それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

香港女、猫

2009-11-16 09:42:42 | イギリス生活事件簿
ここ一週間は特に集中して研究した。今日はペーパー提出の締切ということで、この3週間の成果を指導教官にメールしたのであった。

前回以上に苦しんだ今回。新しい領域の話を勉強したので、ずいぶん自分自身が変化したようなそんな気がした。



今日は打ち上げというわけではないのだが、午前中勉強したあと、午後からは彼女にたっぷり電話。夜、食事のあとまた勉強して、それからフラットメイトとおしゃべり、お酒。

夜のおしゃべりの相手は、もっぱら隣人の香港人。若くして経営者の素質を備えた彼女は、裕福な家の出身だが、きわめてしっかりした教育を受けたためなのか、たぐいまれな忍耐力とコミュニケーション能力をすでに持っている。

今日は流れで僕の専門の話をしたところ、「こいつには負けていられない」と思ったのか、最近彼女がバイトなどで経験した面白いエピソードをたくさん話してくれた。

僕が一番面白がったのは、彼女が最近出会った日本人の女の子の話。

彼女によれば、その子はアメリカで教育を受けたらしい。その子がここで進学準備コースで勉強しているのだが、寮で何やらトラブルを抱えており、その解決の手伝いをしたというのである。

問題は同じ寮の中国人で、これが8人くらいいて、日本人は彼女ひとり。中国人学生のキッチンやトイレの使い方がひどいので、これをなんとかしたいのだという。

留学生はそれぞれの清潔観念を持っている。私の出身大学でも、これは問題だった。研究室は場所によってひどく汚れていたものである。

だから、この日本人女性の苦悩は良く分かるのである。

ところが、この女性の性格にちょっと問題があったというのである。と言ってもそれは香港人の説明によるから、実際のところは知らないのだが、それでもかなりのところ正しいと思うのである。

どういう問題かというと、この日本人女性はアメリカで教育を受け、そこでのある種の「競争」の結果、アメリカ人の十代の学生特有の自己中心的な態度で接してきたというのである。

その「競争」というのは、ここでは簡単には説明しにくいのだが、要するにアイデンティティの確立のために、学生は皆何かを自慢できるようにするということで、女の子の場合それは二つのパターンがあるという。すなわち、

①男子学生とどれだけ遊んだか自慢する
②人種的偏見に走る

だというのである(ほかにもあるだろうと僕は思うのだが、主流はこのふたつだと言う)。

そこで日本人の彼女は中国人に対する差別意識を得てしまったというのである。

この香港人は偏見には厳しい人間なので、こういった一般化した議論というのはしないのだが、その彼女がわざわざこんな妙な分析をしたものだから、僕には妙に納得してしまったのである。

さて、その日本人の偏見具合に、コスモポリタンな香港人はちょっとキレたわけだが、それでも冷静に接して、問題を解決(結局、日本人は他の寮に引っ越すという解決なのだが)したのだという。



僕は中国からの留学生の友達も少なくないので、人それぞれだということをよく知っているつもりである。

ただ、何人(どこの国の人)でも集団になるとやっかいなものなのである。すなわち多勢に無勢、多数派のルールが強くなってしまうので、少数派は排除されないにしても、適用困難なルールに従うはめになる。

今回のケースはまさにこれだったのだが、その問題に直面したとき、人間はその真の力を試されるのである。

説得、順応、抗議、場合によっては転居。いずれも辛い選択だ。

結局、日本人の学生はうまくコミュニケーションができなかったのだが、それを中国人の語学力のせいにしたのであった。香港人はそこにキレたのである。

すなわち、日本人のコミュニケーション能力を棚に上げる、そんな偏見に満ちた考えでは、説得できるものもできないというのである。

この日本人は何度か泣きだしたというのから、よっぽど辛かったのだと思う。僕はこの子に同情を禁じ得ないのであるが、一方、偏見を持つこと、またそれを当事者に明らかにすることは得策ではないと思う。



