数日前に女性のギャンブル依存症の問題を
ニュースが取り上げたようで、それによると
推定の患者数は75万人ということだが
おそらく実際にはもっと多いのではないだろうか。
以前にこのサイトで紹介した帚木蓬生先生の著書
「ギャンブル依存とたたかう」という本のプロローグは
「ある主婦の転落」という副題で
女性のギャンブル依存症患者の軌跡がつづられている。
世間的に見ればむしろ恵まれた環境にあった
一人の平凡な主婦が夏の暑い日に何気なく
パチンコ屋に足を踏み入れたことがきっかけで
本当に怒涛のようにとめどもなく落ちていく姿
そしてその折々の彼女の心のあり様。
ギャンブルに関わらない人間が読むとまさに吐き気がするし
「なんで?」「分からない」と思うことばかりなのだが
私にそれが理解できないのは病気ではない人間が
普通の感覚や理屈で捉えようとするからで
依存症を理解するにはどうしてもそれが脳の機能に変化が起きて
自分をコントロールすることができなくなる
コントロール障害なのだという前提に立たなければならない。
自分の何をコントロールできないかと言えば
「ギャンブルをやりたい」という衝動をコントロールできない
全てはその一点につきると思う。
ただこの話を読んで私が本当に恐いと思ったのは
この女性が長い時間を経て依存症になったわけではなく
最初の大当たり、そのたった一回の快感と衝撃と記憶が
彼女の人生の全てを破壊しつくしたことだ。
どの時点で何をどうすれば止めることができたのか
そんなことを考えても意味がないという恐ろしさだ。
更に男性よりもむしろ女性がはまりやすいという意見もある。
他の口実を作ってギャンブルに行く
借金があるのを隠す、あるいは借金の額を実際より
少なく言うといった嘘も
回りの人間の気持ちをまったく理解することができなくなるという
人間性の欠如も
このコントロール障害から派生した症状として起こってくる。
依存症の人間は何よりもギャンブルができなくなることが
人生において一番辛いのであり悲しいのであり苦しいので
それ以外のことは何一つ患者の頭の中にはない。
そしてこの変化はドーパミンなどの脳内物質の
分泌の異常によって引き起こされる変化で
この分泌の異常を根本的に治療する手立ては今の時点ではない。
だからギャンブル依存症には完治するという結末はないのだ。
こうしたことが分かっていてそれでも
ギャンブル依存症の人間と暮らす生活は
まさに出口のないトンネルだ。
民放でCMが流れると心のどこかがびくっと反応する。
映画のワンシーンでパチンコ屋が映っても同じだ。
プロ野球の球場にあるメーカーの名前ですら
見れば気持ちがざわつく。
ほんのささいなきっかけでダンナの脳が
フラッシュバックを起すのではないかと恐怖している自分がいる。
深刻な精神疾患の症状はギャンブル依存者本人よりも
むしろ巻き添えになった家族のほうに出るというのも
ギャンブル依存症の抱える大きな問題だ。
最初に書いた女性はご主人に離婚を言い渡され
それでも両親や兄弟が借金の始末などをしてくれて
入院をしGAにも通って何とか再生の道を踏み出したと結ばれているが
自分だけでなくご主人や二人の子供
自分の両親と兄弟と関わった全ての人間を巻き込んで
払った代償はあまりにも大きい。
親や兄弟から「死ね」と言われるような人生
一生を賭けても償いきれないほどの被害を
周囲の人間に及ぼして生きる人生なのだ。
「ちょっとした気分転換」などと軽く考えないでほしい。
「借金がないから病気ではない」
「やめようと思えばいつでもやめられる」
すでに400万人を越えると思われる
ギャンブル依存症の人たちは
おそらくみんなそんな風に思っている。
自分ではそれが病気であることさえ分からない
ある意味人間の能力の範疇を越えた
とんでもなく恐ろしい病気なのだから。
ニュースが取り上げたようで、それによると
推定の患者数は75万人ということだが
おそらく実際にはもっと多いのではないだろうか。
以前にこのサイトで紹介した帚木蓬生先生の著書
「ギャンブル依存とたたかう」という本のプロローグは
「ある主婦の転落」という副題で
女性のギャンブル依存症患者の軌跡がつづられている。
世間的に見ればむしろ恵まれた環境にあった
一人の平凡な主婦が夏の暑い日に何気なく
パチンコ屋に足を踏み入れたことがきっかけで
本当に怒涛のようにとめどもなく落ちていく姿
そしてその折々の彼女の心のあり様。
ギャンブルに関わらない人間が読むとまさに吐き気がするし
「なんで?」「分からない」と思うことばかりなのだが
私にそれが理解できないのは病気ではない人間が
普通の感覚や理屈で捉えようとするからで
依存症を理解するにはどうしてもそれが脳の機能に変化が起きて
自分をコントロールすることができなくなる
コントロール障害なのだという前提に立たなければならない。
自分の何をコントロールできないかと言えば
「ギャンブルをやりたい」という衝動をコントロールできない
全てはその一点につきると思う。
ただこの話を読んで私が本当に恐いと思ったのは
この女性が長い時間を経て依存症になったわけではなく
最初の大当たり、そのたった一回の快感と衝撃と記憶が
彼女の人生の全てを破壊しつくしたことだ。
どの時点で何をどうすれば止めることができたのか
そんなことを考えても意味がないという恐ろしさだ。
更に男性よりもむしろ女性がはまりやすいという意見もある。
他の口実を作ってギャンブルに行く
借金があるのを隠す、あるいは借金の額を実際より
少なく言うといった嘘も
回りの人間の気持ちをまったく理解することができなくなるという
人間性の欠如も
このコントロール障害から派生した症状として起こってくる。
依存症の人間は何よりもギャンブルができなくなることが
人生において一番辛いのであり悲しいのであり苦しいので
それ以外のことは何一つ患者の頭の中にはない。
そしてこの変化はドーパミンなどの脳内物質の
分泌の異常によって引き起こされる変化で
この分泌の異常を根本的に治療する手立ては今の時点ではない。
だからギャンブル依存症には完治するという結末はないのだ。
こうしたことが分かっていてそれでも
ギャンブル依存症の人間と暮らす生活は
まさに出口のないトンネルだ。
民放でCMが流れると心のどこかがびくっと反応する。
映画のワンシーンでパチンコ屋が映っても同じだ。
プロ野球の球場にあるメーカーの名前ですら
見れば気持ちがざわつく。
ほんのささいなきっかけでダンナの脳が
フラッシュバックを起すのではないかと恐怖している自分がいる。
深刻な精神疾患の症状はギャンブル依存者本人よりも
むしろ巻き添えになった家族のほうに出るというのも
ギャンブル依存症の抱える大きな問題だ。
最初に書いた女性はご主人に離婚を言い渡され
それでも両親や兄弟が借金の始末などをしてくれて
入院をしGAにも通って何とか再生の道を踏み出したと結ばれているが
自分だけでなくご主人や二人の子供
自分の両親と兄弟と関わった全ての人間を巻き込んで
払った代償はあまりにも大きい。
親や兄弟から「死ね」と言われるような人生
一生を賭けても償いきれないほどの被害を
周囲の人間に及ぼして生きる人生なのだ。
「ちょっとした気分転換」などと軽く考えないでほしい。
「借金がないから病気ではない」
「やめようと思えばいつでもやめられる」
すでに400万人を越えると思われる
ギャンブル依存症の人たちは
おそらくみんなそんな風に思っている。
自分ではそれが病気であることさえ分からない
ある意味人間の能力の範疇を越えた
とんでもなく恐ろしい病気なのだから。