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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

多様化する依存症

2012-10-07 14:10:41 | 依存症
先日TVを見ていたら「アバター依存症」という
聞き慣れない言葉を耳にした。少し気になって調べてみると
どうやら携帯のソーシャルゲームへの依存症らしい。

ニュースの特集では、その依存症になった高校生が
「一日40時間もゲームから離れられなかった」と話していた。
ずいぶん前から感じてはいたが
TV,PC,そして携帯、これらのツールを媒体にした
依存症が水面下で激増していることは想像に難くない。
しかも依存症にかかる年齢層がどんどん低下している。

少年はゲームにのめり込んでいった動機を
「高校の部活で、なんかうまくいかなくなって」と語り
「ゲームの世界で自分の分身であるアバターが勝つことに
強い快感を感じた」というような説明をしていた。

しかし携帯のソーシャルゲームも、どうやら最初は無料だが
ステージが上がるにつれて、勝つために必要なアイテムを入手するには
お金がかかる課金制になっていて、次第に金額が増えていく点では
ギャンブル依存症となんら変わるところはない。

今や携帯が小学生にまで普及し「スマホを持たざる者は
人にあらず」的な風潮まで蔓延し、猫もしゃくしもスマホ、スマホである。
携帯はパチンコ屋よりも更に手軽で
それこそいつでもどこでもできる手軽さは
依存症の助長という側面から見ればもはや空恐ろしい。

依存症に陥るきっかけは、ゲームもギャンブルも
おおむねある種の「挫折感」や「無力感」であろう。
「何も楽しいことがない。何もいいことがない」
それに不満を感じている人間がゲームやギャンブルで
勝利の快感を感じ、ギャンブルでは大金を手にすると
再びその快感を味わいたいという衝動をコントロールすることが
できなくなって「依存症」にかかるというプロセスなのだ。

そしてひとたび依存症の領域に踏み込んでいまうと
回復に向かうことは容易ではない。
依存しているツールを取り上げるといった
安易な方法で簡単に回復できるような病気ではないのだ。
こういう事態の深刻さを一体誰がどの程度認識し考えているのか。
心療内科医やカウンセラーといった専門職の人たちもいるが
彼らの既存の知識では対応できないほどの勢いで次々に発生し
増加していく新種の依存症に果たして対応できる道はあるのか。

先日「I'M FLASH」という邦画を観ていたら
藤原竜也が演じる新興宗教の教祖が
自分のボディガードをしている松田龍平に
「お前、人生楽しいか?」とたずねる場面があって
それに松田龍平が「人生ってそんなに楽しいもんなんすか?」
と答えていて、私は激しく彼に共感したが
「人生そのものに過剰に期待はしない。あるがままを受け入れる」
という認識があれば、少しは依存症にはなりにくいかもしれないと
思ったりはする。まあ、あまり参考にはならないが。

理性をなくした人間に未来はあるか

2012-08-16 07:38:34 | 依存症
私は右とか左とかいう話が嫌いだ。
先日ある本を読んでいたら「今はもう理智の時代ではない」という
言葉があった。本当にそうだと思う。

昨日は67回目の終戦記念日だったが、韓国の大統領の過激な発言が
波紋を広げている。少し前にはオリンピックの男子サッカーで、韓国の
選手の政治的なパフォーマンスが問題にもなった。ここへきて韓国が
急に特に領土問題などで、日本に対する姿勢を硬化させてきたのは
韓国大統領の選挙向けのパフォーマンスという分析もある。

こういう問題ではネットなどでは極端な差別的発言が飛び交って、それは
それで冷静さを欠いていると思える。現在パチンコ業界の経営者のほとんど
は、韓国か北朝鮮のいわゆる在日の人で、だからこの問題は当然ギャンブル
依存症の問題にも連動してくるのだが、そのことをあまりブログで書かなか
ったのは、ヒステリックな在日批判のようなものにある種の嫌悪感を感じる
からだ。

しかしこの数日の韓国の挑発的な動向を見ていて思うのは「なぜこうも
執念深いのか」ということだ。終戦からすでに半世紀以上過ぎている。
日本も広島や長崎に原爆が投下された日を迎えたが「アメリカが」と
いう発言をする人はほとんどいない。これは日本が戦争に負けたからとか
戦後アメリカに占領されて洗脳されたとかそういう理由ではないと思う。
あるがまま、流れるまま、恨まず憎まず争わずは、日本人の、特に庶民の
国民性のようなものだ。他者を恨んだり憎んだりしてどうなるものでも
ないという一種の諦観のようなものが日本人のDNAには根深く浸透し
ているのだと思う。昨年の震災の後の、日本人の冷静な行動が賞賛を
浴びたが、あれは道徳心というよりは、むしろこうした諦観や一種の
無常観の発現ではなかったかと感じられる。

しかし韓国にしろ中国にしろ相手方はそういうわけにはいかない。
「子々孫々までこの恨み晴らさずにおくべきか」という勢いなのだ。
まあ、つまるところ最後はお金という話なのだろうから
専門家の人が言うように「相手の挑発に乗って、同じ土俵で問題を
エスカレートさせるべきではない」というのは正しいのだろう。


だが民間の、私たち一般人のレベルでは、さすがにもう少し現状を
認識して、大手の広告代理店と韓国の芸能界が手を組んで仕掛けた
韓流ブームなんかに浮かれるのはそろそろ終わりにしてもよいのでは
ないかと感じている。受信料を払い、民放とは違って公共性の高い
NHKまでが韓流ドラマをいくつも放送し、批判的な発言をした
芸能人が芸能界を追放されるような現状は、この韓国の動向を
見ると、逆に日本のほうが常軌を逸しているように思われる。

同じ理由で先日佐々木奎一さんというジャーナリストさんのブログに
こんな記事があった。

「パチンコ(以下、パチスロ含む)の売上は1995年の31兆円超を
ピークに、06年に27兆4,550億円と微減傾向をたどり、パチスロ規
制が完了した07年に22兆9,800億円と5兆円弱下がったものの、不況
下の2010年時点でもなお19兆3,800億円もの売上を出す巨大産業で
1991年からの20年間の売上は実に539兆6330億円に達する。

 そもそもパチンコ依存症の人は、一体、どれだけいるのか。
厚労省が09年に行った研究調査によると、日本の成人男性の9.6%、
同じく女性の1.4%がギャンブル依存症という。単純計算で男性は
483万人、女性は76万人、計559万人。同書によると、そのうち約
8割(約447万人)がパチンコ依存症なのだという」

