それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

はろうぃん

2009-10-31 21:21:09 | 日記
今日はハロウィンらしいのだが、そういうわけで昨日はハロウィン・パーティがあったのである。

僕はパーティなどというものには行かないのだが、それは他の寮生も同じである。ただ違うのは、他の寮生のなかには友達などを寮に呼ぶことがあって、そこで簡単なパーティをするのである。

社交的な隣の部屋の女の子がカリブ系2世のイギリス人(男)と、フランス人(女)を連れてきた。

僕はもちろん関係なかったのだが、ひょんなことから↓
(インド人がフランス人の近くで僕にアルジェ問題を吹っ掛けたり、サルコジ批判をするというわけのわからない挑発のおかげで・・・)
僕もパーティに参加することになったのである。



男性の方はすでに何度かここにきていて、面識はあるのだが、第一印象は「細身だががっちりした黒人男性、アメリカ人?ヒップホップ80s?」であった。

要するにちょっと怖かった(笑)。ソウルミュージックをやっていたとは思えない発言。

ところが話してみると、ものすごく物静かで理知的、そして少し怖がり(これで怖がり友達になったわけであるが)。

何びとも話してみなくては分からないものである。

フランス人の最初の印象は非常に悪かった。ことによるとフランス人一般にそうなのではないか、と思うのだが、ちょっとぶっきらぼうな感じ。

ところが話してみると、これまた面白い人だった。ロンドンでベビーシッターをやった話とか、神秘主義的な話とか(神秘の国インドの男が黙っていないわけがない)とにかく盛り上がったのである。



話の内容はまあいろいろだったのだが、「酒と、たばこと、猫と、神秘主義」の話が多かったような気がする。ともあれ、とても良かった。

英語の勉強になった。

もうちょっと話せればよかった。勇気が・・・勇気が・・・足りない・・・。質問はいいんだけど、「面白い話をする」というのが難しいのである。エピソードである。

エピソードは多少あるのだが、これを話ということは、聴衆を惹きつけて3分くらい自分のペースに持っていくわけで、それには話のリズムが必要である。

しかし成長を少し、ほんの少しではあるが感じているのである。

一時間くらい会話していれば、エンジンがかかって(遅!!)リズミカルに話せるようになった(気がする)。ただ、まだ専門以外のボキャブラリーが足りない。



蛇足だが(そもそもこのブログが蛇足だが)、どういうわけか、夜中、他のパーティに行っていた中国人の女の子が友達に送ってもらってきたとき、その友達たちが僕のイギリス初日で大変お世話になった人たちで、驚きの再開を果たしたのであった。

これからまた会えるといいなあ。

面談

2009-10-29 19:07:07 | 日記
昨日の面談は一言で言えば、未来にとって良く、過去にとって良くない、という感じだった。

1か月やったことは悪くはなかったが、そう、もちろん無駄ではなかったのだが、先生たちがイメージしていることがなかなか理解できず、結果的に僕は違う研究を進めた。

総論をやれと言ったが、各論をやったみたいな感じである。

ただ、その総論もあまりにも広すぎて、どうにもならなかったわけで、なるべくしてなった感じはあった。

ふたりの指導教官は優しいので、理解を一生懸命引き出してくれたり、ものすごくフォローしてくれたりするのだが、その優しさに限度はあるのだろうか?

ようやく何を先生がイメージしているのか理解できたきたように思う。もしかすると、彼らの方も僕のイメージを理解できてきたのかもしれないが、いずれにしろ、今月は勝負である。

こちらの学問のやり方やイメージの仕方は、やはり僕の出身大学とは大きく異なる。その違いはとても細かいことの集積なのだが、それをなんとか体に吸収したい。

曖昧に言うなら、それは何が完成型かの違いであり、何を分析対象とし、誰を論争対象とし、何にひっかけるかということの違いなのだが、これではまだ伝わらない。

こちらで何かを書けば、こちらにいる人や同じ言語の国の人たちは読めるわけである。あるいは読むのを前提にできる。だから、論者を特定して論争をする意味がある。だから、理論や言説の状況をめぐって論争することには現実性がある。

もちろん日本でも、ある程度それは同じだが、論者を特定しても、その論者が外国人の場合、その論文は読まれない。

その結果、どうなるかというと、論文はより実証性に重きが置かれたものを重視する傾向が強くなる。論争や言説状況を分析し、その輪に加わるよりも、新しい「事実」を明らかにすることが重視される。

