最近観た映画の中で
一番インパクトがあったのが「悪の法則」でした。
キャメロン・ディアスとかブラピとか出てるから
エンターテイメントなアクション映画かなと思いきや
「ホラー映画」の枠に入れてもおかしくないくらい怖い映画でした。
「カウンセラー」と呼ばれている若い弁護士は
心から愛するローラと幸せな結婚生活を送るために
「一度だけ」と自らに言い聞かせ、メキシコマフィアが絡んだ
麻薬の取引で大金を手に入れようとするのですが、アクシデントが起きて
関わった人間は次々に殺され、絶体絶命の状態に…。
あらすじを書くと、アクション映画と思えなくもないのですが
実はこの映画は、普通の世界で生きている人間が
道徳も理屈も情も何も通用しない世界に、一歩でも足を踏み込んだら終わり
という状況を、かなり極端な手法で描いています。
そしてそういう世界は、決してフィクションの中だけにあるのではなく
私たちが生きる現実と隣り合わせに、確実に存在しています。
例えば、先日の「イスラム国」による日本人の殺害もそうですし
今、ニュースになっている中学生が殺された事件もそうだと思います。
「気分が良くなる」「疲れが取れる」「痩せる」といった
魅力的な言葉で誘う薬物や
楽をして、楽しい思いをして、お金が手に入ると錯覚させるギャンブルや
相手がどこの誰かも分からないネット上の人間関係など
「その一歩」を踏み出したために、簡単に破滅させられるようなものが
それこそ普通に、自分たちの周囲にあふれている世界。
さらに自らアクセスしなくても
携帯やスマホには、煽情的なメールや儲け話への誘いが送りつけられ
あるいは振り込め詐欺やオレオレ詐欺のように
もう一つの世界が、こちらの世界に否応なく進入してくる
そういう時代なのだということをちゃんと理解する必要があります。
「悪の法則」という映画は
主人公が悪人に追われて、派手な銃撃戦があって
カーチェイスがあってという映画ではありません。
何とか助かろうとする主人公は
助けを求めた人間たちの言葉によって
自分が何をしたのかを
そして自分がおかれた状況を思い知らされていきます。
主人公が最後に助けを求めたメキシコの有力者は言います。
「自分が置かれた状況の真実を知るべきだ。犯した過ちを取り消そう
とする世界は、過ちを犯した世界とはもはや違う。
選択はずっと前に行なわれたのだ」と。
主人公にはもはや助かる道はどこにもないわけですが
実は、それは最初から分かっていたことなのだと
選んだのは他ならぬ自分自身なのだと
映画の登場人物たちは、繰り返し語るのです。
その中で、主人公だけが、最後まで「まだ何とかなるのではないか。
何か道があるのではないか」とすがる姿が哀れです。
この映画自体は「こういうことをしたらだめですよ」というような
道徳的、教化的な映画ではありません。
こうしたらこうなるという現実だけを、否応なく突きつけてきます。
その凄まじさは、とても健全な青少年に見せられるような代物ではありません。
なにせ、あのブラピが首ちょんぎられますから。
整合性のないところや、明らかに説明が不十分で
意味がよくわからないところもありますが
そんなことを気にしなければ、すごく面白い映画でした。
たくさんの人は「決められたことをちゃんと守って真面目に暮らしていれば
幸せになるはずだ」と信じて、普通は毎日一生懸命に生きています。
けれども、そんな日常でも、「ほんのちょっとした出来心」で
踏み出してしまった一歩が、本人や、時には家族までを地獄の底に落とす。
そういう不条理な現実は、回りに幾らでもあるということです。
ダンナのギャンブル依存症の問題で
精神的に極限まで追い詰められた私が、それでも何とか持ちこたえた
理由の一つは、ギャンブル依存症を生んだ社会の仕組みというものを
ある程度理解できたことが大きかったと思います。
本当なら、裏の世界のものであるはずだった賭博場が
いまや全国津々浦々に存在します。
それによってたくさんの人間が悩み、苦しみ、破滅していきます。
スマホや携帯に送りつけられる怪しいメールや動画は
相手が青少年であろうがなかろうがおかまいなしで
しかも始末が悪いことに、送り手が誰であるのかすらわかりません。
とんでもなく理不尽な話ですが、でもそれが現実です。
ひとりの人間に、それをどうにかすることなんかできません。
身もふたもない話ですが、すべてどうしようもないことなのです。