争わない温和な国民性はいいが、ここまでくるとお人好しの上に
馬鹿がつくのではないか。汗水たらしてきつい思いをして働いた
自分のお金を、自分たちの国を孫子の代まで許さないというような
人たちにせっせと寄進してどうするという話ではある。
その上に依存症になれば生活は困窮し、家庭は崩壊し、老後の
年金やら生活保護のお金(本来は私たちが納める税金や保険料)
までを際限なく上納し続けるというまさに地獄の無限ループでは
ある。依存症が一生治らないことを考えれば、これはカモになっ
ているという状況を越えて、一生搾取し続けられる奴隷の人生
なのだ。そこに自分の安定した幸せな未来は存在しない。

誰かがなんとかしてくれるとあるがまま、流されるままはいいが
少しは世の中で起きていることや自分の行動を冷静に客観的に見て
考えなければならない正念場にきているのではないか。政治が
動かないならば一人一人が変わることしか、方法はないのだと思う。


虐待とギャンブル依存症の深刻な関係

2012-07-31 15:26:45 | 依存症
先日NHKのニュースで児童虐待の増加を取り上げていた。
その中で虐待を防ぐ取り組みとして、問題を抱える人には、妊娠中から育児
の環境などについて聞き取りをして、例えば経済的に困っている(病院を
受診したり、出産に必要なお金がない。育児に必要な経済的な基盤がない)
人については、出産、育児ができる環境を整えるための公的な支援につな
げていく取り組みがされていることなどが紹介されてきた。

その中で目をひいたのは、聞き取り調査の時に「配偶者に、アルコール、
ギャンブル、薬物などの依存があるか」という項目があったことだ。
なぜかキャスターさんは「アルコール、薬物などの依存」とわざわざ
「ギャンブル」を飛ばしていたが。NHKなのになぜ?

ダンナがギャンブル依存症の場合、当然子育ては女性一人にかかってくる。
うちの場合も、休みになると申し訳程度家族サービスをして、家に戻ると
「ちょっと遊びに行ってくる」というのがお決まりのパターンだった。
ただ私は最初の子どもを産んですぐに、ダンナが会社の同僚たちと泊り
がけで遊びに行くという話になったときに「ああ、男というものは
そうなのだ」と計り知れない衝撃を受けた。もし母親が同じことをすれば
生まれたばかりの赤ん坊は死んでしまうだろう。子どもを産むというのは
そういうことなのに、男はそういう風には思わないのだ。それは目には
見えない精子一つでしか子どもとつながっていない、父親という存在の
どうしようもない軽さ、リアリティのなさなのか。その衝撃をくぐり抜けた
後に私は決心した。何があっても自分のこどもは自分が守ると。

だから休みのたびにダンナが遊びにいこうがどうしようが、それで夫婦
喧嘩をしたことさえなかったのは、すでに私が父親というものを完全に
家族から排除していた結果と言えなくもない。子どもの前で喧嘩をして
こどもたちに嫌な悲しい思いをさせたくない。ただそれだけだった。
そして、子どもたちが思春期に差しかかった頃には、私も子どもたち
もダンナが家にいないほうが家の中が明るく楽しく、そのいたたまれ
なさがさらにダンナの依存症を悪化させる結果にもなったのだと思う。
しかし人間は神でも仏でもない。そんなに誰に対しても優しく、心を
つくすことなどできるわけがない。だから後悔なんかしていないし、
そのことについてダンナに申し訳ないことをしたとは思っていない。
自分の行いが自分に返ってくる。即ち因果応報というじゃないか。

しかし人は十人十色。人によっては「夫は遊びにばかり行って
なぜ自分だけが子育てをしなければならないの」という不満が
子どもに向いていけば容易に虐待につながる。特にギャンブル
の場合は、お金の問題が絡んでくることも多いからさらに大変
さが倍増する。しかし子どもには何の罪もない。これだけは
はっきり言える。悪いのはどこまでもギャンブルという、まさに
出口のない泥沼にはまり込んだダンナなのであって、怒りや
不満の矛先を幼いこどもに向けるのだけはやめてほしい。

しかもそれで虐待をした場合、なぜか母親ばかりが責められる。
これは納得がいかない。虐待の原因を作った人間、問題の元凶
こそがむしろ厳しく責められるべきなのに、法律はそういう風に
なってはいない。まあ、調査項目の中に、ギャンブルが加わった
だけでもわずかばかり進展があったというべきか。

昔「皇帝ペンギン」というドキュメンタリー映画の中で
ペンギンのオスは、生まれてくる我が子のために餌を取りに行く
メスに替わって卵を抱き、吹きすさぶブリザードの中、自らは
120日間にも及ぶ絶食をして、ひたすら卵を温め続ける。
その姿を見ていて「こどものことより、自分が遊ぶほうが大事とは。
マジで人間はペンギン以下どころか最下等動物やな」
とも思ったことがある。

一握りの裕福な人たちは別として、この不況の影響はじわじわと
人々の心を蝕んでいく。満たされない人間の心は荒廃して
ストレスが弱い者に向かう。いじめも虐待も、根底にあるのは
そうした目には見えない不安や不満の表れなのだと思う。
しかし人間のそういう心理というのは、えてして
循環していくものだ。そういう行為をやる人間というのは
おそらく自らもなんらかの形でそうした悪意にさらされたことが
あるはずだし、被害者であった経験があるはずなのだ。
その本質的なところが解明されなければ何も良くなりはしないと思うのだが。

雨後の竹の子状態

2012-06-13 09:46:54 | 依存症
先週「コンプガチャ」という耳慣れない言葉を聞いた。
「射幸心をあおる」とか「規制」という表現もあったので
改めて調べてみた。

「コンプガチャ」「ガチャ」というのはネットでのカードゲームで
どうやらPCや携帯でアクセスしてカードを入手するというもの。
カードをめくるたびに課金され、レアなカードを入手するために
未成年者までが多額な利用料を請求され、どうやら国が規制に
乗り出したらしい。

少し前には「サクラサイト商法」というものがあって、例えば
占いのサイトから入ってしばらくすると「某有名芸能人の
相談に乗ってあげて」などと勧誘され、その芸能人とメールを
しているつもりで頻繁にメールをやり取りして利用料を請求される
もの、出会い系サイトで知り合った証券マンに「メール交換
してくれたらウン百万円あげる」と言われ有料サイトに導入されて
やはり多額の利用料を請求されたもの。

しかも前から気にはなっていたがやはりネットを舞台にした
新たな依存症が広がり始めているように感じる。
そもそもなぜこれほどに携帯一辺倒なのかという疑問は当初から
あった。私はアナログな人間なので、ビジネスマンならともかく
いまや幼稚園児までもが携帯を持つようない現今の風潮にはどうしても
なじめない。
安全性の面でこどもに携帯が必要なら必要最低限の機能だけを搭載した
子供用の携帯を作ればよいのではないか。携帯一つで音楽も聴ける
映画も観れる、ゲームもできる。次から次から色んな機能を搭載して
「人間は携帯一つあれば生きていける」みたいになるのは何かが
おかしい。第一あんな小さな画面で観るのを映画だなんて言わない。
しかも若い人が案外PCが使えない。今の時代どこで働いても最低限の
PCの操作ができるのは常識だが、それさえもままならない。

