それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

クールダウンから集中への音楽

2010-08-28 00:27:38 | 日記
一年間の留学のなかでも最も苦楽を共にしたと思われる友人のひとりに、心が落ち着き、かつ勉強に集中できるようになる音楽を、との依頼。


自分としては、まずジャズのバラードをコントラバスで演奏した、かなり強力な鎮静剤を最初に投与したい。

1.ゲリー・カー:「Lush Life」

デューク・エリントン楽団で活躍したビリー・ストレイホーンの作品のカバー。カーはもともと代表的なクラシックのコンバス奏者。それはそれは甘い音色。僕がコンバスを始めたのは、彼のCDを聴いたから。

その彼のジャズ演奏は、スウィング感に乏しいが、他のジャズベース奏者には不可能な深い音色。その心地よさに強力な鎮静効果あり。


続いて、クラシックで再度鎮静。少し心にリズムをつけて。

2.ヨーヨー・マ:バッハ無伴奏チェロソナタ一番プレリュード

チェロの天才ヨーヨー・マがおじさんになってから演奏したバージョンのバッハ無伴奏から。

プレリュードの軽快なリズムは落ち着いた気持ちを少しずつ研究の方向へ乗せていきます。またマのチェロの音色は、人に余計なことを考えさせない明るさと深みがあります。


そろそろ勉強モードに。ジャンルに括りにくいが、クラシックから遠くない教授の楽曲で。

3.坂本龍一:「+33」
多重録音されたピアノの音色が心に沁みてきます。

白鍵だけで構成されたこの不思議な楽曲は、明るくも、暗くもない適度な色合いを帯びていて、クラシック静まった心を適切なレベルで再活性化させるはず。


集中するにはやっぱりテクノ、という僕の自論で最後はケミブラ。

4.ケミカル・ブラザーズ:「Star Guitar」

ケミブラの大ヒットナンバー。一見簡単そうなリズムやメロディに聴こえるけれど、その実、非常に研究されつくした結果のケミブラ楽曲。

この疾走感は絶妙。深く集中するにはやっぱりケミブラをはじめとするテクノである、と僕はイギリスの地ではじめて思ったのであります。


僕はそろそろ寝ます。

ここ数日は妙に忙しかった。おそらくイギリスに帰るまで続く感じ。

音楽でクールダウンしつつ、緩急をつけよう。

今日の日記

2010-08-24 15:40:17 | 日記
今日は懸案の大きな事務仕事をこなす。

留学関係と研究会関係。

大変そうだったがスムーズにいった。イギリスだとなかなかこうは行かない。

その後、先輩留学生の博論の日本語チェック。

チェックする人が僕しかいない。

僕は唯一の弟弟子なのだ。

僕が生意気盛りの頃、沢山迷惑をかけた。

ありがとうと、すいませんの気持ちをこめて、日本語をチェックする。

いや、彼のためだけではない。彼のとってもきれいな奥さん(彼女も中国からの留学生だった)と、かいくて元気なお子さんのためでもある。

いつも僕をかっこいいねと言ってくれる奥さん。旦那さんの方がかっこいいですょ。



自分へのご褒美として、近くの食堂で夏限定のつけ麺を食べる。

この食堂、とってもすばらしい。注文しても全然ご飯が出てこないのだ。

皮肉ではない。ちゃんとその場で作っているから遅いのだ。

目の前で作っている光景が見える。今、カツを揚げている。そして魚を焼いている。

僕の麺はまだ茹でていない。

でも、いいんです。時間はあるから。

僕もカツにすれば良かったかな。。

トリックスターとしての芸人の不在

2010-08-23 19:42:06 | 日記
好きな芸人さんは?と聞かれることなどない。でも、もし聞かれたら色々いる、と答える。

そのなかでも?と聞かれたら、あえて「東京ダイナマイト」と答えたい、最近の僕。



この間視聴した東京ダイナマイトのハチミツ二郎のインタビューは示唆深かった。

彼のなかで、芸人とは社会の規範から逸脱し、その逸脱の無茶ぶりやくだらなさによって笑いを取る人、すなわちトリックスターである。

ところが昨今の芸人はサラリーマンだという。ひな壇に立ち続けるために、有力な司会者に使ってもらうために頑張る。規範からの逸脱ではなく、徹底的に空気を読む。

彼は、そういう人間は芸人ではなくタレントであると指摘する。だから、芸人は自分以外いないのだという。

彼は続ける。皮肉なのは、たけしやダウンタウンにあこがれた若者が芸人になるつもりで芸能界に入ったのに、結局、その部下として活動しているということだ。

秀逸だったのは、M1の分析。

M1で優勝する方法はもう分かっていると彼は言う。小さなボケを連発し、笑いを取る。後半でテンポアップし、一回はテンションを最高にしてキレる。などなど。

言われてみれば、サンドイッチマン、ノンスタイル、パンクブーブーいずれにも当てはまる。

確かにこの3組の漫才は面白いと思う。しかし僕は好きではない。特徴があるようで、あまり無いからだ。オリジナリティがどこまであるのか。いや、たしかにある。それぞれのスタイルが確かにある。

しかし、数々の漫才師が培ってきたいわゆる伝統的技法を周到に踏襲という感じがしてならない。それでいいと言えばいいのだが、それに誰も疑問を感じないのはおかしい。それでは芸能として死滅する。

ハチミツ二郎は主流となった漫才の方法からどうしても逸脱したいという。

確かに彼は2009年のM1でその逆をやった。しかし、それはまだ模索、フワフワなどと形容され高得点には至らなかった。まだスタイルとしは完成していないのかもしれない。

いずれにせよ、ハチミツ二郎は芸人として大器だと思う。度量が大きい。革新への強い意志がある。

このインタビューでは終生結婚しないと言っていたが、この意志はどうして変わったのだろうか?女遊び、後輩への大盤ぶるまい。これは変わるのだろうか?



果たしてトリックスターとしての芸人を誰がもう一度体現するのか。

政治家も芸人も小物ぞろいの昨今の日本。一億総サラリーマンなのかもしれない。

社会がトリックスターを求めていないのかもしれない。あるいは、その芽をつぶしているのだろうか。



しかし、ここまでハチミツ二郎の意見を支持しつつも、その対極にいる人力舎の存在を僕は嫌いなわけではない。ゆるく生きる。そういうライフスタイルだって魅力的だ。

僕は矛盾だらけだ。