若者が、薬物やギャンブルに手を出すこと、お酒やネットに惑溺することに
歯止めをかけなければいけないのは
それが「いい高校へいけない、いい大学にいけない、ちゃんとした大人になれない」
というレベルの話ではなく、誰にもどう助けてあげることもできない
戻ることができない世界への片道切符になるからです。
そうならないためには、とにもかくにも最初の一歩を踏み出さないことです。
「何も楽しいことがない」「家でも職場でもストレスばかりで
気分転換にスカっとしたい」「ちょっとくらい遊んだっていいだろう」
そんな、それこそ軽い気持ちで足を踏み入れた場所は
初めは、楽しいパラダイスのように見えていても
実は浮かび上がることができない底なし沼で
あんなにイヤだと思っていた元の世界にいたほうが
何百倍、何千倍ましだったと気づいた時には、すべてが手遅れ。
私たちはそういうものに囲まれて、日々生きています。
川崎の事件では、被害に会った子供さんも親御さんも
この世界には自分たちの想像も及ばないような人間がいるということを
そういう人間が自分たちのすぐ身近で生きて動いているということを
おそらく想像もされていなかったのだと思います。
けれどそれが私たちが生きている社会の現実なのです。
「悪の法則」の後に観た「アメリカン・ハッスル」という映画では
(いったいどれだけ観てるんという話ですが)
ある都市の発展と雇用促進のために、市にカジノを建設する話を持ちかける
怪しいコンサルタント(実はFBI)が、その市の市長と大物議員との
収賄を取り持ち、さらにそこに大物のマフィアも絡むお話でした。
「問題があれば私たちが何でも解決しますよ」という
マフィアの顧問弁護士(怖い、怖すぎる 笑)
けれども、世界はこんな風にできているのだということは
何からでも学ぶことはできます。
そして、たとえフィクションの世界とはいえ(これは実話物でしたけど)
それをこうして表の世界に出せるところに
私はまだしもアメリカの健全さとか良心を感じるのです。
まあアメリカの場合は、マフィアや麻薬カルテルよりももっと巨大な裏の勢力があって
それに関することには誰も触れないという話なのかもしれませんが。
一番インパクトがあったのが「悪の法則」でした。
キャメロン・ディアスとかブラピとか出てるから
エンターテイメントなアクション映画かなと思いきや
「ホラー映画」の枠に入れてもおかしくないくらい怖い映画でした。
「カウンセラー」と呼ばれている若い弁護士は
心から愛するローラと幸せな結婚生活を送るために
「一度だけ」と自らに言い聞かせ、メキシコマフィアが絡んだ
麻薬の取引で大金を手に入れようとするのですが、アクシデントが起きて
関わった人間は次々に殺され、絶体絶命の状態に…。
あらすじを書くと、アクション映画と思えなくもないのですが
実はこの映画は、普通の世界で生きている人間が
道徳も理屈も情も何も通用しない世界に、一歩でも足を踏み込んだら終わり
という状況を、かなり極端な手法で描いています。
そしてそういう世界は、決してフィクションの中だけにあるのではなく
私たちが生きる現実と隣り合わせに、確実に存在しています。
例えば、先日の「イスラム国」による日本人の殺害もそうですし
今、ニュースになっている中学生が殺された事件もそうだと思います。
「気分が良くなる」「疲れが取れる」「痩せる」といった
魅力的な言葉で誘う薬物や
楽をして、楽しい思いをして、お金が手に入ると錯覚させるギャンブルや
相手がどこの誰かも分からないネット上の人間関係など
「その一歩」を踏み出したために、簡単に破滅させられるようなものが
それこそ普通に、自分たちの周囲にあふれている世界。
さらに自らアクセスしなくても
携帯やスマホには、煽情的なメールや儲け話への誘いが送りつけられ
あるいは振り込め詐欺やオレオレ詐欺のように
もう一つの世界が、こちらの世界に否応なく進入してくる
そういう時代なのだということをちゃんと理解する必要があります。
「悪の法則」という映画は
主人公が悪人に追われて、派手な銃撃戦があって
カーチェイスがあってという映画ではありません。
何とか助かろうとする主人公は
助けを求めた人間たちの言葉によって
自分が何をしたのかを
そして自分がおかれた状況を思い知らされていきます。
主人公が最後に助けを求めたメキシコの有力者は言います。
「自分が置かれた状況の真実を知るべきだ。犯した過ちを取り消そう