その一方でネットの防犯対策はおざなりのまま、まるで雨後の竹の子
のように新種のネット犯罪が生まれてくる。それに取り込まれて
新たな依存症も発生してくる。被害にあう年齢もどんどん低下してきた。
新種のネット犯罪はもはや私の想像する範囲をはるかに超えている。
「情報や知識を持っている人間が持たない人間から搾取する」
搾取だけですめばいいが、新しい依存症の病態やら全体像が
クローズアップされてくるとしても、
ギャンブル依存症の場合から考えても、五年後とか十年後で
しかもそれが脳の病気と分かっても何の規制もかからなければ
病気の解明もいっこうに進まない。
福島の事故は終息などしてはいないのに
国民の苦しみなどどこ吹く風で再稼動に舵を切る。
政治は自分たちの利益になる人間以外は守らない。
この国はそういう国で今はそういう時代なのだということを
肝に銘じて置かなければならないのだと思う。

「悪人」を観て

2012-05-22 13:09:38 | 依存症
週末に少し時間ができたので
ずっと観たかった映画「悪人」のDVDを観た。

福岡と佐賀の県境三瀬峠で起きた若い女性保険外交員の殺人事件。
出会い系サイトで知り合ったその女性をささいなきっかけで殺して
しまった長崎に住む土木作業員の清水祐一(妻夫木聡)。母親に捨てられ
祖父母に育てられた佑一は、祖父母の世話と仕事だけの毎日に鬱屈した思
いを抱いていた。殺人を犯して絶望する佑一の携帯に、これも出会い系
サイトでメールをやり取りした佐賀の女性光代(深津絵里)から突然
メールが送られてくる。ストーリーは、このどうしようもなく孤独な
男女の愛情と、破滅的な逃避行を主軸に展開するが、同時に殺人事件に
巻き込まれた加害者と被害者の身近な人々の深い悲しみを浮き彫りにする。

特に娘を殺された父親(柄本明)のセリフ。

「あんた、大切な人はおるね?その人の幸せな様子を思う
だけで、自分までうれしくなってくるような人たい。
おらん人間が多すぎるよ。今の世の中大切な人もおらん
人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、なんでも
できると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで
自分が強うなった気になっとる」

これは父親が、女性が殺されるきっかけを作った裕福な大学生に
復讐しようとする直前に言ったことばなのだが、この父親は
結局その男にスパナを振り下ろすことをせずに立ち去る。
女性の両親は娘を愛し大事に育ててきたが
女性は「殺されても仕方がないような」と言われるような
嫌な人間になっている。

原作の小説は、福岡と長崎と佐賀の三県を舞台に展開する。
登場人物たちの心理には地方都市のどうしようもない閉塞感
豊かなもの、洗練されたものへの憧れや劣等感が
複雑に影を落としている。

「かけがえのない」ものを持てない人間
誰からも「かけがえがない」と思われたことのない人間
あるいはそういう相手がたとえ身近にいても
そのことに気づけない人間
そのすべてが悲しく、またそういう人間たちが
誰かを悲劇に巻き込んでしまうのはやりきれない。

映画の感想からは大きく逸脱するが
残念ながらつらつらとこんなことを書いてみても
ギャンブル依存症の人がこんなものを読んでくれるとは
とても思えないし、たとえ読んでくれたとしても
それでギャンブルを止めてくれるとも思えない。

もとより天涯孤独で、たとえ借金漬けになったあげく
腎臓や肝臓を抜かれて東南アジアの川に浮かんでいようが
どうしようが、それでも自分はギャンブルだけが
生きがいなんだという人は別にそれでもいいと思う。

しかし家族があり、家庭があって
自分以外の誰かの人生に対して
少しでも責任のある人は
できることならギャンブルにはかかわらないで欲しい。
依存症はたった一度の大勝ちした経験でもかかる
一生治ることのない脳の機能障害で
覚醒剤などの薬物の依存症とまったく同じものなのだ。

だから恋人でも、奥さんでも、ご主人でも、子どもたちでも
あるいは両親でも、兄弟でも
とにかく誰か一人でも自分の回りに、傷つけたくない
悲しい思いをさせたくないという人がいるならば
どうか安易な気持ちでギャンブルに手を出すのは止めてほしい。
それで得るものは何も無く
失うものはあまりにも大きいのだから。








ギャンブル依存症とアルコール依存症

2012-03-18 13:46:08 | 依存症
帚木蓬生先生の「ギャンブル依存とたたかう」によると
欧米の統計ではギャンブル依存者の三割から五割が
アルコール依存を含めた薬物依存を合併しているということだ。
つまり二つの依存症はそれぞれが別のものだとは限らない。

近年飲酒運転による重大事故は後を絶たない。
飲酒運転の罰則が強化され、酒を飲んだら車を運転しないと
繰り返し呼びかけが行われていても飲酒運転がなくならない。

パチンコと酒は、他の依存対象に比べて
自分たちの身近にいくらでもあって
いとも簡単にやれるという共通点がある。
それでも去年の貸金業法の改正で総量規制が実施され
大手の消費者金融やカード会社、銀行などは
総額で年収の三分のまでしか借り入れができないようになった。
さすがにおよそ400万人と推測されている
ギャンブル依存症の人たちの全てが借金ができないからといって
ヤミ金に走ったり犯罪を起したりしたわけではない。

国民の約3%と言われる年収1000万以上の層は別にして
企業全体の98%を占める中小零細の企業で働く人たちが
1万円が30分でなくなるような遊びを
簡単にできるような状況ではなくなっている。
だから飲酒運転のニュースを見る度に
ギャンブル依存症からギャンブルよりはお金のかからない
アルコール依存症へ移行している人が
実はかなりの数いるのではないかと感じてしまう。

あれほど悲惨な飲酒運転の事故が起こり
飲酒運転の危険性が繰り返し報じられ
どれほど罰則が強化されても
飲酒をして運転する人は「少しだから大丈夫」
「自分が事故を起すはずがない」あるいは「自分は捕まるはずがない」
というとんでもない妄想に取り付かれているとしか思えない。
その思考回路は「大当たりさえすれば」という
どんな根拠もない妄想に憑かれてパチンコの機械に
どんどんお金を捨て続け
自分や家族の将来に対するシュミレーションがまったくできない
ギャンブル依存者と驚くほど似ている。

「飲酒運転を繰り返す人はアルコール依存症の疑いがある」
などと悠長なことを言っている場合ではないのだ。
法律で禁止されている飲酒運転を一度でもやったというのは
間違いなくアルコール依存症なのだ。
そして本当ならその背景にギャンブル依存症を含む
他の依存症の問題も絡んでいるのではないかということまで
包括的に検討され論じられる必要があるのだと思う。

