新年明けましておめでとうございます。
昨年このブログを訪れてくださった皆様
本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。
夫婦ともボーナスが出るような仕事ではないので
例年通り節約しながらのお正月の準備。
ダンナが会社の忘年会でデパートの商品券をもらったので
昨日珍しく二人で街へ買出しに行くことにした。
けれど都心の駅についてホームに降りた
私の目に飛び込んできたのは
ホーム中に吊り下げられている灰色の
パチンコの新機種の広告だった。
その異様さにはもう怒りというよりも唖然とした。
少し前に書いたが20年以上に渡って
ダンナのギャンブルと借金と
この数年はギャンブル依存症への対応に
神経を使いつづけているので
少しでもパチンコやスロットが絡むものには
気持ちが敏感に反応する。
TVのCMはもちろんプロ野球の球場の
メーカーの名前やドラマのワンシーンで流れる
パチンコ屋の場面。
先日NHKでも女性のパチンコ依存を特集していたが
ああいうドキュメンタリーや特集も
必ず冒頭はパチンコ屋のシーンなので
ダンナがいる時は見れない。
音や映像でダンナの脳がフラッシュバックを起こすのが恐い。
その私の目の前にこれでもかというほど吊り下がった広告。
その異様さに、これはもう悪意であり心理的なテロだと思った。
昨年は東日本大震災があり福島の原発事故があり
日本はまだ復興の端緒についたばかり。
そんな中お正月を迎えて初売りなどで
都心へ足を運ぶ人々の心が少しでも明るく上向きになるように
駅といういわば街の玄関はお正月らしい
明るい未来への希望を感じさせるものであってほしい。
そこが陰気な灰色の賭博の広告で埋め尽くされているなど
本当に信じ難かった。
流通業界も不況で派手に広告を打つような余裕はないのかもしれない。
対照的にパチンコ機器のメーカーは
少々の不況くらいではびくともしないくらいの
あり得ないほどの利益の蓄積があるわけだ。
そのことを改めて思い知らされた。
私鉄業界も喉から手が出るほど莫大な広告費が欲しいのも分かるが
それでも新しい年の初めに
ただお金にさえなればいいとこれほど視覚的心理的な影響を無視した
やり方をしていいものなのか。
それとももう誰もそんなことも考えなくなっているのだろうか。
こういう場面に遭遇すると
私は欝だから日本は本当にもうだめかもしれないと
またぞろ思ってしまうのだ。
これから正月休みを迎えるサラリーマンたちの足を
パチンコ屋に向かせようとする戦略なのだろうが
私は何かのサイトで見かけた「パチンコ屋は呪怨の巣」という
言葉が頭から離れない。
ギャンブルが原因で自殺したり一家離散したり
破滅した無数の人たちの妄執が澱んでいる場所だから
あそこに立ち入ると悪い不吉なオーラが取り付いて
人生が悪いほうへ転がっていってしまうというのだ。
あながち迷信だとばかりも思えない。
ギャンブルに捨てるようなお金があるならば
それで家族でおいしいものを食べにいくとか
子どもの喜ぶものを買ってあげるとか
身近に幸せが生まれ一人でも多くの人が笑顔になれることに
そのお金を使って欲しい。
ギャンブル依存症の人間と生きてきて
私は心の底から笑うということができなくなった。
正月のバラエティ番組の出演者や客席の笑い声は
何か遠くの星の出来事でも見ているようで
何がおかしいのか何故あの人たちは笑っているのか
まったく理解できない地鳴りのようなもので
すぐにうるさく苦痛なものになってくる。
いいことなど何もなくていいから
とにかく自分や家族に悪いことがおこらないように。
笑うことも怒ることも泣くことももうしたくない。
ただひたすら心が無であり空である毎日が過ぎればいいと思う。
どうかあなたの身近な人をそういう目にはあわせないでほしい。
そしてあなた自身も、あぶくのような幾ばくかの金や
ギャンブルで当たった時の刹那的な快楽と引き換えに
一生治ることのない業病を背負い込んで
こんな人間が夫で親でなければよかった
死んでしまえばいいのにと、自分の肉親や配偶者や
こどもたちに憎まれ疎まれるような人生を生きるような
愚かな道に足を踏み込まないでほしい。
代償はあまりにも大きいのだから。
新しい年を迎えて改めて心からそう願うのである。