こちらでの完成型のイメージは日本でやると軽いと思われ、日本の完成型はこちらでは細かすぎると思われるかもしれない。

日本の研究の性質のいいところを生かしながら、なんとかやり遂げられればと思う。

難しい。でも、今は分かりそうな気がするんだよな。

インド、中国、日本

2009-10-27 08:00:07 | 日記
インド人の彼が来てから、英語で話す時間が異常に増加した。彼が話好きであると同時に、彼が輪の中心になるかたちで長話するようになった。

この寮で僕は英会話の劣等生である。完全なまでに最下位である。

しかし、それで落ち込んだことはない。そのつもりで来たからである。

むしろ、ずっと気にしていたのは、結局、勉強だけして引きこもっていたことである。研究が自分にとって最も重要なことであっただけに、会話は置き去りにしていたのである。

しかし、これは非常に問題だった。英語のスコアの問題はもちろん(スピーキングはありええないくらい低い)、研究会で議論に負けるようでは、何のために留学したのか。

インドの彼は私の救世主である。



今日は中国人とインド人と政治の話をし続けた。国際政治である。

なぜ中国人が靖国問題で怒っているか説明するために、ひどく時間がかかった。

古代の神道から、江戸、明治と歴史を説明し、その後、靖国神社の説明。

説明した結果、日本は何てひどいことをしたの!とインド人に言われたとき、ああ、これで彼の日本への信頼を破壊したのではないかと恐れたほどであった。

しかし充実していた。日本の植民地統治の思想についても説明できたし、オウム真理教のことも話せたし。

インドと中国の国際政治での張り合いはすごかった。インドと中国は最初から最後まで張り合っていた。

いかに優れた人材を輩出しているかで競争した後、いかに政府が腐敗しているかで競争し(病気自慢)、いかに少数派を弾圧しているかでののしりあい、そして、いかに反政府勢力を支援し合っているかでケンカしていた。

僕は英語の問題以前に、話しに割って入るのが難しいと感じた。英語での会話は常に競争である。自分の魅力を精一杯伝える。私の最も苦手な分野だ。練習が必要であるが、今はその時だと思う。

関係ないけど、農村の人が都市に戸籍を移せないのではないかと中国人に言ったあとの中国人の怒りようと言ったらなかったな。

お互いの曖昧な情報は、やはり最後は母国出身者の説得力に負ける傾向にあった。中国人やインド人とケンカするには、勉強が全然足りない。

三国会談は最後は友好的な関係に乾杯して終わるという、ありがちだが、大人のやり方で終わってよかった。



その後、イギリス人とインド人のハーフと、香港人が来て、議論はあらぬ方向へ。英語はどんどん速くなる。

突如、金さん銀さんの話を香港人にふられ、全くわけが分からないと思いながら、説明した。

このハーフとインド人はとても相性がいいようなのだが、面白い話自慢はとても良かった。ふたりとも表情豊かで声がでかく、ドラマティックに話す。勉強になる。
ロンドン訛りやスコットランド訛りの物まねは、一体どこで覚えたのか、ハーフに負けないほど、インド人はうまかった。



他にいろいろあったのだが、とにかく激しい速さで英語が流れ、僕は正直言えばたまに会話からおいてけぼりになりつつ、笑うところで笑えたので、まあなんとか良かったのかなと思う。

カナダで全く練習しなかったつけというか、千載一遇のチャンスが今ここにある。言語を習得する最後の年齢と言われてここに来た。

それほど上達はしないにしても、悔いは残したくない。



研究で言えば、今日は午前中、締切のレジュメを先生たちに提出。明後日再度面談。この1か月の成果をすべて書ききったと思うのだがどうか。

想いがこもってます。レジュメに。

洗濯を済ませて、午後からの研究会のペーパーを読む。非常に面白い。ゆっくりと消化し、ノートにエッセンスをまとめ、質問を考える。

研究会は発表者の英語が聞き取りにくい。これまではほとんど無理なく聞き取れた研究会だが(研究の英語は単語が入っているので理解できることが多い)、今日は難しかった。

ただペーパーを読んでいたので内容は分かる。

今日は本学の博士の発表。頭がよく、ポストモダンの理論好き。

面白いのだが、しかし実質的な調査、証拠が弱い。またあからさまな西洋中心主義。聞いててちょっと腹が立つ。これではポストモダンの意味がない!