どんな地方都市に行っても
普通の人々が普通に生活している地域のいたるところに
ギャンブル場が存在するという光景は
おそらく世界でも例を見ないと思う。
同様にアルコールも
これまたいたるところにあるコンビニと自販機で24時間売られている。
他にもネットやらゲームやら携帯やら
増え続け多様化しつづける依存症と依存者に比べて
依存症というものに対する
専門家や一般の人の認知度は驚くほど低い。

ギャンブル依存者本人のブログなどで
「スリップしちゃった。でも仕方ないよね。依存症だから」みたいな
軽いノリの発言を読むと正直吐き気がする。
そういうブログははっきり言って
パチンコに行ったことなんかがつらつら書いてあったりするので
百害あって一利なしでむしろブログなど書くのはやめてほしいと思う。
自分のやったこと、あるいはやっていることが
どれほど回りの人間を不快にさせ、傷つけているか
それがギャンブル依存者が自分の病気の真の忌まわしさに気づく
まずは第一歩なのだから。


「ギャンブル依存症の原因解明」への疑問

2012-03-13 08:36:44 | 依存症
少し前の話になるが「賭け事にのめり込みやすい人の脳が持つ特性を
京都大の高橋英彦・准教授らが発見」というニュースが出た。その概
要は次のようなものだ。

「高橋准教授らは20~40歳代の男性19人に対し、コインを投げ
て表裏を当てる賭けの実験を計画。もうけの幅を1万~10万円で設定し
もうけの額がどの程度なら参加するかを尋ねた。そのうえで、回答結果を
画像診断装置で調べた脳内でのノルアドレナリンの働き具合と比較した。
 その結果、もうけが「1万円」しかなくても賭けに踏み切る人は、
「10万円」であれば参加を表明した人に比べ、ノルアドレナリンを
吸収してその働きを止める物質が活発に働いていることがわかった。
 高橋准教授は「ギャンブル依存症は『賭け事を絶つ』ことでしか治療
できないが、原因物質が分かったことで、薬物治療の可能性も見えてきた」
と話している」

これはもうあちこちで指摘されているがこの実験の被験者がわずかに19人
というのは専門的に見てどうなのだろう。前にこのブログで書いたが
2010年の8月にNPO法人「依存学推進協議会」というのが
パチンコ機器のメーカー最大手マルハンがスポンサーとなって立ち上げられた。
この協議会の理事長は京都大学副学長の西村周三博士で、この協議会の
発足時にその西村副学長が「熱中が、活力ある豊かな社会につながる。
依存の本質を明らかにして、マイナス面の研究だけでなく『はまる』
ことのプラスの側面も広く研究していきたい」と挨拶したというのに
さすがに愕然とした覚えがある。
いや、だからどうというわけではない。ただの偶然の一致かもしれないが。

「賭け事にのめり込みやすい人の脳」という表現は、明らかに
そうした先天的な特性があるかのようなニュアンスが感じられる。
被験者の数もそうだが、この実験の方法もあまりにも単純すぎる
感じがする。たったこれだけのことで、「原因物質が分かった」とか
「薬物治療の可能性」とかに言及できるものなのか。

度々引用するが帚木蓬生先生は「ギャンブル依存とたたかう」の中で
「ギャンブル依存症」を「日本では表沙汰にされていない巨大疾患」
だと言われており、まずは実態を把握するためのサンプリング調査を
するべきと述べられている。ニューヨークでは1985年に千人
を対象にサンプリング調査が行われたとのことで、ほぼ同様の人口を
擁する東京都が同じく千人を対象にサンプリング調査を行えば、
大都市圏におけるギャンブル依存症の実数の概要を把握できるため
画期的な業績になると言われもいる。ギャンブル依存症の問題は
現実にはまだそういう段階なのであり、まずはそこからではないのか。

治療の問題と平行して帚木蓬生先生が提唱されるのが法的規制で
「諸外国でも、ことギャンブルに関しては厳しい政策と法的規制が
取られている。これはギャンブルに不可避的に付随する不健康な部分
反社会的な側面を、社会と国が体験的に知っているからでしょう」
とある。日本ではどうなのか。

昨日何となく国会中継を見ていたら環境大臣の細野さんが、パチンコ
業界の遊戯組合の理事長や、副理事長などの役員から同じ日に揃って
献金を受けているという事実が「名目上は個人献金になっているが
実質的な企業献金ではないか」と追求されていた。
こんな状況で何の対策も講じずにカジノまで解禁してしまったら一体
二十年後、三十年後はどういう状態になっているのだろう。









ギャンブル依存症の恐さについて

2012-02-29 15:38:58 | 依存症
四年前にギャンブル依存症という病気の存在を知った時
最初私はアルコール依存症のようにある程度長い間
ギャンブルをやり続けたことでそんな病気になったのだと思った。

しかし「ギャンブル依存とたたかう」(帚木蓬生著)には
たった一度の大勝ちした体験でギャンブル依存症になった
女性の体験談が実例としてあげてあって
自分の認識が間違っていたことを知った。
つまりギャンブル依存症は覚醒剤中毒と同じようなものなのだ。
たった一回の体験で一生その病気から解放されることはなくなる。

このところ被災地でパチンコが人気というニュースを見かける。
毎日新聞の記事からの抜粋で「店内を見渡すと300席以上ある
台の8割が埋まっている。7、8人に1人が大当たりして、出玉
の箱を何箱も積み上げていた。正午過ぎには、ほぼ満席になった。
ずっと打ち続けているお年寄りの台の上にある表示を見ると「大
当たり回数0回」。開店から3時間。30分1万円として推定6
万円は負けている。娯楽は数分、その後は大バクチの世界だ」とある。

3時間で6万円捨てるなどおよそ常識では考えられないが
それをやるのが依存症なのだ。しかしそのお金は補償金や
全国から寄せられた義捐金などではないのか。

長年、依存症の治療に取り組む田辺等・北海道立精神保健
福祉センター所長(精神科医)によると、災害後、被災地
でギャンブル依存症が増加することはよくあるという。
「ギャンブル依存症やアルコール依存症、また、その傾向
のある人は、被災生活が長期化すると症状の再燃や悪化の
リスクが高くなる。本来、自分が能力を発揮すべき仕事や
学業、家族関係が失われ、仮初めの生活をしている情けな
さや将来への不安などが長く続くことで、アルコールやギ
ャンブルを使いたい気持ちが高まる」ということなのだ。

希望を失くした人たちに襲い掛かるギャンブルの魔力。
しかしそこへ足を踏み込めば一瞬の快楽と引き換えに
終生治ることのない地獄へ引きずりこまれてしまう。

お金がなくなって生活保護を受けたとしても
年を取って年金を受け取るようになったとしても
右から左にそうしたお金をあの機械に捨てて
その先にあるのは自殺するか餓死するか
わずかな金のために犯罪を犯し刑務所に入るか
あまりにも悲惨な未来しか残らない。

