幸せになりたいと思うと
将来に希望が持てなくて絶望してしまうのだろう。
でも私は思うのだ。たとえ自分が悲惨な人生を送っていたって
誰か一人くらいは幸せにすることができるのではないかと。
自分や自分の一族が裕福に安泰に暮らせさえすればそれでいいという
究極のエゴイストたちの行為が
格差や、たくさんの人たちの不幸を生み
怨嗟に満ちた不安定な世の中になっているが
そんな意識をくるりと裏返して
自分がどれほど不幸でも自分の回りの誰かが幸せであるなら
それもいいと思えるなら
一億三千万の人が皆そう思えるなら
一人一円の募金が一億三千万円になるというのと同じで
あるいは世の中の空気を少し変えることもできるのではないかと
一方ではギャンブル依存症を生み出した
人間たちに悪態や怨嗟の言葉を吐き散らかしつつも
柄にもなくそんなことを思ったりするのである。
実はダンナだったかもしれないと、ふと思った。
ギャンブル、借金、女遊び。
そんな人間のやる愚かで醜悪な世界は
猫にはまったく関係がない。
あったかな陽だまりで目を細めてひなたぼっこをしたり
昼寝をしたり、おいしいものをお腹一杯食べて
一日平和に暮らせさえすれば幸せオーラに満ちている。
私の腕枕ですやすや寝ている顔を見ると
さながら「幸せ」が毛皮を着ているようなものだ。
もし家の中が成長した子どもたちだけだったら
私はもっと逆上して事あるごとに
ダンナに対して怒りや悲しみをぶちまけていたかもしれない。
子どもたちはもう何が悪いのか、誰が間違っているかを
判断できるようになっているから
たとえ私が怒り狂って泣き叫んだとしても
状況を理解して、それで精神的に大きなダメージを
受けることはなかったはずだ。
しかしルナは私が普段と違う行動をすれば
不安とか恐怖を感じてパニックになりそうだった。
年を取った猫にそんな思いをさせたくない。
それがずっと私の爆発に歯止めをかけ続けてきた。
私はルナが幸せそうであればそれでいいと思い
その幸せそうな顔を見て自分も幸せを感じることができた。
本来は人間同士もそういう関係がベストなんだと
頭では分かっていても夫婦にしろ親子にしろ
なかなかそういう具合にはいかない。
絶え間のない葛藤と混乱。
もうカオス、カオス、カオスなのだ。
それでもルナを失って今しみじみ思うのは
誰かの幸せのために生きる人生でもいいんじゃないかということ。
例え給料が安くたって、お客さんが笑顔で「ありがとう」と
言ってくれる瞬間があればそれでいい。
今日自殺意識調査で、死にたいと思った人の割合が
20代で一番高いという悲しい結果が報道されていた。
自分が幸せになりたいと思うと
将来に希望が持てなくて絶望してしまうのだろう。
でも私は思うのだ。たとえ自分が悲惨な人生を送っていたって
誰か一人くらいは幸せにすることができるのではないかと。
自分や自分の一族が裕福に安泰に暮らせさえすればそれでいいという
究極のエゴイストたちの行為が
格差や、たくさんの人たちの不幸を生み
怨嗟に満ちた不安定な世の中になっているが
そんな意識をくるりと裏返して
自分がどれほど不幸でも自分の回りの誰かが幸せであるなら
それもいいと思えるなら
一億三千万の人が皆そう思えるなら
一人一円の募金が一億三千万円になるというのと同じで
あるいは世の中の空気を少し変えることもできるのではないかと
一方ではギャンブル依存症を生み出した
人間たちに悪態や怨嗟の言葉を吐き散らかしつつも
柄にもなくそんなことを思ったりするのである。