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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

なぜブログを書き続けるのか

2011-09-18 09:07:23 | 依存症
このブログを読まれている方は「なんや、このおばさん
原発のこととか政治のこととか偉そうにあれこれ言って。何様なんや」と
感じられるかもしれない。
前にも書いたが私はもともとダンナがギャンブル依存症と分かるまでは
そういう病気があることも、そんな病気になるパチンコが
どういうものなのかも何ひとつ知らなかった。

子育てをしている間、休日になると昼間数時間買い物や
公園などに付き合って家まで私たちを送って
必ず「ちょっと出かけてくる」といなくなっていたダンナ。
たぶんパチンコだろうなとは思っていたが
私の中でのパチンコのイメージは昭和50年頃の
千円とか二千円で玉を買ってハンドルを手で回していた頃のまま。

借金という話が出始めたのが今から十二、三年前。
そこから坂を転げるように、返しては数年経って
更に借金が増えを繰り返し
四年前に債務整理に着手して初めて全てを知った。

1990年以降CR機という機械が導入されて
プリベートカード式から現在は台の横の機械に現金を直接
挿入する方式になっており
CR機が導入された当初はどうやら十万円を軽く越えるような
大当たりがあってこの頃から病気としての
ギャンブル依存症が多発し始めた。
それまで主に中年のサラリーマンの遊びだったパチンコが
その後十年ほどの間に主婦や学生などにも広がり
当然のことながら依存症の患者も男女や年齢を問わず
本人たちが病気だとは自覚しないままにあらゆる層へと拡大していった。
ネットでウィキペディアだけを見ても
その経緯や警察庁など政界との関わりの概要が分かるが
とにかく私はそういうことについて何一つ知らなかったのだ。

そして私は知らないことがどれほど恐ろしいかということを
ダンナが一生完治することはないと言われる
ギャンブル依存症という病気になって初めて身に沁みて知った。
政治が決して庶民のためになることをやっているわけではなく
国民を傷つけ苦しめるようなことだって平気でやるものだ
ということも。

だから今回の原発の事故についても
根っこにあるものは同じだと感じたのだ。
政治家や官僚や大企業が、自分たちの保身と利権利得のために
言うべきことを言わず、するべきことをせず
たくさんの人たちを被爆させ
海や大地を汚染させて大きな被害を生んだと。
そういう社会の仕掛ける陥穽はいまや至るところにある。

何よりも事実を知らなければ自衛することができない。
それが私がこのブログで身の程知らずにも
政治や社会に言及し続ける理由でもある。
ギャンブル依存症は身近に依存を助ける共依存者がいるから
などという極めて狭義の解釈を私は認めない。
決して家族だけが悪いわけではない。
そういう仕掛けを作って助長してきたシステムの問題なのだ。
現に韓国ではだいぶん前に
「社会生活への影響が大きい」ことを理由に
法律で禁止され店舗も撤去されている。
政治が本腰を入れさえすれば
なくしてしまうことだってできないことではないということは
韓国の例で証明されているのではないか。

しかし日本では業界の衰退を食い止めるために
「1円パチンコ」という少ないお金でも遊べる方法が考案され
とにかくパチンコをしないことだけが
ただ一つの回復の方法である患者を
何とかパチンコから離れさせない手段が講じられていて
水面下では規制を緩和する法律や換金の合法化、業界の上場など
完全に逆行する気味の悪い動きが続いている。

国にはお金がないと言い、増税と言うが
生活保護費や年金を受け取ったその足で
ギャンブルをしに行く人も多いという話を聞く。
何のことはない。税金をあの機械に捨てているだけのことだ。
被災地でパチンコが人気というニュースも見かけた。
仕事がない、楽しみがないということで
失業手当や補償金を捨てにいくようなことはどうか止めてほしい。

軽い気持ちで始めたことが
ギャンブル、借金、犯罪と連動していくことも
アルコール依存、セックス依存、薬物と
取り返しのつかない負の連鎖に陥ることもある。

本人に病気だという自覚がなく当面有効な治療法もないから
状況はごく短い間に際限もなくわるくなる。
やがては自分自身だけでなく家族や自分の身の回りの人たちを
終生続く煉獄に突き落とすことにもなるということを
とにかく知ってほしいと思う。