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それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

理系と文系の「成果」についての相互の誤解

2018-05-08 06:45:25 | 日記
 日本の大学が、文科省の政策などを原因に没落し始めて久しいが、

 困ったことに、貧窮し始めた研究者がお互いにいがみ合う場面が見られるようになった。

 特に理系の研究者が、文系の研究者の様態を誤解したまま、少しズレた批判をすることが多々あって、非常に心を痛めている。

 そうした批判がなぜ出てくるのか、それらに理がないのか、などについてちょっとだけ触れておく。



1.ナショナルな影響

 文系の研究は、自分が所属する社会の影響を強く受ける。
 
 どういうことかと言うと、イギリスで重要とされる研究は、必ずしも日本では重要ではなく、

 日本で重要とされる研究は、必ずしもイギリスでは重要とされない。

 もちろん、これは理系でもありえることだろうが、文系の場合、これがかなり強烈だ。



 たとえば、法律について考えてみよう。

 イギリスの法律と日本の法律を比較する研究は当然存在する。

 しかし、日本の民法の細かい研究は、当たり前だが、イギリスではほとんど意味がない。

 悲しいかな、歴史的な経緯もあって、日本におけるイギリスの法律の研究以上に、イギリスにおける日本の法律の研究は価値がない。

 あるいは、軍隊の経営管理の研究も、同様に日本とイギリスでは価値が異なる。

 イギリスは世界各地で実践を経験しているため、軍隊の経営管理に関する研究には価値がある。

 ところが、日本は自衛隊が軍隊なのかどうなのか不明確なうえ、事実上、実践を経験していないので、(とりわけ学会では)軍隊の経営管理に関する研究にはまったく価値がない。

 

