それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

メロン熊となっちゃんの軛:地方の時代?笑止。

2012-11-13 11:14:16 | コラム的な何か
「月曜から夜ふかし」という番組に、夕張の「メロン熊」というゆるキャラと、「なっちゃん」というお婆ちゃんのアドバイザーが登場した。

ふたりの暴走は、テレビ的には確かに成立していたのだが、もう少し彼らが提起している問題を掘り下げたい。



メロン熊をご存じの方なら分かると思うのだが、このキャラクターはリアルなクマをモチーフにしている。

本州のクマと異なり、北海道のヒグマは非常に大きく強い。

出会ったら生命の危機は確実で、本州との温度差がこのクマのリアルさに現れている。



だが、重要なのはこのキャラクターではなく、アドバイザー役のなっちゃんの方だ。

この77歳のおばあちゃんは、クマの代わりに何か説明しようとするのだが、ほとんど要領を得ない。

何もしゃべれないクマと、しゃべっても何を言っているのかよく分からないお婆さん。

テレビのなかでは、それはとても面白い。いわゆる面白い素人だ。

だが、考えてみてほしいのだが、彼女こそ、北海道の地方の平均的な地方人なのだ。

人数が少なく、流動性が低い共同体のなかで生きるお年寄りが、その地方の政治と経済を支えているわけだが、実際問題、そこに最大の問題点がある。

なっちゃんが盛んに繰り返したところでは、夕張は若い人を求めているらしい。逆に言えば、破綻前から進んでいた高齢化は、もはや極端なレベルになりつつある。

ゆるキャラの勢いと異なり、夕張の現地に行けば、そのゴーストタウンぶりが心を揺さぶる。

意味不明なことを話すお婆さんやお爺さんと、ゴーストタウン。

そこに若い人が来る(居住する)理由はなく、その流れは止まらない。

エリート候補になるような人材が仮に生まれたとしても、その人間は確実に都市に移住する。

問題はそれが夕張だけではないことだ。

北海道の小さな市町村は、全て同じ問題を抱えている。

夕張が自然に破綻していったのには、構造的な理由がある。

その構造を他の市町村も抱えている。

行政機能を担える能力のある人間は、北海道の地方にはきわめて少ない。

そこから急に発展する市町村など未来永劫出てこないと考える方が現実的である。



2000年代から「地方の時代」という言葉が現れた。

無責任な言葉だ。

地方の誰が責任を担えるほどの能力を持っているのか。誰が有能な人材を地方に送ってくれるのだろうか。

大きい人口を抱える地方共同体と、その他の自治体は違う。全く違う。

徹底的にコンパクトシティ化しなければ、もはや維持できないほど、厳しい現実が迫っている。

あの「熊となっちゃん」しかいない地方に出来ることは非常に限られている。

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