それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

サングリア

2012-10-30 21:49:49 | イギリス生活事件簿
もうイギリスに住んでいるわけじゃない。だから、イギリス生活の話というわけではないのだが、僕は今日、いくつかきっかけがあってイギリスのことをひどく懐かしんでいる。



先週末、サングリアというカクテルを作った。

彼女と買った地元のワイナリーのロゼワインがひどく不味くて、それをどうにかするためにサングリアを作った。

その時はあまり上手くいかなかったのだが(寝かせ足りなかっただけなのだが)、僕は本当のサングリアを求めて、もう一度チャレンジすることにした。

早速、昨日もう一度作りなおした。

さっきそいつを飲んで、そして、色々なことを思い出した。



サングリアはスペインのカクテルだ。

ラケルがいつもこのカクテルのことを話してくれた。彼女はいつかサングリアを作りたいと言っていた。

けれど、残念ながら、僕らはイギリスで最後までサングリアを作ることがなかった。

ラケルによれば、サングリアは以下のように作るのだという。

まず、赤ワインを用意する。

それからフルーツ各種。ラケルはイチゴとかオレンジとか言っていた。

さらに、ウォッカなどのハードリカー。

これらを混ぜる。

以上。(いや、本当はもっと複雑なのだが、彼女は全部説明しなかったのだ。)

甘口で飲みやすいけど、とても強いから大変危険なお酒だといつも彼女は言っていた。

彼女が眉間に皺を寄せながら「とても危険!」と言って、独特のジェスチャーをする姿はなんだか微笑ましく、僕はそれを見て、いつも少しだけ笑ってしまうのだった。



ラケルはサングリアを作ってくれなかったが、実はイタリアのお祭りで僕はこのサングリアを飲んだ。

僕とエースと一緒に来ていた地元の男性が、他のグループからはぐれて迷子になっていた時、僕は屋台でサングリアを頼み、飲みながらフラフラしていた。

その時の味をなんとなく覚えている。

印象は、まあ、フルーツの香りのする赤ワイン、という程度だった。

正直言って、その時のサングリアはそれほどアルコールとしても強くなかったし、味もまあまあと言ったところだった。

でも、ラケルが言っていたサングリアって、きっとこれじゃないんだろうな、と思っていた。



日本でこいつを作るにあたって色々調べたら、作り方にまだ色々コツがいると分かった。

フルーツはどうも食べないらしい(イタリアでは普通に入っていたが)。

ハチミツなどを入れてもいいらしい(ラテンのカクテルは甘いのだ)。

一日は少なくとも寝かすらしい(聞いてない)。

スパイスも入れるようだ(確かにイタリアで飲んだやつもかすかにシナモンの味がした)。

先週末作った時は、シナモンを入れすぎた。

だから、今回は思い切って入れないでみた。

ロゼに渋みがなく風味も薄いため、シナモンが入ると味がシナモン寄りになってしまうからだ。

フルーツは、プルーン(北海道でとれるのだ)、ピーチ(缶詰)、オレンジ(スペインならマスト)を選んだ。

それと白ラムをほんの少し。

タッパーに入れて一日寝かせる。



一日経った僕のサングリアは、なんだか少し落ち着いた様子だ。

フルーツはその酵素か何かのせいなのか、ワインを含め、全体が少し「発酵」というか、何か変化したような気がする。

僕はオタマで上澄みの液体を少しすくい取って、グラスに移す。

少しだけくすんだロゼは、なんだか少しとろみを帯びたようだ。

おそるおそるグラスを口に運ぶと、フルーツの甘い香りが口全体に広がって鼻に抜ける。

そのあと、少しだけハードリカーが味を引き締める。

イタリアのサングリアとは違う。

むしろ、フィレンツェで飲んだ赤いカクテルに似てる。

名前は忘れた。もしかして、あれもサングリアだったのかな?