 だから文系の場合(一部の経済学分野などを除き、という注釈がいるが)、英語の学術雑誌の価値は理系の場合よりも、圧倒的に低いのである。

 要するに、文系の場合、普遍的に共通して重要なイシューが圧倒的に少ないのである。

 私自身、イギリスで博士号を取得するまでは、そのことを軽く見ていた。

 ところが、行ってみて、そして帰ってきてみて、二度のカルチャーショックを経験し、

 このことが研究者個人の行動にきわめて大きな影響を及ぼしていることが分かった。



 インターナショナルな査読論文というものはある。

 あるのだが、アメリカかヨーロッパのいずれかの社会的・学術的文脈を前提にしている。

 そこに投稿し、掲載されるのには非常に労力がいる。

 にもかかわらず、日本での評価にはあまりつながらない。

 それゆえ、海外博士号も研究の意義を日本の文脈に合わせてうまく売り込まないと、評価されないことも少なくない。

 私自身、この点ではやはり苦労した。



 だから、文系の場合、英語でアメリカかヨーロッパの「インターナショナル」な学術誌に投稿することは、

 注意深くやらないと、日本の学会での評価につながらないため、無駄骨になる。

 それゆえ、文系の研究者があまり英語論文を出そうとしないのは、出すことに強いインセンティブがないからなのである。

 ここが理系の研究とかなり違うところで、よく誤解されてしまう。

 でも文系の研究者が皆、サボっているのではない、ということは理解してもらいたい。



2.本の価値

 もうひとつ理系の研究者に批判されてしまうことがある。

 それが「本」をめぐる評価である。

 この点については、微妙に理系からの批判にも理があるのだが、以下に説明しておきたい。



 日本の学会特有の問題があって、それは「本」の評価が異常に高いことである。

 しかし、(日本の)学術本には査読(他の研究者からの審査)がない。

 にもかかわらず、ある特定の本は評価される。

 評価の基準は幾つかある。

 ①有名出版社かどうか

 ②何らかの学術賞を取っているか

 ③学会で評価されているか



 ①以外、すべて事後的な評価になる。

 そもそも有名出版社だったら、何なのか。

 いや、実はこれが事実上の査読なのである。

 有名出版社の場合、出版にこぎつけるには、複数の編集者による「査読」を通らなければならない。

 学術的な意義はどうか。そして、何部売れそうか。

 学術的意義だけでなく、商業的なハードルも越えなくてはいけない。

 英語の本の場合、商業的なハードルは若干低いのだが、研究者による査読がある(場合がある)。

 これに比べると、日本の本は実に奇妙な評価基準であると言わねばならない。

 しかし、日本式の有力編集者による「査読」は、かなり実を伴っている。

 それゆえ、実質的に機能している。だから、どうしても評価基準として捨てられないのである。



 もちろん、②・③は事実上のピア・レビューなので、納得してもらえるとは思う。

 ただ、ここで重要なのは、その価値を示すには、出版それ自体だけでなく、学会での評価を示す別の証拠を出さなければいけないということだ。



 本について、もうひとつ誤解されていることがあって、

 それは何かというと、論文に比べて、期待される内容のレベルが圧倒的に高いということだ。

 どういうことかというと、まず理系について考えてみたい。

 理系の場合、インターナショナルな学術誌のなかでも、ランクの高い学術誌での掲載は、自動的に価値が高いはずである。

 ところが、文系の場合、論文一本で明らかにできることに限りがあるため、

 どうしても最終的に本(モノグラフ)のかたちで論じることが求められる(一部の経済学や心理学などの領域を除く)。

 本(モノグラフ)の場合、要求される内容の量がとんでもなく多い。

 論文のなかでは簡単に触れるだけで済んだ部分も、長尺で論じなくてはならない。

 だから、誤魔化しがきかない。

 しかも、日経新聞を読んでいる層全体に理解してもらえるくらいの分かり易さを要求される。

 文系の研究の場合、広くエリートに理解してもらえることを目指す必要がある。

 本はその点、売れる必要があるため、必然的に分かり易くせざるをえない。

 それゆえ、文系の場合、本(モノグラフ)の評価が高いのである。



 理系の研究者から見ると、本の評価が高いことが理解できないため、

 文系の人たちが査読を嫌がって本を出していると誤解してしまうことがある。

 違うんだ、そうじゃないんだ。

戸惑いの冬

2018-01-19 12:21:06 | 日記
 大学の教員として、最も戸惑うことがある。

 それがゼミの学生が自分を慕ってくるという現象である。

 私はそれをどう理解してよいのか分からず、いつも困惑する。

 たぶん、これを読んでいる人は、私がなぜ困惑するのか奇妙に思っていると思う。

 それは私も同じなのだ。なぜ困惑しているのか分からず、ますます困惑している。

 そこで私は自分のために、なぜ困惑しているのか書く。



 今まで誰かに慕われた経験がまったくなかったわけではない。

 たとえば、研究者としてある程度のキャリアになってくれば、後輩も沢山できて、ひとつのグループになったりする。

 私も思いがけないことから、母校でもない場所でそういうことが起きて、凄まじくかわいがる後輩が何人かできた。

 彼らとの関係はきわめて強靭で、私の転出で涙が出てしまうくらいに強固なものだった。



 しかし、私はひとつも戸惑わなかった。

 それは私と後輩たちが同じ目標を共有し、同じような苦労を共にし、お互いがお互いを尊敬し、厳しく批判しあってきたからだ。

 突き詰めれば、研究という営為のなかで生まれた関係である以上、関係の強さは研究によって担保されている。

 彼らとの関係は、相互の研究を勉強しあうことで再生産される。



 ところが、ゼミ生というのは、これとは全く違う。

 ゼミ生は私の研究をよく知らないし、私がどういう努力を普段しているのかも知らない。

 一方、私はゼミ生と個別の面談をする限りにおいて、彼らを知っている。

 だが、それも限定的だ。

 要するに、お互いのことをあまりよく知らないのである。



 にもかかわらず、一群のゼミ生が私をやたら慕うという現象が起きる。

 なぜ彼らは慕うのか。

 それは大学という制度が私を「先生」という立場にしたからだ。

 その立場は、元をたどれば、研究業績や教育業績によって基礎づけられているものだが、学生はそれを知らない。

 つまり、彼らの「学生」というアイデンティティに不可欠の「先生」だから、とりあえず慕うのである。



 恐ろしいのは、4年生ともなると就職先も決めて余裕があるので、私に何か恩返し的なことをしてやろうと画策する輩が登場することだ。

 たとえば、3・4年生全体を集めたコンパを開いてきたりする。4年生は流石に賢いので、出席率を上げる工夫をするので、参加人数も多い。

 そこで私にサプライズのプレゼント的なものを仕掛けてくるのである。

 アカデミアのルールとして学生からのプレゼントは拒絶するのが常だが、こういう場を設定されると私も拒絶できない。



 しかし、その恩返しというのが不合理なのである。

 彼らは試験を受けて入学し、ちゃんと授業料を払っているので、私は一生懸命、授業をするのである。

 もちろん、各自の要望に応えるために、カリキュラム以上のゼミをしたり、長時間の面談も行ったりするが、それもすべて仕事なのである。

 だから、そもそも恩など生じないのである。



 私を人間として尊敬するなら、恩師という言葉も当てはまるだろうが、私は人間としてクズ野郎だし、彼らに尊敬されたくもないので、恩師ではないのである。

 私の恩師は人間として凄い人で、大学の研究者じゃなくても尊敬せざるを得ない人たちだから、当然彼らは恩師なのであるが、私は違う。

 