うちのフラットの女の子のひとりは最近、とみにヒステリックで、ちょっと議論も感情的になってしまうので閉口してしまう。

僕は自分の不利にならない限りさっさと切り上げるのだが、僕の隣人の香港人は見事な対応だった。

相手がいかに熱くなっても冷静。ゆっくり自分のペースにして、納得させる。うーん、大人だねえ。ヒステリな子は30歳近いが、この香港人は若干19歳。人間の歳っていったい・・・。



そんな香港人は猫を飼っている。

僕は最近、その猫と遊ぶのを日課にしている。

そこで撮ってもらった写真をここで公開するつもりなのだが、まだ写真をもらっていない。

しばらくしたら、アップするつもりである。

関係ないけど、日本に送るはがきも買ったのだが、なかなか出すまでに至っていない。なんだかんだ、研究と料理以外、力を割けないのである。

最近気付いたが、ここでの生活は何か分からないことに少しづつ力を奪われており、少しでもつまずくとかなり精神にダメージがあることが分かった。

順調でもなかなか難しいのである。それが留学らしい。

ロンドン、パンツ

2009-11-12 08:32:35 | イギリス生活事件簿
今、とても忙しい。次の面談が近い。負けるな。頑張れ。

さて、そんななか、ロンドンに行きました。

知り合いの夫妻がわざわざ地方からロンドンに出て僕と会いたいと言ってくださったので、これは断るのは忍びないということで、お昼をご一緒して、観光することにしたのです。

ロンドンまで行くというのは、僕にとってはひとつの冒険でして、なんというか勇気のいることだったのです。

ところが実際に行ってみると案外簡単に行けるもので、ずいぶん勇気づけられました。

ロンドンはきれいでした。パリよりも小さなお店が多く、活気づいており、グローバル化とどういう関係にあるのか分からないけれど、多様性が残されていました。

普通のお店に混じって、そこらじゅうにミュージカルなどを上演する劇場があって、なんだか不思議な感覚です。



話は打って変わって、今日シャワーを浴びようとしたら、アイマスクみたいなものを僕の洗面道具の近くで見つけました。

珍しい、なんだろと思ってつまみあげると、女性のパンツでした。

持ち主はこれから、よりファンシー&カラフルなものにチャレンジしてもいいんじゃないかなあと思ったのですが、だからと言ってそんなことを考えること自体が問題だし、第一、誰のかもわからないので、存在自体を忘れることにしました。

このブログに書いたあと、僕はこのことを忘れます。

はい、忘れました。

ナイジェリア人と出会う

2009-11-07 05:58:06 | イギリス生活事件簿
最近、インドの彼の友達であるナイジェリア人に出会った。

彼のことはインドの彼からしばしば聞いていた。

お金持ちで(イギリスに留学するくらいだから)、やたら下ネタが好きな人物だという。

そんな陽気な噂の持ち主は、実際に会ってみるととても陽気だった。

歩いている最中、常に何かを歌っている。すれ違う女の子を常にチェックしている。

とても面白い。

しかし質問は常に鋭い。頭が良く、度量があり、少しわがまま(自由奔放)な感じがある。

さて、ナイジェリアといえば、フェラ・クティというアフロ・ファンクのミュージシャンが有名。僕の大好きなミュージシャンのひとりだ。

そういうわけでフェラ・クティについて質問したところ、これが異常にウケた。

ナイジェリアでは彼が逝去した日に今でも大規模なフェスティバルがあるのだという。

今日、再び会ったところ、おまえは彼の言っていることが理解できるかと聞くから、英語のところ以外、全く分からんと答えた。

じゃあ、一体どこが好きなのかと彼が聞くから、リズムの独自性、楽器の音色の独自性などが魅力だと答えた。アメリカのファンクとは全く違うのだ。

すると、そうかそうかと彼は納得した。そして、フェラ・クティはアフリカにおいてもユニークであり、誰も真似は出来ないと言っていた。

さらに、有名な一曲の歌詞を解説してくれた。ナイジェリアにはナイジェリアの英語があるのだという。面白い。

その後、僕たちは実際にフェラ・クティを聴き、彼を知らないインドの彼にジャズのリズムとの違いなどを語った。

もっといろんな人に会えるか知らん。