近所にものすごく矢沢永吉ファンのお店があって、そこの料理はすごく美味しいのだけど、なんとも暑苦しいので、なかなか再訪できないでいた。
そんなある日、SONGSに矢沢永吉が出ていた。
ちょっと見るだけのつもりが、ぐいぐいと引き込まれてしまう強烈な魅力があった。
矢沢永吉は66歳だ。肉体的にもきつい部分が色々あるという。そりゃそうだ。ずっと若い自分でさえ、ちょくちょく調子が悪い。まして66歳。
ところが矢沢、とにかくパワフルなのである。インタビューからリハーサルから何から何まで、とにかくすごい熱量なのである。
テレビの画面で見ているだけでものすごいものが伝わってくる。
なるほど、これは好きになるのも分かる。僕も彼のCDをちょっとだけ持っているのだが、CDもいいけど、やっぱりライブなんだろうな、と思えてしまう。
一旦、僕の個人的な話になるが、比較的大きなプロジェクトの山場をふたつ越えたところで、体の調子全体がガクッと落ちた。
自分でも無理しているな、と思ったところで何とか乗り越えた後だったから、まあやっぱりな、という感じだった。
それで療養しながら色々なことを考えていたのである。これまでのことや、これからのこと。研究者としての生き方のこと。
ちょっと前に自分が思った以上に評価されて、それでこれからの予定が変わったりして、それも自分を見直すきっかけになった。
出ている成果とは裏腹に、正直、考えあぐねている。これからどうすべきなんだろう、と。
そんなときの矢沢永吉だったから、なんだかものすごく胃の腑にぐっときたのである。
SONGSでのインタビュアーの山田孝之とは同い年。だから、山田が矢沢にどう向き合うのか、すごく興味があった。
やっぱり矢沢の「成り上がり」を目指してギラギラしていた感じを、僕も山田も共有するのは難しい。
どうしてもどこかシニカルになってしまう。
ところが今時代は何周もして、逆に矢沢なのだと思う。
今はむしろ大きなことを言って、大胆にチャレンジすることの方が真正面にカッコいいのだと思う。
それで昨日はある研究会だったのだけれど、なんだろう、僕の業界も少しずつ世代交代しつつある、というのを感じたのだ。
中堅・若手と呼ばれていた先輩研究者たちが大物になって、僕が見てきた彼らの爆発的なクリエイティビティが少し弱まって、その分、社会的な役割を果たそうとしたりしている。
少し青臭い尖った、でもすごく才気ばしった論文を書いていた人が、なんだかずいぶんと丸くなったりしていて。
で思った。今だ。今から始まるんだ。と。
やっぱり、そんな時に矢沢だったのである。
面白いことを求め、とにかく走り続ける、とんでもないロックスター矢沢。
「ロックスター」という存在が完全に戯画化された時もあった。
ただの面白おじさんの位置づけになった時もあった。
でも、やっぱり矢沢はずっととんでもないエネルギーでロックスターだったのであって、そこに嘘はなかったんだろうなと。
で、思うのは、やっぱり自分のなかから爆発的なエネルギーが出てくる瞬間や場をとにかく作らなくちゃいけない、ってことで、それは確かに存在するのであって、それでこそ自分の生に熱が帯びるのだと。
僕は近づいている変化を怖がっている。でも、矢沢に倣って言えば、それがいいんだと。
自分が熱を帯び続けるために、新しいことをやるために、本当に自分がやりたいと思っているはずのことをやるために、その変化はとてもいいことなのだと。
矢沢は自分の故障した背中のことを例に、ダメなことや障害となっていることも、すべて予定通りだと言う。最前線で戦っている人には必ず何かある、それが普通なのだと。
だから、自分だって体調が悪くなったりしてもいいのだ。だって、矢沢がそう言っているんだもの。
矢沢永吉、ロックスター。
そんなある日、SONGSに矢沢永吉が出ていた。
ちょっと見るだけのつもりが、ぐいぐいと引き込まれてしまう強烈な魅力があった。
矢沢永吉は66歳だ。肉体的にもきつい部分が色々あるという。そりゃそうだ。ずっと若い自分でさえ、ちょくちょく調子が悪い。まして66歳。
ところが矢沢、とにかくパワフルなのである。インタビューからリハーサルから何から何まで、とにかくすごい熱量なのである。
テレビの画面で見ているだけでものすごいものが伝わってくる。
なるほど、これは好きになるのも分かる。僕も彼のCDをちょっとだけ持っているのだが、CDもいいけど、やっぱりライブなんだろうな、と思えてしまう。
一旦、僕の個人的な話になるが、比較的大きなプロジェクトの山場をふたつ越えたところで、体の調子全体がガクッと落ちた。
自分でも無理しているな、と思ったところで何とか乗り越えた後だったから、まあやっぱりな、という感じだった。
それで療養しながら色々なことを考えていたのである。これまでのことや、これからのこと。研究者としての生き方のこと。
ちょっと前に自分が思った以上に評価されて、それでこれからの予定が変わったりして、それも自分を見直すきっかけになった。
出ている成果とは裏腹に、正直、考えあぐねている。これからどうすべきなんだろう、と。
そんなときの矢沢永吉だったから、なんだかものすごく胃の腑にぐっときたのである。
SONGSでのインタビュアーの山田孝之とは同い年。だから、山田が矢沢にどう向き合うのか、すごく興味があった。
やっぱり矢沢の「成り上がり」を目指してギラギラしていた感じを、僕も山田も共有するのは難しい。
どうしてもどこかシニカルになってしまう。
ところが今時代は何周もして、逆に矢沢なのだと思う。
今はむしろ大きなことを言って、大胆にチャレンジすることの方が真正面にカッコいいのだと思う。
それで昨日はある研究会だったのだけれど、なんだろう、僕の業界も少しずつ世代交代しつつある、というのを感じたのだ。
中堅・若手と呼ばれていた先輩研究者たちが大物になって、僕が見てきた彼らの爆発的なクリエイティビティが少し弱まって、その分、社会的な役割を果たそうとしたりしている。
少し青臭い尖った、でもすごく才気ばしった論文を書いていた人が、なんだかずいぶんと丸くなったりしていて。
で思った。今だ。今から始まるんだ。と。
やっぱり、そんな時に矢沢だったのである。
面白いことを求め、とにかく走り続ける、とんでもないロックスター矢沢。
「ロックスター」という存在が完全に戯画化された時もあった。
ただの面白おじさんの位置づけになった時もあった。
でも、やっぱり矢沢はずっととんでもないエネルギーでロックスターだったのであって、そこに嘘はなかったんだろうなと。
で、思うのは、やっぱり自分のなかから爆発的なエネルギーが出てくる瞬間や場をとにかく作らなくちゃいけない、ってことで、それは確かに存在するのであって、それでこそ自分の生に熱が帯びるのだと。
僕は近づいている変化を怖がっている。でも、矢沢に倣って言えば、それがいいんだと。
自分が熱を帯び続けるために、新しいことをやるために、本当に自分がやりたいと思っているはずのことをやるために、その変化はとてもいいことなのだと。
矢沢は自分の故障した背中のことを例に、ダメなことや障害となっていることも、すべて予定通りだと言う。最前線で戦っている人には必ず何かある、それが普通なのだと。
だから、自分だって体調が悪くなったりしてもいいのだ。だって、矢沢がそう言っているんだもの。
矢沢永吉、ロックスター。
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