 そこでクズ野郎の私はこう考えてしまうのである。

 彼らは私を恩師としたい、そういう欲望があるのだ、と。

 つまり、自分がよい大学生活を送った、という確証を得るために私を「恩師」に仕立て上げざるを得ないのだ。

 よい先生に当たったから、よい就職ができて、そして、よい卒業論文が書けたはずである。

 ならば、私はよい先生でなければいけない。

 ならば、感謝しなければいけない。

 みんなで感謝すれば、よい先生だったことになる。

 めでたし、めでたし。



 偽善的であれ、なんであれ、少しでもまともな人間は、そこでよい先生の振りをする。

 私もそうすべきだと思うのだが、如何せんクズ野郎なので、

 ひどくモジモジして、言い訳をしながらプレゼントを受け取って、誰よりも早くコンパを去るのである。



 そもそも私は先生を祭り上げるという権威主義の萌芽を常日頃から否定、批判してきた。

 その態度や姿勢がゼミ生に伝わっていない時点で、もう何かが失敗しているのである。

 そういう意味で、そういう感謝の場は、私への罰であり、私はそれを甘んじて受けなければならない。



 以上のことは何一つ冗談ではなく、来年こそもっとドライでプラクティカルなゼミにする工夫をする。

 そして、ゼミという制度そのものを疑うような、おかしくも真っ当なゼミにするのだ。

 ゼミに青春を持ち込むことができないよう、全力で制度設計してやる。

結婚式のスピーチ

2016-11-10 11:02:49 | 日記
 この間、留学時代の友人ふたりの結婚式に出て、友人代表のスピーチをやった。

 ふたりを結び付けたのが僕だということで呼ばれたのだ。

 友人の席には、僕ともうひとりだけ。

 海外生活が長いと、日本にいる友達の結婚式には出られないから、ふたりともずっと断っていたみたい。

 それで式に呼べる友人が極端に少なくなったって、新婦のお父さんが話してくれた。



 はじめて結婚式でスピーチするものだから、僕は事前に原稿を用意することにした。

 それで、ふたりと一緒にいた時間のことを色々思い出していた。

 特に新婦とは、結構一緒にいる時間が長かった。

 お互いに博士課程で、将来どうなるのか分からない状態だったから、孤独を分かり合えるすごく大切な友人だった。

 新郎とはその後に出会った。

 不器用で、すごく真っ直ぐで、シャイな人だった。

 彼に好きな人ができて、僕はその相談を受けていた。新婦じゃない別の女性。まだ彼はこの頃、後のパートナーと出会っていない。

 