でも勇気が出なくて質問できなかった・・・。これはいかん。

ちなみに、本学ではアホな質問をしてもぜんぜん空気が悪くなったりしない。良いことだ。僕の大学はなんだかんだ権威主義だなと思う。



そんなこんなで英会話の練習になった。

感じたことは、議論に負けないためには、一定の速度とある種のリズムでまくしたてる必要があるということである。

文法をゆっくりたどっていると遮られてしまう。

そのための技術をゆっくり頭に入れたい。今日は最後に少しうまくできた。

そしてもうひとつ、議論に負けないためには、たくさんの知識が必要ということである。

いつも目標にしているのは僕の先生だ。

いつでも彼ならどうするか、どう答えるか考える。

それを迷った時の道しるべにしている。



さてさて、研究を再開するか。

最近睡眠時間を削って英会話しているが、非常に元気である。

会話のおかげでストレスが少なく、気持ちがとても豊かである。

日本ではなかった生活を体験している。

何かもが新しい。

印度人来る

2009-10-22 21:38:20 | イギリス生活事件簿
もうすぐ一か月が経とうとしています。

生活のリズムは安定していて、研究は次の面談に向けて加速中です。

さて、今日「♪昔インドの偉い人・・・♪」と歌を歌いながら、カレーを作っていたところ、突如インド人男性が寮に入ってきて、「君はここに住んでいるのかい?」とたずねるから、「そうだよ」と答えると、「よろしく」と握手を求められました。

新しい寮のメンバーが来たのです。これで6人全員そろったのであります。

先日、中国内陸部(湖南省)から女の子が来たばかりなのだけど、さらに最後のメンバーが来たわけです。

カレーを作っていたのだけれど、これではインド人歓迎カレーのようです。といっても、日本のカレールーなのだから、インド人にとってはカレーの亜流というか、もはやカレーですらないのかもしれません。

ともあれ、自分以外の男の子がこれではじめてきたわけで、感慨深いものがあります。嬉しいんだけど、かえって面倒くさいきもする。分かりません。別に変らないのかもしれない、それが最も現実的な答えのような気がする・・・。

それと中国と日本という比較的文化圏の近い地域から、インド(カルカッタ出身)という南アジア地方の人間が来たわけで、アジアはアジアだけど、文化圏は少し遠くなったのであります。

僕にとっては到着初日にインド人とずいぶん親しくしていたから、インド人の印象はとても良いのです。歴史的にもインドと日本は近からず遠からず、中韓のような悲劇の歴史はなく、独立運動の活動家が日本に来ていたというくらいのものです。

ただ、インド人の生活スタイルについては、ここでは噂がいくつかあって、家族を呼んで、寮の定員を超えるひとたちが生活しているとか、インド料理のスパイスの香りがきついとか、インド人だけを集めた寮を作るために移転しているらしい、とか、不思議な習慣をインド人たちがとっているらしい、というのです。

ひとそれぞれだし、インドは何を隠そう多民族国家なので、インド人ひとくくりにはできないわけですが、どうなるのかはとても気になります。それにパキスタンと、バングラディッシュといった「元インド」の扱いも良く分からないし・・・。

ただ、冷蔵庫のものを買って食べるとか、飲むとかといった、非アジア地域の一部のひとたちの行動パターンをインド人がとっているは聞いたことが無いので、共存可能なのかもしれません。



最近、スーパーに行って、タオルケットや靴下やら、肉(大学内ではほとんどソーセージなどの加工肉しか手に入らない)やら魚(サーモンくらいしかなかったけど)やら、パンやらシリアルやらを買いました。で、たくさん冷凍しました。

決済にはクレジットカードを使ったわけですが、ポンド上昇以前だったので、ありがたかった。

本も最近、2冊買ったけど、これも上昇以前だったのでよかった。

まだ足りないものは幾つかあるのですが(例えばコショウ、ザル、大量の洗濯物を運ぶための丈夫な袋)、とりあえず、日本での生活を再現する環境にはなっています。




話がちょっととびますが、最近暖房が入ったのです。

こっちは暖かく、暖房もいらないなあ、と思っていたのだけれど、最近ちょっと冷えてきてこれはいかん、と思ったので、暖房を入れてもらったのです。

暖房は実質的にはもう入っていたのだけど、自分の部屋はまだ暑すぎるから止めていたのです。

ところが入ったとたん、外は寒い(といっても北海道より暖かい)のに、部屋は真夏です。

寝苦しい真夏です。

買ったタオルケットは、布団にかけるつもりだったのに、今ではそれだけで寝ています。いずれにせよ、買ってよかった。



研究と大学のことを少し書こうかと思ったのだけど、インド人が来たので、今日はその話になりました。こっちの方が面白いので良かったと思う。では。

研究、音楽、料理

2009-10-16 06:45:29 | 日記
こちらは少しずつ寒くなってきましたが、札幌より全然寒くありません。おそらく。

なんだかんだで、あたたかいブライトンで、私はあいもからぬ研究生活を送っていますが、考えてみるとまだ一か月経っていないという事実。

ドラゴンボールに「精神と時の部屋」というのが出てくるのですが、この部屋のなかでは通常よりも何倍も時間が経つのが遅いため、修行に時間がかかるときに主人公たちがここをしばしば利用したのです。

