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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

最悪を回避する力

2011-11-08 15:24:07 | 原発事故
先日福島に住む友人が教えてくれた
「いわき日和」というブログの中に
ブログ主さんの知り合いの人が別の人に
「もう放射能はいいんじゃないの。みんな復興に向かって
進もうとしているんだから。前を向くことにブレーキをか
けてはいけない」という意味のことを言われたという話が
書いてあった。

普通の人の感覚としてそういう風に思うことは理解できる。
福島に住んでいる人でさえ、いや福島にいるからこそ
むしろそういう風に思わなければ前に進めないという
切実というかもはや悲痛な思いを抱いている人が
かなりたくさんおられるだろうと思うと胸が痛くなる。

小出先生の講演の折にも
「このまま住み続けていいのか」という質問が出る。
その際に小出先生は「分からない」と答えられている。
「偉い先生なのに」「放射能は危ないと言ってるくせに」
と失望落胆される方も多いかもしれない。
しかし小出先生は「留まれば健康に影響が出て
体が壊れる。だが逃げれば心が壊れる。だから
自分はどちらがいいと言うことはできない」と言われている。
未だに原子炉の状況も正確に分かっていないし
嘘や気休めを言ってすませられる問題でないからこそ
現時点ではそう答える他はないのだと思う。

原発から逃れてふるさとを離れ
住む場所や仕事や生活のめどが立たなかったら
放射能の不安はなくなっても生きていくことができなくなる。
こどもがいるから自主的に避難したいと思っても
政府や東電が補償をするわけでもない。
こうして残る決心をした人たちが
もう放射能のことは考えたくないと思われるのも
だから当然のことだが、しかしとても残酷なことだ。

放射能の問題だけでなく、年金とかTPPとか
今の日本は個人が考えたくらいでは
もうどうしようもないことだらけになってきた。
しかしダンナのギャンブル依存症を通じて
「知らなければ本当にとんでもないことになる」ことを
身を持って体験した私は
やはり知ることも考えることも放棄することはできない。

個人の力では事態を画期的に好転させることは不可能だが
少なくとも自分の身の回りで起こる
最悪を回避するくらいのことはできるような気がする。
それは言い換えれば最悪を想定しうる力であり
それに耐えることのできる強さなのかもしれない。


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