去年の夏に大阪で起きた「一斗缶バラバラ遺体」の事件
事件を起した男はパチンコで400万円の借金が
あったということでやはりギャンブル依存症がらみの犯罪だった。
ギャンブル依存症が病気としてちゃんと認知されないことで
被害はどんどん拡大していく。
「ギャンブル依存とたたかう」の本の帯にはこうかかれている。

「このままでは社会の土台が腐っていく」



原点に戻って

2012-02-07 10:59:17 | 依存症
実は今年の正月から悩んでいた。
もともとはダンナのギャンブル依存症とそれが原因の借金で
五年ほど前から極度の欝状態が起こるようになった。

友人の勧めでダンナと一緒に司法書士さんを訪れて
それまでにできた借金を任意整理という方法で
100万円に圧縮して返済をする手続きをしていただいた。
ギャンブルでできた借金は基本的に自己破産は認められないので
これは当然の結果だったと思う。

任意整理をすることが決定してから3年
毎月約3万円、実際には3万づつを3ヶ月積み立てて
3ヶ月ごとに9万を返済し続けて今月で返済が終了した。
任意整理を始めてからギャンブル依存症が
治癒しない心の病気であることを知ったと同時に
すでに患者数400万人とも言われるこの病気を
引き起こした社会的背景(政界や警察組織と業界の利権構造など)
を知って個人の問題としてのギャンブル依存症と
社会問題としての側面の両方をブログに書き続けてきた。

そして3.11の震災があり原発事故があって
原発事故の背景にもギャンブル依存症を生んだのと同じ
政界や官僚らと大企業との利権構造があると感じた。
だがこの問題はさかのぼれば日本に原発というものが作られた
ところから始まっていて
現在は日本だけではなく日本に原発を輸出した国や
反対に日本が原発を輸出しようとしている国々といった
世界規模の話になってしまっている。
だから私のお粗末な頭で原発について書くと
話があちこちに飛んで結局わけが分からなくなるのではないか。
そのことで真剣に悩んだ。


テレビなどのマスコミは原発で起こっている現象を
極めて断片的に報道しているだけで
相変わらず政治と歩調を合わせて
「復興は順調に進んでいる」というイメージを発信し続けている。
それに東京電力が言うことは基本的に信用はできない。
3.11以降の悲劇の再来にならないためには
どうか正確な情報を得る努力
それにあまたある情報の中で
何が正しくて何が間違っているかを
見極める力をつける努力を惜しまないでほしいと思う。

そして私自身は今後は原点に返り再び依存症をめぐる
様々な問題について書いていこうと思っている。

依存症という名の怪物

2012-01-31 07:46:21 | 依存症
今月の給料で最後の返済をして
任意整理の三年間の返済が全て終わる。
ただ三ヵ月後には車の車検があるので
返済していた分とほぼ同額を積み立てて車検に当てるつもりだ。

借金がなくなるから気持ちが軽くなるかというと
人の心というものはそう簡単にはいかない。
ダンナと暮らしてきた34年間のうち
後半の二十年ほどは定期的に「実は借金が…」という話が持ち上がり
その都度顔から血の気が引き足元の地面が崩れおちるような
思いを繰り返してきた。

子どもが小さいうちは返済が増えた分を
自分の仕事を増やしてカバーしてきた。
子どもが大きくなってからは子どもたちの将来について
「もうあと何年かすれば進学の問題や
いずれは結婚という話も出てくる。
その時に親が借金まみれで子どもたちを
そんな親の不始末の巻き添えにするようなことは
絶対にできない」と説明も説得もした。
そういう道理がまったくダンナに通じてなかった時の絶望感。

さらにそれがギャンブル依存症という病気なのだとわかって
しかもこの病気が治らないものだと知った時の
何とも言いようのない暗澹とした思い。
長い間そうした実態の分からない不安にさらされ続けると
「また何かあるのではないか」という恐怖感から
抜け出すことが出来なくなる。

依存症の治療については
「借金の返済を手伝ってはいけない。
行くところまでいって本人が自分は本当にだめなのだと
底つき感を味わうことが病気の回復に必要」と書いてあり
それを手助けする人間は結局依存者と共依存で
そういう共依存者と一緒にいる限り
依存症は治らないという話を読むと
結局責任の半分は自分にあって任意整理をし
借金を解決したことがあとあと
ダンナの依存症を助長する結果を生むのではという
負の無限ループになってしまう。

配偶者が依存症と分かって
離婚を選択する人そうでない人様々だ。
私は離婚をしない選択をしたが
それは出来うる限りダンナに自分の病気を自覚してもらい
日々回復する努力を続けなければ
将来また子どもや親戚に迷惑がかかることになる
依存症とはそういう病気だと判断したからだ。
六十、七十を過ぎた親がギャンブルで年金も使い果たして
「ご飯が食べれない」と息子や娘に金の無心をする
そういう話もすでに私の知り合いにある。
自分の親に「飢えて死ね」とは言えず
結局ずるずると援助をしなければならない羽目になる。
知り合いの場合は家賃を滞納していると
不動産屋から連絡があって結局全額を肩代わりした。
試しにその知り合いに依存症について
簡単に説明してみたが何しろ彼女自身が
家族揃って趣味はパチンコという人なので
理解しているようには思えなかった。

「返済が終わったから使えるお金が増えるということではない。
今の状態では二人のうちどちらかが病気でもすれば
まとまったお金がないのだから
結局誰かにお金を借りるというような話になる。
とにかくもう誰にも迷惑をかけないように
ちゃんとお金を用意できるようにしていかなければならない」
そういう将来のことをシュミレーションする習慣や
自分以外の人間に対する配慮をする能力を
少しづつ身につけていかなければならないのだ。

浦沢直樹さんの「MONSTER」という漫画の中に
「人間の善悪の根幹を破壊する」という言葉がある。
ギャンブル依存症はまさにそういう病気だ。
「人間は何にだってなれる。だから怪物なんかになっちゃいけない」
ギャンブル依存症はたった一回の大勝ちした経験で
その病気になる。まさに覚醒剤と同じものだ。
だがそれで怪物になった患者を普通の人間に近づけていくのには
気の遠くなるような時間がかかる。
あなたは今ギャンブルに使おうとしているそのお金を
何かこどもが喜ぶようなものを買って帰ってやろう
我が子が嬉しそうに笑う顔がみたいと思うことができますか?

