それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

コロッケ、魂の強さ

2010-03-23 09:29:24 | 日記
今日は一時帰国前の最終日。

一時帰国を惜しむ意味ではないが、夜少し遅くに友人が遊びに来た。

すでにたっぷり研究したあとだったので、ありがたい。

その人とはずいぶんと趣味が合い、音楽などについて徹底的に話し合う時間を作ろうということになっていた。

それが今夜になったわけである。



ここで夕飯を作るのも、しばらくお休み。

お休みを記念して、最後にコロッケを作りました。

イモと玉ねぎは大量に共有しているので、コロッケが適当なメニューだったのであります。

ただ、こちらの安いイモなので、甘みが弱く、食感がぼそぼそ。

そこで冷凍しておいたご飯を投入。

だから、ちょっぴりライスコロッケであります。

そこにチーズ、炒めた玉ねぎとひき肉、塩と砂糖(けっこうしっかりと)、隠し味程度にカレー粉を入れ、混ぜる。

小判型にして、小麦粉、卵、パン粉(無いから、固くなったフランスパンを刻んだ)をまぶして、焼く。

揚げるのが禁止されているし、油の処理も面倒なので、焼く。

うまくいきました。

それと中華スープ。

これで生もの系を冷蔵庫から一掃しました。



友人の話は面白く、ためにもなったが、何よりその人の魂がとても強いと感じた。

魂が強い、というのは妙な表現だ。

魂が強い人はたまに出会う。

強さもまちまちだが、どのように強いかも人それぞれだ。

今日来た友人は、とても静かで、かつ真っ直ぐな強さ。

そのしなやかな感じが、とても魅力的だなあ思った。

効用

2010-03-22 16:12:48 | 日記
一時帰国が自分にとってどういう意味を持つのか、と考えていたが、それよりも大事なことは、帰ってから一時帰国が意味のあったものにすることだと気が付く。

それはこの留学も同じなのだ。行く前にすべての意味が決まるわけがないのだ。

すでにここに来てから、予想外のことが結構あって、日本にいても分からなかったことばかりなのだと気づく。それはそうだろう。それこそ、外国に行く意味なのだ。

ベビーシッター

2010-03-22 08:21:08 | 日記
今日は学部生の子が、日本から遊びにきた友達をわざわざ僕に紹介したいということで、うちに遊びに来た。

ふたりは非常に幼く、僕はベビーシッターのようであった。

ベビーシッター・・・。

ベビーたちが早く大人になって、僕を良いところに飲みに連れて行ってくれればいいな。

僕はまだベビーたちをうまく叱れるほど、大人でもない。自分もまだ幼いのであるから。

寛容さと厳格さを身につけた教師になるのは相当難しいことだと、僕は自分の大学の先生を見て思う。

これからは、忙しくないときに来てもらいたい。あるいは、ちゃんと相手が忙しいから確かめてから来てほしい。

ベビーたち・・・。

論文、人形、僕

2010-03-20 16:46:58 | 日記
そろそろ日本語で次の論文を書かなければならないらしい。

やばい。

一時帰国後、資料の不足を補うには、大学に通わなくてはならない。

少しずつ道筋はできてきていると思うが、一次資料分析のノートがまだ十分にたまっていない。

先行研究との関係で、新しいところまで行くのはまだだ。

ちょっときついけど、そこが面白いところなのだ・・・。



この半年、ロンドンと地元で母親リクエストの人形を探してきたが、見つからず。

彼女が何をイメージしているのか、息子だからさすがに分かる。絵にかけるほど分かる。

しかし、その問題の人形の影も形もない。

インターネットですら探したけど、見つからない。

案外、アフリカにあったりして。



最近、こちらは初夏の暑さと匂い。とにかく、気持ちがいい。でも、研究がタイトでなかなか外にも出られませんが。

外では芝をがんがん刈っています。そのせいなのか、なんなのか、フラットメイトが突如の花粉症的症状を発症。芝症(cf. 花粉症)的なものがあるそうです。こわいです。

でも、僕。一時帰国しますから・・・。



昨日、彼女と就活関係のことを話す。

論文の話もその流れで出てきました。

主体的にやらないと困る。

そして、何度も難しい選択をしなくては。これはずっと先生に言われてきたこと。

すなわち、「これから、何度も難しい選択を迫られるんだ、お前は」という先達からのメッセージ。

先生の言葉はいくつも心のなかに残っています。

「研究すること。とにかく、研究していれば大丈夫だから。それが報われる世界だから、ここは。」

僕はそう信じているし、自分がこの世界にいる意味だと少し思っているのであります。

僕は、「僕」になります。

それは本当に小さい頃から目指していたこと。

「僕」になること。