 僕は彼の恋愛がうまくいかないことを知っていた。

 彼の好きだった女性が彼のことをどう考えているのか、全部聞いていたから。

 でも僕は、彼がやりたいようにするべきだと思った。

 ちゃんと燃え尽きないと、次の恋愛に行けないものだと思った。

 正直言えば、若干面倒くさかった。

 気づけ!!と思っていた。



 で、彼は失恋した。ちゃんと失恋した。

 そして、僕がイギリスを去るとき、彼に僕の大切な友人を紹介した。

 でもそれは、あくまで仕事に関係で役に立つように、と思って。

 それで、いつの間にかふたりは付き合いだして、そして結婚した。



 すごく不思議な気持ちだった。

 ホッとしたような、寂しいような、少しだけ不安なような。



 そんな様子をご親族の前ですべてスピーチするわけはなく、

 ご親族が聞きたいことをちゃんとパッケージして、それでスピーチした。

 みんな、すごく喜んでいた。僕のスピーチにすごく興奮していた。

 さすが大学の先生ねって、言っていた。

 僕は、式の後も新郎・新婦のふたりのお父さんにつかまって、ずっとお茶していた。

 彼らは話したいことが山ほどあるようだった。

 僕は娘や息子を手放す、お父さんの気持ちがどうしても知りたくて、

 それで沢山話を聞いてしまった。



 僕もずっと前に結婚式をやった。

 僕は両親だけを呼んで、妻は親戚を3人だけ呼んだ。

 僕はどうしても他人から僕の幸せを勝手に解釈してほしくなくて。それで式を最小規模にしてもらった。

 意味も分からないのに祝ってもらっても困る、と僕は思っていた。



 それは今も変わらないのだけど、

 でも、研究についてはちょっと違うなと思っている。

 本のあとがきにも書いたけど、僕の研究は本当に多くの人との出会いによってできている。

 それが僕を守ってくれている。

 結婚したふたりとの出会いもそうだ。

 僕の研究は、僕ひとりが頭の中で勝手に考えたものじゃない。

 沢山の人とのやり取りのなかで、多くの人の思いによって支えられて、できている。

 今もそれは変わらない。

 すごく大切なことを思い出したような気がしている。

バレとの再会

2016-02-25 22:53:27 | 日記
 久しぶりにバレと再会した。イギリスで別れて以来だから、もう何年振りだろう。

 メッセージでやりとりして一応場所を決めていたが、本当に彼女がその場所に来れるのか、すごく不安。

 彼女は「大丈夫!」と自信満々な返事。

 仕事のパートナーも一緒に来るらしい。まあ、例によっていい感じの男だろうなあ(いつも違ういい感じの男性が彼女の隣にはいるのだ)。

 予定では、日本人の友人が来てくれて、総勢5人になるはず・・・。

 

 お店には僕が最初に到着した。それは当然。幹事だから。

 誰も来ない。本を読むが集中できない。

 30分経ってようやく日本組が到着。

 そこでバレからメッセージ。

 「駅に迎えにきてくれる?」

 ですよね。結局、そうですよね。

 オーダーを日本組に頼んで、駅に直行。



 バレは自分がいる場所の写真を送ってくれた。

 (そのネットの技術あるなら、店まで行けそうなんですけど。)

 その場所まで行くと、彼女たちがいない。

 また写真が来た。おいおい、移動してやがる。待っててって言ったのに。

 そこまで移動すると、また別の写真。

 逃げてる?もはや逃げてる?



 出口を再指定し、あたりをぐるりを見回すと、バレがそこに!

 「良かった!」思わず、口から日本語が出る、私。

 久しぶりの再会にぎゅっと抱擁。

 隣にはいい男、イタリア人。



 お店に戻って食事をスタート。

 いつもバレの英語。変わらないバレの英語。

 僕の会話力は前より下がっているかもしれないが、しかし楽しい。久しぶりとは思えない。

 思い出話をして、イタリアの話をして、そして、日本組の話を聞いてくれない(笑)

 写真を撮って、また何度も抱擁して。

 別れ際にボロボロ、ボロボロ泣いたイギリスのことを思い出した。

 でも、今日はさすがにそんな感じにはなりません。でも、本当に嬉しかった。熱い気持ちです。

あの日のアンディモリ

2014-11-07 14:17:49 | 日記
イギリスに住んでいた時に聴いていた音楽を聴くと、あの時感じた色や光や匂いをはっきりと思い出す。

アンディモリというロックバンドのアルバムは、特にそうだ。

「10年経ったら旅に出よう。南の国がいいな。

みんな、きっと驚くって。絶対ね。

Life is Party。胸の中、そっと燃えるランプについて、

友達も知らないよ。分かってないよ。」(“Life is Party”)



朝からずっと研究して、夕暮れになると、部屋に赤い日差しが入り込む。

狭い部屋には何もない。

本とパソコン。それに硬いベッドだけ。

この先、どうなるか分からない。不安だから、また研究する。



キッチンに誰かいると少し安心する。そして、少しだけイライラする。

料理を作る。

いつでもお腹が空いていて、いつでも何か美味しいもののことを考えている。

でも、お金が全然ないものだから、結局、ありあわせのショートパスタを作って、さっさと食べ終わる。

インターネットで日本のバラエティ番組を見て、ほんの少しだけ気を紛らわせて、また研究に戻る。



時間が経って、もう研究出来ないというところまで来たら、

少しお酒を飲む。

今自分のなかで流行っている曲をかけて、ため息をつくように、お酒をちびりちびりやる。

部屋の匂い。家の匂い。街の匂い。イギリスの匂い。

僕は音と匂いに溶け出して、夢を見る。



「10年経ったら旅に出よう。南の国がいいな。」

確か、あの歌詞のように、僕はそんなことを思っていたかもしれない。

ずっとイギリスにいるつもりはなかった。

それどころか、出来るだけ早く離れたかった。

でも、帰るところもなく。

だから、僕はとりあえず眠ることにした。



あれから随分時間が経った。

あの時、確かに生きていたなって。そう思える。

凄い情熱で研究してたはずで。

自分のすべてをかけて研究してた。

今の僕は、あの日からどれだけ変わっただろう。