フルーツの香り、しっかりした甘さ、そしてハードリカーのピリッとした感じ。

僕はあの暑いイタリアの気候と、フィレンツェの美しい街並みを思い出す。

あの暑い気候のなかで飲む甘いカクテルは、ビールよりもずっとしっくりきた。

ラテンの暑い夜に、甘いハードなカクテル。

目に浮かぶのは、バレンティーナの浮かれた表情。

エースの少しぐったりした笑顔。

僕らを案内してくれたMのきりっとしたカッコいい顔。

さて僕はあの時、どんな顔をしていただろう。

2回目にしては上出来のサングリア。

でも、こいつは夏に飲むべきなのかもしれない。



さっき、FBで久しぶりにバレンティーナの写真を見た。

クリスと一緒に写った写真が載っていた。

少し大人びた表情のバレ。女性は20代大きく変わるものだ。

あんな子供みたいだったバレも、いつかは大人になる(たぶん)。

アレックスのコメントから察するに、まだアレックスはバレと別れていないらしい。

クリスとの関係も続いている。

何もかもがあの日のままだ(まあ、そりゃあ、そんなに経ってないからね)。

でも、まるで昔のことのようなのだ。

ラケルはいつもアレックスは早く別れた方がいいと言っていた。

もちろん、僕もそう思っている。

でも、あの日のままで居てほしい気もする。

僕らがもう一度会えるように。

まあ、実際、バレはクリスのことを「退屈」という酷い形容詞で語っていたし、しばらくは大丈夫なのかも。

Cさんとの邂逅

2012-10-25 23:13:06 | 日記
Cさんは一つ上の先輩。

一般的に言って、一つ上の年代とは仲良くなりにくいものだ。

部活に入れば、皆、2年上の先輩と仲良くなりがちである。

これまでCさんとは何となくすれ違っていた。

研究領域もアプローチも違い、趣味も人間関係も何となく違う彼。

うちの大学には研究者をめざす学生は少ないため、彼とは身近なはずなのに、とにかくビジネスライクな付き合いが続いてきたのである。

けれども、僕がイギリスから帰ってきて何かが少しずつ変わってきた。

ラジオの話をしたり、映画の話をしたり、とにかく何かが変わった。いや、はっきりしている。僕が変わったのだ。

僕の世界が急に広がり、人間観が変わり、日本の学会の全体像が認識できるようになり、そういうパースペクティブの大きな変化が彼に対する認識を大きく変えたのである。



今日は弟弟子の修論報告で、そこでこのCさんと僕のパスワークが見事だった。あまりにも見事で衝撃的なほどだった。

方法論から先行研究のまとめ方まで、とにかく噛み合うCさんと僕。

報告者の発表は衝撃的にひどかったのだが(!)、Cさんと僕の議論は最高だった。

僕らは、驚くほど混乱している報告者の発表を丁寧に分解していく。

そして、隠されたロジック、隠された意図、何もかもを明らかにし、論理を再構成していく。

それを「僕→Cさん→僕→Cさん・・・」の順にパスを回しながら、やっていく(他の参加者は直接聞いても質問しなかった)。

そのまま、軽い打ち上げでも、僕はCさんと色々な話しをした。

遂にCさんと僕は邂逅を果たしたのだった。



僕の彼女が前からCさんと仲良くするように言ってきていた。

彼女との会話に出てくるCさんのキュートさが、ゆっくりと彼のイメージを溶かしていったことは、実のところ非常に大きい。

研究者という困った人たち

2012-10-25 00:43:53 | 日記
色々な研究者に会うようになって、沢山頭のおかしい人を発見する。

頭がすごく良くて、そして、頭がすごくおかしい人たち。

自分の能力に悩み、ひたすら自分に厳しく研究を進め、他人を同じかそれ以上のレベルで激しく攻撃してしまう人(これで人に優しいと思っている!)。

人の感情を理解できず、自分の偉大さだけをひたすら、天才的なロジックで演説する人(なんと、これで相手を説得しようとしている!)。

こういう人の扱い方はとてもシンプル。

けれど、扱い方の問題じゃない。

問題は・・・大体分かるでしょ?

