忙しい。何とかギリギリで課題をこなしている、という感じ。
そんななか、英語の校正をやってくれた友人Jが彼の博論の一部を送ってきてくれた。
ごくごく一部ではあるが、おそらく彼の議論の中核であると思われ、真剣に読ませてもらう。
彼はすでに日本語がかなり達者だが、書くのは大変だからということで、論文は英語で書いている。
彼はコメントを求めている(もちろん英語のチェックではないのだw)。
博論を書くうえで誰に見せるかはとてもセンシティブな問題である。
余計なことを言う人に見せると、変な影響を受けてしまうからだ。
コメントする側から言えば、博論に関するコメントは常に建設的でなければならない。
具体的に何を書くべきなのか、出来るだけコメンテーターのイメージを明確に伝える必要がある。
Jの議論は非常に面白い。あとは、これをどう伸ばしていくかである。
まず、彼の議論の骨子をはっきりさせ、それを立証するためにどれだけの議論がなされているか検討し、そのうえで幾つかコメントを書く。
彼のメッセージは十分に受け取ったつもりでいる。
直接会って議論するのが楽しみだ。
そんななか、英語の校正をやってくれた友人Jが彼の博論の一部を送ってきてくれた。
ごくごく一部ではあるが、おそらく彼の議論の中核であると思われ、真剣に読ませてもらう。
彼はすでに日本語がかなり達者だが、書くのは大変だからということで、論文は英語で書いている。
彼はコメントを求めている(もちろん英語のチェックではないのだw)。
博論を書くうえで誰に見せるかはとてもセンシティブな問題である。
余計なことを言う人に見せると、変な影響を受けてしまうからだ。
コメントする側から言えば、博論に関するコメントは常に建設的でなければならない。
具体的に何を書くべきなのか、出来るだけコメンテーターのイメージを明確に伝える必要がある。
Jの議論は非常に面白い。あとは、これをどう伸ばしていくかである。
まず、彼の議論の骨子をはっきりさせ、それを立証するためにどれだけの議論がなされているか検討し、そのうえで幾つかコメントを書く。
彼のメッセージは十分に受け取ったつもりでいる。
直接会って議論するのが楽しみだ。