そう思えるかどうかが人間なのか怪物なのかの分かれ道なのですよ。

依存症の本当の怖さ

2012-01-08 14:12:50 | 依存症
昨年一般の人にギャンブル依存症の存在を
印象付けたのは大王製紙の元会長の井川氏が
子会社から多額の金の貸付を受けてそれをカジノで使ったという
事件ではないだろうか。
氏が子会社から引き出した金は80億を越える。
あまりにも金額が大きすぎて庶民にはピンとこない。

しかしこのようにギャンブルにどんどんお金をつぎ込むことだけが
依存症の症状なのではない。
一番深刻なのは、これだけの社会的な地位のある人間が
会社の金を自分がギャンブルをするために流用するという
明らかな違法行為をためらいもなくやってしまうこと。
東大出の知性も理性もまったく歯止めにならないことだ。

社会的にやってはいけないことへの認識が失われるから
容易に犯罪行為に走る。
ギャンブルをやりたいために、あるいはギャンブルでできた
借金の返済に追い詰められて、強盗、殺人、横領などを
犯す例は後を絶たない。

そしてギャンブル依存症の人間は
自分の周囲の人間に対する配慮が一切失われる。
たまに依存症本人の方のブログを見ることがあるが
ギャンブルできない苦しさなどはつらつら書かれているが
自分がギャンブルで借金をして
配偶者に大変な思いをさせたことなどに言及されている
ものはほとんど見かけない。

以前宮部みゆきさんは「理由」という小説で
一つの殺人事件が起こることで
どれほどたくさんの人が影響を受けるかを
ルポのような形式で丹念に書かれた。
また数日前オウム真理教の逃亡犯が逮捕されたが
彼が昔住んでいた土地の近所の人が
「親が大変だった」と回顧されていた。

ギャンブルが原因で犯罪を起して
自分の親兄弟や、配偶者や子どもたちがどういう思いをするか。
井川元会長の場合で言えば会社の信用はどうなるか
真面目に働いてきた社員たちへの影響はどうなのか
そういうことを何も考えられなくなるのが
依存症の本当の怖さなのだ。
つまりは人間性の欠如である。

以前死んでも肉親に遺骨の引取りを
拒絶される人たちのニュースを見た。
もちろんその全てがギャンブルが原因であるかどうかは分からない。
しかしギャンブルで多額の借金を作り
闇金の取立ての恐怖を味わったり家族が一家離散したら
たとえ血を分けた親子であっても
骨さえももう二度と見たくないという気持ちは
私には痛いほど分かる。
だから以前ダンナに「亡くなったお母さんが
こんな息子を産んで育てるのではなかったと
死んだ後でも土の下で泣くような人生を生きるのは
人間としてあまりにも悲しいと思う」と話したことがある。

そういう話が依存症の人間に
どこまで理解できるのかは私には分からない。
治るということのない依存症の人間の家族にとって
こんな風に毎日は
終わらない、どこまでも明けることのない夜みたいなものなのだ。



身近な人の笑顔のために

2012-01-01 08:24:24 | 依存症
新年明けましておめでとうございます。
昨年このブログを訪れてくださった皆様
本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

夫婦ともボーナスが出るような仕事ではないので
例年通り節約しながらのお正月の準備。
ダンナが会社の忘年会でデパートの商品券をもらったので
昨日珍しく二人で街へ買出しに行くことにした。

けれど都心の駅についてホームに降りた
私の目に飛び込んできたのは
ホーム中に吊り下げられている灰色の
パチンコの新機種の広告だった。

その異様さにはもう怒りというよりも唖然とした。
少し前に書いたが20年以上に渡って
ダンナのギャンブルと借金と
この数年はギャンブル依存症への対応に
神経を使いつづけているので
少しでもパチンコやスロットが絡むものには
気持ちが敏感に反応する。

TVのCMはもちろんプロ野球の球場の
メーカーの名前やドラマのワンシーンで流れる
パチンコ屋の場面。
先日NHKでも女性のパチンコ依存を特集していたが
ああいうドキュメンタリーや特集も
必ず冒頭はパチンコ屋のシーンなので
ダンナがいる時は見れない。
音や映像でダンナの脳がフラッシュバックを起こすのが恐い。

その私の目の前にこれでもかというほど吊り下がった広告。
その異様さに、これはもう悪意であり心理的なテロだと思った。
昨年は東日本大震災があり福島の原発事故があり
日本はまだ復興の端緒についたばかり。
そんな中お正月を迎えて初売りなどで
都心へ足を運ぶ人々の心が少しでも明るく上向きになるように
駅といういわば街の玄関はお正月らしい
明るい未来への希望を感じさせるものであってほしい。

そこが陰気な灰色の賭博の広告で埋め尽くされているなど
本当に信じ難かった。
流通業界も不況で派手に広告を打つような余裕はないのかもしれない。
対照的にパチンコ機器のメーカーは
少々の不況くらいではびくともしないくらいの
あり得ないほどの利益の蓄積があるわけだ。
そのことを改めて思い知らされた。

私鉄業界も喉から手が出るほど莫大な広告費が欲しいのも分かるが
それでも新しい年の初めに
ただお金にさえなればいいとこれほど視覚的心理的な影響を無視した
やり方をしていいものなのか。
それとももう誰もそんなことも考えなくなっているのだろうか。

こういう場面に遭遇すると
私は欝だから日本は本当にもうだめかもしれないと
またぞろ思ってしまうのだ。
これから正月休みを迎えるサラリーマンたちの足を
パチンコ屋に向かせようとする戦略なのだろうが
私は何かのサイトで見かけた「パチンコ屋は呪怨の巣」という
言葉が頭から離れない。
ギャンブルが原因で自殺したり一家離散したり
破滅した無数の人たちの妄執が澱んでいる場所だから
あそこに立ち入ると悪い不吉なオーラが取り付いて
人生が悪いほうへ転がっていってしまうというのだ。
あながち迷信だとばかりも思えない。

ギャンブルに捨てるようなお金があるならば
それで家族でおいしいものを食べにいくとか
子どもの喜ぶものを買ってあげるとか
身近に幸せが生まれ一人でも多くの人が笑顔になれることに
そのお金を使って欲しい。
ギャンブル依存症の人間と生きてきて
私は心の底から笑うということができなくなった。

正月のバラエティ番組の出演者や客席の笑い声は
何か遠くの星の出来事でも見ているようで
何がおかしいのか何故あの人たちは笑っているのか
まったく理解できない地鳴りのようなもので
すぐにうるさく苦痛なものになってくる。
いいことなど何もなくていいから
とにかく自分や家族に悪いことがおこらないように。
笑うことも怒ることも泣くことももうしたくない。
ただひたすら心が無であり空である毎日が過ぎればいいと思う。
どうかあなたの身近な人をそういう目にはあわせないでほしい。
そしてあなた自身も、あぶくのような幾ばくかの金や
ギャンブルで当たった時の刹那的な快楽と引き換えに
一生治ることのない業病を背負い込んで
こんな人間が夫で親でなければよかった
死んでしまえばいいのにと、自分の肉親や配偶者や
こどもたちに憎まれ疎まれるような人生を生きるような
愚かな道に足を踏み込まないでほしい。
代償はあまりにも大きいのだから。
新しい年を迎えて改めて心からそう願うのである。