とする世界は、過ちを犯した世界とはもはや違う。
選択はずっと前に行なわれたのだ」と。
主人公にはもはや助かる道はどこにもないわけですが
実は、それは最初から分かっていたことなのだと
選んだのは他ならぬ自分自身なのだと
映画の登場人物たちは、繰り返し語るのです。
その中で、主人公だけが、最後まで「まだ何とかなるのではないか。
何か道があるのではないか」とすがる姿が哀れです。
この映画自体は「こういうことをしたらだめですよ」というような
道徳的、教化的な映画ではありません。
こうしたらこうなるという現実だけを、否応なく突きつけてきます。
その凄まじさは、とても健全な青少年に見せられるような代物ではありません。
なにせ、あのブラピが首ちょんぎられますから。
整合性のないところや、明らかに説明が不十分で
意味がよくわからないところもありますが
そんなことを気にしなければ、すごく面白い映画でした。
たくさんの人は「決められたことをちゃんと守って真面目に暮らしていれば
幸せになるはずだ」と信じて、普通は毎日一生懸命に生きています。
けれども、そんな日常でも、「ほんのちょっとした出来心」で
踏み出してしまった一歩が、本人や、時には家族までを地獄の底に落とす。
そういう不条理な現実は、回りに幾らでもあるということです。
ダンナのギャンブル依存症の問題で
精神的に極限まで追い詰められた私が、それでも何とか持ちこたえた
理由の一つは、ギャンブル依存症を生んだ社会の仕組みというものを
ある程度理解できたことが大きかったと思います。
本当なら、裏の世界のものであるはずだった賭博場が
いまや全国津々浦々に存在します。
それによってたくさんの人間が悩み、苦しみ、破滅していきます。
スマホや携帯に送りつけられる怪しいメールや動画は
相手が青少年であろうがなかろうがおかまいなしで
しかも始末が悪いことに、送り手が誰であるのかすらわかりません。
とんでもなく理不尽な話ですが、でもそれが現実です。
ひとりの人間に、それをどうにかすることなんかできません。
身もふたもない話ですが、すべてどうしようもないことなのです。
若者が、薬物やギャンブルに手を出すこと、お酒やネットに惑溺することに
歯止めをかけなければいけないのは
それが「いい高校へいけない、いい大学にいけない、ちゃんとした大人になれない」
というレベルの話ではなく、誰にもどう助けてあげることもできない
戻ることができない世界への片道切符になるからです。
そうならないためには、とにもかくにも最初の一歩を踏み出さないことです。
「何も楽しいことがない」「家でも職場でもストレスばかりで
気分転換にスカっとしたい」「ちょっとくらい遊んだっていいだろう」
そんな、それこそ軽い気持ちで足を踏み入れた場所は
初めは、楽しいパラダイスのように見えていても
実は浮かび上がることができない底なし沼で
あんなにイヤだと思っていた元の世界にいたほうが
何百倍、何千倍ましだったと気づいた時には、すべてが手遅れ。
私たちはそういうものに囲まれて、日々生きています。
川崎の事件では、被害に会った子供さんも親御さんも
この世界には自分たちの想像も及ばないような人間がいるということを
そういう人間が自分たちのすぐ身近で生きて動いているということを
おそらく想像もされていなかったのだと思います。
けれどそれが私たちが生きている社会の現実なのです。
「悪の法則」の後に観た「アメリカン・ハッスル」という映画では
(いったいどれだけ観てるんという話ですが)
ある都市の発展と雇用促進のために、市にカジノを建設する話を持ちかける
怪しいコンサルタント(実はFBI)が、その市の市長と大物議員との
収賄を取り持ち、さらにそこに大物のマフィアも絡むお話でした。
「問題があれば私たちが何でも解決しますよ」という
マフィアの顧問弁護士(怖い、怖すぎる 笑)
けれども、世界はこんな風にできているのだということは
何からでも学ぶことはできます。
そして、たとえフィクションの世界とはいえ(これは実話物でしたけど)
それをこうして表の世界に出せるところに
私はまだしもアメリカの健全さとか良心を感じるのです。
まあアメリカの場合は、マフィアや麻薬カルテルよりももっと巨大な裏の勢力があって
それに関することには誰も触れないという話なのかもしれませんが。
ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます