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命がある限り希望を持つということ

依存症の本当の怖さ

2012-01-08 14:12:50 | 依存症
昨年一般の人にギャンブル依存症の存在を
印象付けたのは大王製紙の元会長の井川氏が
子会社から多額の金の貸付を受けてそれをカジノで使ったという
事件ではないだろうか。
氏が子会社から引き出した金は80億を越える。
あまりにも金額が大きすぎて庶民にはピンとこない。

しかしこのようにギャンブルにどんどんお金をつぎ込むことだけが
依存症の症状なのではない。
一番深刻なのは、これだけの社会的な地位のある人間が
会社の金を自分がギャンブルをするために流用するという
明らかな違法行為をためらいもなくやってしまうこと。
東大出の知性も理性もまったく歯止めにならないことだ。

社会的にやってはいけないことへの認識が失われるから
容易に犯罪行為に走る。
ギャンブルをやりたいために、あるいはギャンブルでできた
借金の返済に追い詰められて、強盗、殺人、横領などを
犯す例は後を絶たない。

そしてギャンブル依存症の人間は
自分の周囲の人間に対する配慮が一切失われる。
たまに依存症本人の方のブログを見ることがあるが
ギャンブルできない苦しさなどはつらつら書かれているが
自分がギャンブルで借金をして
配偶者に大変な思いをさせたことなどに言及されている
ものはほとんど見かけない。

以前宮部みゆきさんは「理由」という小説で
一つの殺人事件が起こることで
どれほどたくさんの人が影響を受けるかを
ルポのような形式で丹念に書かれた。
また数日前オウム真理教の逃亡犯が逮捕されたが
彼が昔住んでいた土地の近所の人が
「親が大変だった」と回顧されていた。

ギャンブルが原因で犯罪を起して
自分の親兄弟や、配偶者や子どもたちがどういう思いをするか。
井川元会長の場合で言えば会社の信用はどうなるか
真面目に働いてきた社員たちへの影響はどうなのか
そういうことを何も考えられなくなるのが
依存症の本当の怖さなのだ。
つまりは人間性の欠如である。

以前死んでも肉親に遺骨の引取りを
拒絶される人たちのニュースを見た。
もちろんその全てがギャンブルが原因であるかどうかは分からない。
しかしギャンブルで多額の借金を作り
闇金の取立ての恐怖を味わったり家族が一家離散したら
たとえ血を分けた親子であっても
骨さえももう二度と見たくないという気持ちは
私には痛いほど分かる。
だから以前ダンナに「亡くなったお母さんが
こんな息子を産んで育てるのではなかったと
死んだ後でも土の下で泣くような人生を生きるのは
人間としてあまりにも悲しいと思う」と話したことがある。

そういう話が依存症の人間に
どこまで理解できるのかは私には分からない。
治るということのない依存症の人間の家族にとって
こんな風に毎日は
終わらない、どこまでも明けることのない夜みたいなものなのだ。