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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

親の教育力

2015-08-21 10:57:11 | 社会・生活
また中学生が被害者になる痛ましい事件が起こりました。
こういう事件で、被害者とかその親御さんを批判するような発言をすると
不快に思われる方がおられることは分かっていますが
これはいじめの問題や、子どもたちのスマホ依存にも関係がありますので
思ったことを書いていきます。

事件のことを知った時に、私の頭にまず浮かんだのは
「中学一年生の女の子が、夜中に町を徘徊してるってどういうこと」
という疑問でした。これは実は川崎の事件の時も思ったのです。
私が育ったのは昭和で、親も昔の考えでしたから
夜出かけられるようになったのは高校生になってからでした。
そしてうちの子どもたちも、中学までは
夜遊びに行くにしても、誰とどこに行くとか、帰りは大体何時になる
といったことは、親に伝えて出かけていました。

私は子どもたちが勉強をしないとか、テストの点数がどうだとかいうことについて
注意したり怒ったりしたことはほとんどないし
それぞれの趣味や、プライペートな行動に口を出したり制約したこともありません。
けれどそれはそれで、大人になったから、奔放すぎて
開いた口がふさがらないようなチョンボもあったので
けして自分の育て方が良かったとは思っていません。

第一私が子どもたちに指示や命令をしない理由は
私がとても愛情深い優しい人間だからではなく
自分がむやみに人から指示されたり命令されたりするのが大嫌いだから
自分が嫌なことは、ダンナや子どもたちにもしないという
ものすごく個人的な理由によるものです。

というわけで勉強や趣味にはいっさい干渉しませんでしたが
小学校から中学まで、子どもの健康と安全にはかなり神経質でした。
小学校までは、家族で夕食を食べるのが普通だったので
中学で、部活で帰りが遅くなった最初は
男の子なのに、通学路の途中まで様子を見に行くほど心配症でした。
娘のほうは20才まで、バス停まで迎えに行ったりしたこともあります。

私はその辺は、すごく怖がりで考え方も古いのだろうと思います。
ですから最近の事件で、中学生の子どもが夜中に出歩いて
事件に巻き込まれるという話には、ものすごく違和感を感じてしまいます。
確かに中学生になると、小学校の時よりさらに親の言うことを聞かなくなります。
だからといって放置していいということではないと思うのです。

長年地域の役員などをして
親御さんには幾つかのタイプがあると思いました。
子どもさんを放任する親御さんには
「うちの子はちゃんとしてる。しっかりしてるから大丈夫」という
我が子信頼型があります。
これにはご自身の教育に絶対の自信を持っているという人もいますが
兄弟関係も影響していて、上に年長の兄弟がいる親御さんは
上の子で、たいていのことは経験しておられますから
下の子どもさんに対しては、概しておおらかになります。
「そんなに心配せんでも、何とかなるよ」という感じです。
それと、勉強とか部活をちゃんとやっていれば
日常生活については、いっさい関知しないみたいな方もいます。

他には、ご両親ともそれなりに責任のある忙しい仕事をされている場合や
経済的に大変で、長い時間仕事をされていて
子どもの学校の行事などに関わる時間がまったくないという場合もあります。
けれどそういう親御さんでも、可能な限り子どもや学校生活に関わろうという
意識のある方もおられますし、反対に完全に無関心という方もいます。

小学校や中学校の難しさは
親も子どもも、こういう、それはもう色んなタイプが
ごっちゃまぜになっている点がとても大きいと思います。
これが、例えばスマホの利用の仕方といった
生活面で一定のルールを作る必要がある時に
意見をまとめることがとても難しくなるし
仮にルールを決めたとしても
保護者会にも出ない、プリントも見ない
そもそも親も子供も「そんなの関係ねぇ」みたいだと
作った規則も、まったく意味をなしません。

しかも中学生くらいになると、子ども社会では
ルールを守らないほうが大人っぽい、カッコいいみたいな
まるで裏社会みたいな価値観が幅をきかせ
ルールを守ろうとしている子どもたちまでが
間違った同調圧力に巻き込まれてしまう。
こういう状況は
いじめの中の一部にも、スマホ(Line)の長時間利用の問題にも
小中学生の夜遊びなどの生活の問題にも
色々なところに影響していると思います。

小学校や中学校での子どもの問題行動の背景には
実はこのような親の問題があることも
案外多いのではないかと思えます。
ですから保護者同士で同じ価値観を共有することはとても難しいのですが
こうしたことに、個々の家庭でマイルールを持ち
親が、自分が正しいと思うことを子どもに伝えることは
私は大切なことだと思います。

ですから私がもし今子育て中だったら
「こういう事件は、こんなに物騒な世の中なのに
夜中になっても、我が子の安否を確認せず
子どもを探そうともしない親にも大きな問題があると思う。
第一そういう時のためのスマホじゃないのか。
夜中の12時になって、子どもがいないんだったら
あらゆる方法で子どもの無事を確認するべきだし
首に縄をつけても家に連れてかえるのが本当。それをしないなら
ある意味自業自得と言えなくもない」くらいのことは言うと思います。

さらに私は昨今のアイドル隆盛の世相についても
「中高生の女の子に、パンツが見えるようなスカートはかせて労働をさせ
大人たちが金を稼ぐ、それを容認し、憧れたり真似したりする風潮が
子どもたちをロリコン的な性犯罪に巻き込む大きな要因にもなっている」
みたいな話もして、たぶん家族のひんしゅくを買います。

子どもにああしろ、こうしろみたいな指示や命令をしたことはありませんが
自分が「こうあるべき」と考えていることについては
きれい事で済ませることはしません。
たとえ家族が「そんな極端な」と思おうが
「お母さんは古い」あるいは「お母さんはひどい人だ」と感じようが
自分がこうと思ったことは言います。
それが正しいのか正しくないのかは
子どもが自分で考える、それが大事だと思えるからです。




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