昨年このブログを訪れてくださった皆様
本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。
夫婦ともボーナスが出るような仕事ではないので
例年通り節約しながらのお正月の準備。
ダンナが会社の忘年会でデパートの商品券をもらったので
昨日珍しく二人で街へ買出しに行くことにした。
けれど都心の駅についてホームに降りた
私の目に飛び込んできたのは
ホーム中に吊り下げられている灰色の
パチンコの新機種の広告だった。
その異様さにはもう怒りというよりも唖然とした。
少し前に書いたが20年以上に渡って
ダンナのギャンブルと借金と
この数年はギャンブル依存症への対応に
神経を使いつづけているので
少しでもパチンコやスロットが絡むものには
気持ちが敏感に反応する。
TVのCMはもちろんプロ野球の球場の
メーカーの名前やドラマのワンシーンで流れる
パチンコ屋の場面。
先日NHKでも女性のパチンコ依存を特集していたが
ああいうドキュメンタリーや特集も
必ず冒頭はパチンコ屋のシーンなので
ダンナがいる時は見れない。
音や映像でダンナの脳がフラッシュバックを起こすのが恐い。
その私の目の前にこれでもかというほど吊り下がった広告。
その異様さに、これはもう悪意であり心理的なテロだと思った。
昨年は東日本大震災があり福島の原発事故があり
日本はまだ復興の端緒についたばかり。
そんな中お正月を迎えて初売りなどで
都心へ足を運ぶ人々の心が少しでも明るく上向きになるように
駅といういわば街の玄関はお正月らしい
明るい未来への希望を感じさせるものであってほしい。
そこが陰気な灰色の賭博の広告で埋め尽くされているなど
本当に信じ難かった。
流通業界も不況で派手に広告を打つような余裕はないのかもしれない。
対照的にパチンコ機器のメーカーは
少々の不況くらいではびくともしないくらいの
あり得ないほどの利益の蓄積があるわけだ。
そのことを改めて思い知らされた。
私鉄業界も喉から手が出るほど莫大な広告費が欲しいのも分かるが
それでも新しい年の初めに
ただお金にさえなればいいとこれほど視覚的心理的な影響を無視した
やり方をしていいものなのか。
それとももう誰もそんなことも考えなくなっているのだろうか。
こういう場面に遭遇すると
私は欝だから日本は本当にもうだめかもしれないと
またぞろ思ってしまうのだ。
これから正月休みを迎えるサラリーマンたちの足を
パチンコ屋に向かせようとする戦略なのだろうが
私は何かのサイトで見かけた「パチンコ屋は呪怨の巣」という
言葉が頭から離れない。
ギャンブルが原因で自殺したり一家離散したり
破滅した無数の人たちの妄執が澱んでいる場所だから
あそこに立ち入ると悪い不吉なオーラが取り付いて
人生が悪いほうへ転がっていってしまうというのだ。
あながち迷信だとばかりも思えない。
ギャンブルに捨てるようなお金があるならば
それで家族でおいしいものを食べにいくとか
子どもの喜ぶものを買ってあげるとか
身近に幸せが生まれ一人でも多くの人が笑顔になれることに
そのお金を使って欲しい。
ギャンブル依存症の人間と生きてきて
私は心の底から笑うということができなくなった。
正月のバラエティ番組の出演者や客席の笑い声は
何か遠くの星の出来事でも見ているようで
何がおかしいのか何故あの人たちは笑っているのか
まったく理解できない地鳴りのようなもので
すぐにうるさく苦痛なものになってくる。
いいことなど何もなくていいから
とにかく自分や家族に悪いことがおこらないように。
笑うことも怒ることも泣くことももうしたくない。
ただひたすら心が無であり空である毎日が過ぎればいいと思う。
どうかあなたの身近な人をそういう目にはあわせないでほしい。
そしてあなた自身も、あぶくのような幾ばくかの金や
ギャンブルで当たった時の刹那的な快楽と引き換えに
一生治ることのない業病を背負い込んで
こんな人間が夫で親でなければよかった
死んでしまえばいいのにと、自分の肉親や配偶者や
こどもたちに憎まれ疎まれるような人生を生きるような
愚かな道に足を踏み込まないでほしい。
代償はあまりにも大きいのだから。
新しい年を迎えて改めて心からそう願うのである。