まあ、そういうわけで、僕は社会科学の研究者を見ると、どうしてもため息が出てしまうのである。

すごい先生に出会ったこと

2012-10-22 06:43:20 | 日記
学会、と書いてしまうのが憚られるのだが、そいつに行ってきた。

今回は報告なしで、アレンジしたパネルが一個。それと事務の補助が一個。

上位の大学がどのように研究者を育てているのか、それについて沢山の情報を今さらながら得た。いや、これは誰でも知っていることではない。

それこそ比較しないと特性が分からないものなのだが、それは他の大学の研究者とよくよく話合わないと分からない。

大いにこれまでの研究の在り方を反省し、改めて自分を鍛え上げることを決めた。



ところで、パネルのアレンジなのだが、まあ、これが色々あって。

今回は一回限りということで引き受けて、好きなように面白いところだけやらせてもらった。

そのおかげで色々な人との出会いがあって、発見があった。

今回の目玉は、ある大物の先生の登壇。

僕は大いに期待していたのだが、その期待をはるかに上回る展開に。

バラバラでそれほど成熟しているとは言えない3つの報告を聴いた後、その先生がコメントに入る。

信じられない。今までの報告すべてがとてもとても面白いものだったかのように思えてきてしまうのだ。

とんでもなく深く広い教養。鋭い洞察。そもそもIQがめちゃくちゃ高い。そして、何より熱意だ。

彼からは特別なオーラが出ていた。

それぞれの報告をロジカルに批判するというのではなしに、もっともっと大局から、若手の報告を包み込んでいく。

会場は学会では通常考えにくい感動に包まれた。

そんなことが起こり得るのか。

セッションの後も僕は先生と話すことが出来た。熱いものがたぎってくる。

パネルをやって良かったのだ。研究をやってきて良かったのだ。

先生は言う。「若い人がまだ、こんなふうに僕の研究に注目してくれるのなら、まだ死ぬまでにいくつかやることがあるね。」

彼は人生の終着地点を遠くに見ていて、研究と教育のことをそれまでとは違った角度から考えている様子だった。

研究者とはとてもクリエイティブな仕事だ(お金にはならないが)。

しかしながら、クリエイティビティは体力と集中力、そして精神的な余裕が必要で、人間は一般的に40歳、50歳とクリエイティビティを維持するのはとても難しい。

多くの研究者がそれを失い、普通のサラリーマン教授になっていく。

第一線で活躍する研究者は一握り。これを一流とすれば、他は全員三流と言われてしまうのが、この世界の怖いところだ。

先生は言う。「とびきり若い人たちと定期的に交流しないと刺激がないんだよ。」

僕らは先生に新しい刺激となっただろうか。先生は「なった、とてもなった」と言ってくださった。

それは僕たちにとっても同様だった。

研究者の目標はそれぞれ違う。僕には僕の目標があり、僕の近しい若手にはまた別のそれがある。

僕はまた今日から研究する。

それは戦いであり、遊びである。

だが、僕は思う。研究は遥か彼方を見ていると。

その時間感覚が僕のなかの研究の大事なところ。僕はそのことを改めて、今回ご登壇くださった先生から教わった。

秋、近況

2012-10-15 18:43:46 | 日記
日本に帰ってきてから2か月以上経っているのだが、ブログに書いているからいいだろう、という安易な理由で知り合いにメールもしないままであった。

とりあえず、近くに住んでいる友人にメールをしようと思い、一言書いて送る。

ちょっと出張などがこれからあって、もちろんそれは日本国内なのだが、ひどく億劫で、少し精神も秋の気候にやられてダウナーになっている。

そこをなんとかウェス・モンゴメリーやらアート・テイタムやらのジャズの演奏でもってドーピングをして、一応なんとか心の平静を保ちつつ、博論を直しているというような具合である。

今時期のイギリスは、ちょうど新しい学期も始まったあたりで、誰も彼もそわそわしているに違いない。日本とは全く逆であり、逆だからこそ、私にはちょうど良かったような気もする。

イギリスを懐かしく思っている。

過去を振り返ることがないまま、これまで研究、留学と続けてきたのだが、まさかイギリスのことをこんなに度々思い出すとはどういうわけだろう。

でも、あの頃は良かった、というふうに考えるつもりはないのだ。ただ、思い出し笑いするような感じで懐かしく思うだけなのだ。きっとそうすべきなのだ。

何か書こうと思いながら、結局、今日に至る。どうしても書くエネルギーが博論に向かう。良いことではある。このブログの読者にとってはどうだろう。

例によって博論はネイティブ・チェックがしばらく続き、これから見てもらう章を今のうちに色々直している。

日本にいるとやはり無駄な力を日常生活で使わないから、しっかり研究できるという側面がある。

とはいえ、イギリスの大学におけるネットシステムの成熟がなければ、帰国して博論を直すということは不可能だった。

日本に帰ってきて、母校に行ったりして、そこで改めてイギリスの大学の(文系における)秀でたところを感じてしまう。これはどうしようもない。日本の大学の怠慢のせいというわけでは必ずしもない。

文句をだらだら言うよりも、自分が出来ることをやるべきなのだ。



私は今、不安かつ孤独な気分なのかなと思う。

理由などは問題ではない。

そういう気持ちをやり過ごす力というか、癖のようなものが、長年の経験のなかで奇妙に培われてきた。というほどでもない。

ただ、そういう時に(やりたくなっても)敢えてやらない方がいいこととか、(やりたくなくても)敢えてやってみた方がいいこととかのリストが出来ている。というほどでもない。

けれど、私にはこういう時にメールをしたり、あるいは会って話をしたりするべき友達がいる。というほどでもない。

だから、そういう時には、ケセラセラ。ケセランパサラン。パンダコパンダ。ゲロッパゲロッパ。

つまり、だから、すなわち、よく分からない。

よく分からないということを、よく分からないということにしておいて、そして、それをきちんと次の月に回してしまう。

それを解決するとか、あるいは自然消滅させるとか、そういうことではなしに、あるような無いような、非常に積極的かつ勇敢なたち振る舞いで、見なかったような、見たようなことにする。