「フリースタイル・ダンジョン」について、ブームが陰ってきたという人がいるみたいだけれど、とんだ勘違いである。
番組の熱狂的なファンは相当数存在し、一般人から芸人さん、アイドルさん、俳優さんに至るまで沢山。
影響を受けたティーンたちは、遊びでフリースタイルをやり、場合によってはヒップホップアーティストのライブにも参戦している。
そのなかで、「フリースタイル・ダンジョン」の屋台骨となっているのが、ラスボスの般若だ。
この番組は、般若がラスボスとして、明確にその存在感を誇示していることによって成立している。
般若なしでは、この構造は成り立ちえない。
もしラスボスが鎮座dopenessだったら、どうだ!いや、逆に面白いけど!
では、般若をラスボス足らしめているのは何だろう?
そこが難しい。そこは色々ありすぎるから、何を言っていいのか分からなくなる。
彼のキャリア、生い立ち、作品、人間関係。もちろん、それが前提だ。
でも、そのうえでやっぱり言わなければいけないのは、あの肉体だ!
般若の肉体はすさまじい。
テレビで見ただけでも、オーラと迫力を放っている。
どんなトレーニングをしているのか見てみよう。
般若 2014.09.15 日比谷野音への道 CHAPTER 4
およそ4分以降の映像がトレーニングの模様だ。
完全に格闘家のトレーニング。
これは見せるための体づくりではない。
闘うための体づくりだ。
そのストイックさ、心身の強靭さは見ているだけで震えがくる。
ところで、なぜアイドルには水着審査があるのか?
私は長年疑問に思ってきた。
確かにアイドルは仕事によっては水着になるから、必要と言えば必要。
でも、水着にならないと分からないことってなんだろう?と思ってきた。
それについて、某アイドルプロデューサーがこう言っていた。
「見て元気になれる裸と、そうじゃない裸ってあるんだよね。」
僭越ながら、私もジムでトレーニングしている。
筋肉のトレーニングやランニングを週4で毎回1時間程度のプログラムとして、こなしている。
人生で運動なんて全然やってこなかったから、正直きつい。
心身の健康のためと思ってやっているが、徐々に変化する肉体に、だんだん独特な意味があることに気が付き始めた。
これまでは人の体型を見ても何も思わなかった。
ところが、今は人の体型を見ると、どんな運動・スポーツをやっているのか考えるようになった。
色々な人に聞いてみると、それぞれに特徴があり、非常に興味深い。
さて、もう一度般若の話に戻ろう。
要するに言いたいのは、彼の肉体の説得力、なのである。
あれは表面的なものを見せるための筋肉ではない。
もっと内面的な、研ぎ澄まされた精神を見せるための筋肉なのだ。
それは極めて野生的であるが、同時に修行僧のようでもある。
当たり前だが、野生動物の筋肉は凄まじいが、彼らは修行をしない。
フリースタイル・バトルは戦闘だが、言葉によるものだ。
言葉だが、身体的なアクションそのものでもある。
それは手紙やメールのやりとりではない。生身の人間の営為だ。
つまり、そもそもフリースタイル・バトルはアンビバレントかつ禁欲的な行為なのだ。
その行為の頂点に君臨すべき肉体とは、どういうものか。
それが般若の肉体なのだと私は思う。
彼の肉体以上に雄弁なものがあるだろうか、諸君!
番組の熱狂的なファンは相当数存在し、一般人から芸人さん、アイドルさん、俳優さんに至るまで沢山。
影響を受けたティーンたちは、遊びでフリースタイルをやり、場合によってはヒップホップアーティストのライブにも参戦している。
そのなかで、「フリースタイル・ダンジョン」の屋台骨となっているのが、ラスボスの般若だ。
この番組は、般若がラスボスとして、明確にその存在感を誇示していることによって成立している。
般若なしでは、この構造は成り立ちえない。
もしラスボスが鎮座dopenessだったら、どうだ!いや、逆に面白いけど!
では、般若をラスボス足らしめているのは何だろう?
そこが難しい。そこは色々ありすぎるから、何を言っていいのか分からなくなる。
彼のキャリア、生い立ち、作品、人間関係。もちろん、それが前提だ。
でも、そのうえでやっぱり言わなければいけないのは、あの肉体だ!
般若の肉体はすさまじい。
テレビで見ただけでも、オーラと迫力を放っている。
どんなトレーニングをしているのか見てみよう。
般若 2014.09.15 日比谷野音への道 CHAPTER 4
およそ4分以降の映像がトレーニングの模様だ。
完全に格闘家のトレーニング。
これは見せるための体づくりではない。
闘うための体づくりだ。
そのストイックさ、心身の強靭さは見ているだけで震えがくる。
ところで、なぜアイドルには水着審査があるのか?
私は長年疑問に思ってきた。
確かにアイドルは仕事によっては水着になるから、必要と言えば必要。
でも、水着にならないと分からないことってなんだろう?と思ってきた。
それについて、某アイドルプロデューサーがこう言っていた。
「見て元気になれる裸と、そうじゃない裸ってあるんだよね。」
僭越ながら、私もジムでトレーニングしている。
筋肉のトレーニングやランニングを週4で毎回1時間程度のプログラムとして、こなしている。
人生で運動なんて全然やってこなかったから、正直きつい。
心身の健康のためと思ってやっているが、徐々に変化する肉体に、だんだん独特な意味があることに気が付き始めた。
これまでは人の体型を見ても何も思わなかった。
ところが、今は人の体型を見ると、どんな運動・スポーツをやっているのか考えるようになった。
色々な人に聞いてみると、それぞれに特徴があり、非常に興味深い。
さて、もう一度般若の話に戻ろう。
要するに言いたいのは、彼の肉体の説得力、なのである。
あれは表面的なものを見せるための筋肉ではない。
もっと内面的な、研ぎ澄まされた精神を見せるための筋肉なのだ。
それは極めて野生的であるが、同時に修行僧のようでもある。
当たり前だが、野生動物の筋肉は凄まじいが、彼らは修行をしない。
フリースタイル・バトルは戦闘だが、言葉によるものだ。
言葉だが、身体的なアクションそのものでもある。
それは手紙やメールのやりとりではない。生身の人間の営為だ。
つまり、そもそもフリースタイル・バトルはアンビバレントかつ禁欲的な行為なのだ。
その行為の頂点に君臨すべき肉体とは、どういうものか。
それが般若の肉体なのだと私は思う。
彼の肉体以上に雄弁なものがあるだろうか、諸君!