被災地にカジノという話

2011-12-11 12:26:09 | 依存症
先日参議院の国会中継を見ていたら共産党の
大門という議員さんが被災地の宮城にカジノを作る動きの
真偽について質問をしていた。

国際観光産業振興議員連盟(通称カジノ議連)<会長古賀一成氏>
は2010年の春に結成された日本におけるカジノ合法化をめざす
超党派の団体で、国会議員70余名が参加し、設立時の役職者は
以下の通りである。(現在は多少変動しているかもしれないが)

会長/古賀一成(民・衆)
会長代行/岩屋毅(自・衆)
副会長/三井辨雄(民・衆)、下村博文(自・衆)、野田聖子(自・衆)
佐藤茂樹(公・衆)、池坊保子(公・衆)、下地幹郎(国・衆)、櫻井充(民・参)
幹事長/牧義夫(民・衆)
副幹事長/金田勝年(自・衆)、柳澤光美(民・参)
事務局長/鈴木克昌(民・衆)
事務局次長/山口壮(民・衆)、道休誠一郎(民・衆)、松浪健太(自・衆)
柿沢未途(み・衆)

私は今までこのカジノ設立の動きはパチンコ業界にとってはパイの
奪い合いになるので歓迎できないのではないかと思っていたが
大門氏の質問を聞いていてそれが間違いであると知った。

カジノができることによるパチンコ業界への大きなメリットは
カジノを合法化する法案といっしょくたにパチンコも合法化できる
可能性があるということ。
パチンコは賭博じゃないか、なぜあれが違法じゃないんだという声は
巷にもたくさんある。
しかし出た玉を得体のしれない商品(あれは骨董品らしい)に替えて
店の裏側にある小窓みたいな所(あそこが骨董屋だそうだ)で
買い取ってもらって現金に替えるという三店方式という
店で直接お金に替えるわけではないから賭博ではないという
(ああ、もう書いているだけでゲンナリしてくる)
本当に詐欺としか言えないやり方を政治家や官僚や業者が考え出して
これまでパチンコは賭博ではないとごり押ししてきたわけだ。
しかしこの論理は明らかに無理がある。
今の時代もう小学生だってこんな話にはだまされないだろう。
業界的には「賭博O.K」というお墨つきが喉から手が出るほどほしい。
だからカジノの合法化はまさに千載一隅のチャンスというわけだ。

大門氏の指摘によればカジノ議連とパチンコ議連のメンバーは
ほとんど重複していてしかもついこの前まで
野田内閣の現職閣僚が5名も名前を連ねていたらしい。
なぜか最後のひとり古川大臣は12月1日付けで
カジノ議連は辞任したと答弁してたけど
それってつい2、3日前の話じゃないか。
国会で追及されることになったのであわてて辞めたのか。

このカジノ議連が被災地にカジノを設立し
その収益金を復興財源に充てるという名目で
カジノ法案の成立を画策しており
背後で動いているのがパチンコ機器のメーカーという話は
ああ、やっぱり今の社会は大地震が起ころうが原発の事故が起ころうが
どこまでも金、金、金でもう骨の髄まで腐り果てている。
何が許せないといって厳寒期を迎えた東北では
今でも多くの人たちが想像できないほどの将来への不安を抱えながら
仮設住宅で暮らしているような現状なのに
裏では多額のお金が動き震災復興までもをネタに
自分たちの利得に結びつけようとする輩に
多くの政治家がこれまた自分たちの懐を肥やそうと加担するその下劣、醜悪。
私の欝はひどくなることはあっても治りそうな気がしない。

今まで調べてきた中でも確かにケタの違う収益を上げているのは
個々のパチンコ屋ではなくメーカーで
カジノを作る場合もメーカーはその機械を受注できる。
彼らにとってはパチンコもカジノも同じで要は儲かりさえすればいいわけで。

景気の低迷でパチンコをするような庶民の生活は苦しくなる一方。
依存症でなければパチンコからは足を洗った人も多いのではないだろうか。
かつて所得番付の上位にはパチンコメーカーの社長が名前を連ねていた。
パチンコ屋の経営者も大抵は
目を見張るような豪邸に住んで高級な外車を何台も保有している。
それだけ利益を上げることが出来て
パチンコをやる人が儲かるようにできているはずがないのだ。
少し冷静に考える人なら馬鹿馬鹿しくなってやめるはず。
かつて自動車産業と肩を並べ30兆円産業と言われた
(それもまともな社会ならあり得ない話なのだが)
業界の売り上げは少しづつ減ってきた。
だから次に狙うのは被災地の人たちに支払われた補償金なのか。
それに政治家が、それも全ての政党が手を貸しちゃあ終わりだろう。

「海外からの観光客を誘致」などときれい事の建前を並べても
大門議員が指摘するように日本人は立ち入り禁止というわけではない。
ラスベガスはかなり古くから住人のギャンブル依存症問題を抱えている。
依存症は一度なってしまったら終わりだ。
「ギャンブルがやりたい」という衝動に取り付かれて
家族のことも自分の将来のことも何ひとつまともに考えることができなくなる。
カジノ議連ではすでに仙台空港近くの工業団地計画地など
具体的な地名まで出ているようだ。
そういう話が出た地域の人たちは
ぜひきっぱりと反対拒絶してほしいと思う。
大門氏は最後に「政府においては賭博というようなおぞましい手段ではなく
もっとまっとうな方法で再生復興を進めてほしい」というような発言で
質問を締めくくっていた。
私は共産党のシンパなんかでは全然ないが、この発言については
本当にそのとおりだと心の底から思った。



女性のギャンブル依存について

2011-11-22 08:32:01 | 依存症
数日前に女性のギャンブル依存症の問題を
ニュースが取り上げたようで、それによると
推定の患者数は75万人ということだが
おそらく実際にはもっと多いのではないだろうか。

以前にこのサイトで紹介した帚木蓬生先生の著書
「ギャンブル依存とたたかう」という本のプロローグは
「ある主婦の転落」という副題で
女性のギャンブル依存症患者の軌跡がつづられている。

世間的に見ればむしろ恵まれた環境にあった
一人の平凡な主婦が夏の暑い日に何気なく
パチンコ屋に足を踏み入れたことがきっかけで
本当に怒涛のようにとめどもなく落ちていく姿
そしてその折々の彼女の心のあり様。

ギャンブルに関わらない人間が読むとまさに吐き気がするし
「なんで?」「分からない」と思うことばかりなのだが
私にそれが理解できないのは病気ではない人間が
普通の感覚や理屈で捉えようとするからで
依存症を理解するにはどうしてもそれが脳の機能に変化が起きて
自分をコントロールすることができなくなる
コントロール障害なのだという前提に立たなければならない。