外国での生活というのは、私にとってはこの「精神と時の部屋」です。とにかく時間があり、研究する以外の選択肢が限られてくるので、否が応でも研究時間が増えるというおそるべき環境です。

文献はアクセスが容易なので、せっせと読んでいます。おかげで、苦悶しながらも研究テーマは徐々に絞り込めてきており、なんとか次の面接までには具体的な研究計画の話ができるようになれば、と思っています。



さて、そんななかでは、どうしても息抜きが必要ですが、目下最大の息抜きは音楽です。

とにかく、これまでの問題は楽器が無いこと。伴奏がないから、歌も歌えない(ことはないけど)。

そこで私はある日、パソコンがそのまま楽器になればいいな、と思い調べたのです。

すると、パソコンをシンセサイザーにする方法があるのです。

これは無料のプログラムをいくつかダウンロードし、組み合わせるというもので、ためしにやってみました。

小一時間でパソコンは使いにくいけれども、なんとか伴奏くらいは弾けそうなシンセサイザーになりました。

弱点は反応がにぶく、連打するとリズムがずれていくこと。

そうなると音を伸ばすしかないわけですが、今度はリズムが問題になります。

そこで今度は無料のリズムマシーンのプログラムをダウンロードし、そこでリズムを作り、シンセサイザーと組み合わせて伴奏にすることにしました。

これが思いのほか簡単で、すぐに幾つかのドラムのパターンを作ることができました。

ようやくこれで、演奏しながら歌うといういつものスタイルができるようになったのです。

ただ、そうなってくると、打ち込みで全部の伴奏の音を演奏するプログラムを作成するのと、どっちが良いのか難しくなってきます。

もしかすると、そっちの方が質としては高いものになるのかもしれません。ただ、目下、実験的にこちらでやっています。

場合によっては、全部組み合わせればよいのかもしれません。ともあれ、これで息抜きがしやすくなったわけです。



話は変わりますが、最近、ヒットした料理といえば、パエリアです。

小さな炊飯器(隣の部屋の子のものだが使用可)と、電子レンジ炊飯器(彼女から借りた)があるので、ご飯は炊けるのですが、パエリアが食べたくなったので、作れないものかと思案したところ、フライパンがパエリア鍋に似ている以上、フライパンでできると確信し、ネットで検索したのです。

すると、やはりレシピがいくつも存在するので、すぐにやってみたところ、これが非常にうまくいき、3回具材を変えて作った次第です。

ただ長いお米を使ったにもかかわらず、あのスペインの気候のようなカラッとパリッとした炊きあがりにならず、ちょっとべショッとなっているのが気になります。

これは今後の課題になりそうです。

といいつつ、最近はやはりちゃんこ鍋みたいなものや、炒め物をよく作っています。また大根が野菜市(週に一度大学内である)で手に入ったので、肉などと醤油で煮ました。

なんだか、あるものを醤油や味噌(ほか一切の調味料を入れない)で煮るというのが定着しつつあります。酒や砂糖も手には入るし、あるにはあるのですが、醤油や味噌だけの方が野菜のうまみ、肉のうまみが生かせることに気がつき(味覚がおかしくなっている可能性もある)、今はシンプルな料理に凝っています。

最近食べた小さな林檎もそうなのですが、おそらく、環境が変わり、食生活も変わり、ひとつひとつの食べ物に妙に鋭い感覚を覚えるようになっています。

酸味、甘み、苦味、渋み、うま味、塩気。素材というのは、かくも味のあるものか、と実感しているのです。

例えば、茄子。

茄子の味噌汁が自分はこんなに好きだったのか、と初めて気付いた25歳の秋ですが、茄子のうまみは信じられないほどあります。

ちょっと醤油や味噌で煮てみたら、すごい出汁が出る。

大根も実はそうで、なにかのうまみが出てきます。

玉ねぎやネギ、ジャガイモは相当なものです。

トマトに至っては、ちょっときつすぎるので、かえってあまり好きではなくなりました(でも、家のトマトソースが食べたい)。

面白いことです。新鮮な感覚・経験です。

ではまた。