自分の何をコントロールできないかと言えば
「ギャンブルをやりたい」という衝動をコントロールできない
全てはその一点につきると思う。
ただこの話を読んで私が本当に恐いと思ったのは
この女性が長い時間を経て依存症になったわけではなく
最初の大当たり、そのたった一回の快感と衝撃と記憶が
彼女の人生の全てを破壊しつくしたことだ。
どの時点で何をどうすれば止めることができたのか
そんなことを考えても意味がないという恐ろしさだ。
更に男性よりもむしろ女性がはまりやすいという意見もある。

他の口実を作ってギャンブルに行く
借金があるのを隠す、あるいは借金の額を実際より
少なく言うといった嘘も
回りの人間の気持ちをまったく理解することができなくなるという
人間性の欠如も
このコントロール障害から派生した症状として起こってくる。
依存症の人間は何よりもギャンブルができなくなることが
人生において一番辛いのであり悲しいのであり苦しいので
それ以外のことは何一つ患者の頭の中にはない。
そしてこの変化はドーパミンなどの脳内物質の
分泌の異常によって引き起こされる変化で
この分泌の異常を根本的に治療する手立ては今の時点ではない。
だからギャンブル依存症には完治するという結末はないのだ。

こうしたことが分かっていてそれでも
ギャンブル依存症の人間と暮らす生活は
まさに出口のないトンネルだ。
民放でCMが流れると心のどこかがびくっと反応する。
映画のワンシーンでパチンコ屋が映っても同じだ。
プロ野球の球場にあるメーカーの名前ですら
見れば気持ちがざわつく。
ほんのささいなきっかけでダンナの脳が
フラッシュバックを起すのではないかと恐怖している自分がいる。

深刻な精神疾患の症状はギャンブル依存者本人よりも
むしろ巻き添えになった家族のほうに出るというのも
ギャンブル依存症の抱える大きな問題だ。
最初に書いた女性はご主人に離婚を言い渡され
それでも両親や兄弟が借金の始末などをしてくれて
入院をしGAにも通って何とか再生の道を踏み出したと結ばれているが
自分だけでなくご主人や二人の子供
自分の両親と兄弟と関わった全ての人間を巻き込んで
払った代償はあまりにも大きい。
親や兄弟から「死ね」と言われるような人生
一生を賭けても償いきれないほどの被害を
周囲の人間に及ぼして生きる人生なのだ。

「ちょっとした気分転換」などと軽く考えないでほしい。
「借金がないから病気ではない」
「やめようと思えばいつでもやめられる」
すでに400万人を越えると思われる
ギャンブル依存症の人たちは
おそらくみんなそんな風に思っている。
自分ではそれが病気であることさえ分からない
ある意味人間の能力の範疇を越えた
とんでもなく恐ろしい病気なのだから。




なぜブログを書き続けるのか

2011-09-18 09:07:23 | 依存症
このブログを読まれている方は「なんや、このおばさん
原発のこととか政治のこととか偉そうにあれこれ言って。何様なんや」と
感じられるかもしれない。
前にも書いたが私はもともとダンナがギャンブル依存症と分かるまでは
そういう病気があることも、そんな病気になるパチンコが
どういうものなのかも何ひとつ知らなかった。

子育てをしている間、休日になると昼間数時間買い物や
公園などに付き合って家まで私たちを送って
必ず「ちょっと出かけてくる」といなくなっていたダンナ。
たぶんパチンコだろうなとは思っていたが
私の中でのパチンコのイメージは昭和50年頃の
千円とか二千円で玉を買ってハンドルを手で回していた頃のまま。

借金という話が出始めたのが今から十二、三年前。
そこから坂を転げるように、返しては数年経って
更に借金が増えを繰り返し
四年前に債務整理に着手して初めて全てを知った。

1990年以降CR機という機械が導入されて
プリベートカード式から現在は台の横の機械に現金を直接
挿入する方式になっており
CR機が導入された当初はどうやら十万円を軽く越えるような
大当たりがあってこの頃から病気としての
ギャンブル依存症が多発し始めた。
それまで主に中年のサラリーマンの遊びだったパチンコが
その後十年ほどの間に主婦や学生などにも広がり
当然のことながら依存症の患者も男女や年齢を問わず
本人たちが病気だとは自覚しないままにあらゆる層へと拡大していった。
ネットでウィキペディアだけを見ても
その経緯や警察庁など政界との関わりの概要が分かるが
とにかく私はそういうことについて何一つ知らなかったのだ。

そして私は知らないことがどれほど恐ろしいかということを
ダンナが一生完治することはないと言われる
ギャンブル依存症という病気になって初めて身に沁みて知った。
政治が決して庶民のためになることをやっているわけではなく
国民を傷つけ苦しめるようなことだって平気でやるものだ
ということも。

だから今回の原発の事故についても
根っこにあるものは同じだと感じたのだ。
政治家や官僚や大企業が、自分たちの保身と利権利得のために
言うべきことを言わず、するべきことをせず
たくさんの人たちを被爆させ
海や大地を汚染させて大きな被害を生んだと。
そういう社会の仕掛ける陥穽はいまや至るところにある。

何よりも事実を知らなければ自衛することができない。
それが私がこのブログで身の程知らずにも
政治や社会に言及し続ける理由でもある。
ギャンブル依存症は身近に依存を助ける共依存者がいるから
などという極めて狭義の解釈を私は認めない。
決して家族だけが悪いわけではない。
そういう仕掛けを作って助長してきたシステムの問題なのだ。
現に韓国ではだいぶん前に
「社会生活への影響が大きい」ことを理由に
法律で禁止され店舗も撤去されている。
政治が本腰を入れさえすれば
なくしてしまうことだってできないことではないということは
韓国の例で証明されているのではないか。

しかし日本では業界の衰退を食い止めるために
「1円パチンコ」という少ないお金でも遊べる方法が考案され
とにかくパチンコをしないことだけが
ただ一つの回復の方法である患者を
何とかパチンコから離れさせない手段が講じられていて
水面下では規制を緩和する法律や換金の合法化、業界の上場など
完全に逆行する気味の悪い動きが続いている。

国にはお金がないと言い、増税と言うが
生活保護費や年金を受け取ったその足で
ギャンブルをしに行く人も多いという話を聞く。
何のことはない。税金をあの機械に捨てているだけのことだ。
被災地でパチンコが人気というニュースも見かけた。
仕事がない、楽しみがないということで
失業手当や補償金を捨てにいくようなことはどうか止めてほしい。

軽い気持ちで始めたことが
ギャンブル、借金、犯罪と連動していくことも
アルコール依存、セックス依存、薬物と
取り返しのつかない負の連鎖に陥ることもある。

本人に病気だという自覚がなく当面有効な治療法もないから
状況はごく短い間に際限もなくわるくなる。
やがては自分自身だけでなく家族や自分の身の回りの人たちを
終生続く煉獄に突き落とすことにもなるということを
とにかく知ってほしいと思う。