それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

「西部警察」:コントよりコント味

2016-06-19 11:49:39 | テレビとラジオ
 妻と一緒に見るテレビ番組はニュースやドキュメンタリを除くと、「西部警察」くらいである。

 西部警察とは、あの昔やっていた石原軍団の西部警察である。

 これまで私は西部警察を一度も見たことがなかった。

 ところが、初めて見てその面白さに衝撃を受けた。



 まず、ストーリーが破たんギリギリ。

 犯人の不条理な行動に、警察の不条理な対応。

 不自然な大爆破に、奇妙な撃ち合いの連続。

 キャラが濃すぎる刑事たちの、不可思議な言動。

 俳優の多くがセリフをはっきりしゃべらないので、常に何を言っているのか聞き取るのが困難(ゆえに字幕付きで見ている)。

 協賛の関係で登場する素人の登場人物は、逆に再現困難なほどの棒読み。



 私も妻もお腹を抱えて笑えたり、テレビの前で突っ込んだりと、とにかく視聴者を放っておかない面白さなのである。



 馬鹿にしているのではない。と言えば嘘になる。

 でも、笑わせようとしていないからこそ、面白いのだ。

 作為性が違う方向にぶっ飛んでいるから、天然の面白さなのだ。

 たまに西部警察の渡哲也が演じた「団長」のコスプレをする人がテレビに登場することがある。

 けれど、団長のオリジナルの方がはるかにコスプレ度が高いのである。

 昭和のテレビに登場するスターたちは、基本的に物まねよりも衝撃度が高い。デフォルメする以前に何かをやりすぎている(例えば、森進一)。



 ここで言いたいのは、今は昭和のプログラムを別の解釈で読み解きなおす面白さがある、ということなのだ。

 信じられないくらいの資源を投入して、異常なもの、不可思議なもの、不条理なものを作り出してきた昭和の面白さを改めて発見したいのである。

BSジャパン「ご本、出しときますね?」:小説家のアタマのなか

2016-06-04 11:47:57 | テレビとラジオ
「ご本、出しときますね?」がとても面白い。

小説家がふたりゲストで登場し、司会のオードリー若林とトークする。ただそれだけのバラエティ。

落ち着いたテンション、何か特別なことが起こるわけでもない。

しかし、圧倒的に面白い。

小説家は100%変人であり、この番組も当然そこが面白いのだが、しかしそれを「ボケ」として扱ってしまうのではない。

小説家が見ている世界の一部を聞きだし、そこに共感したり、追体験したり、迷い込んだりすることで、

いつも見ている日常が、ほんの少しだけ違う世界に変わる。



私も研究者として本を出したことがある。

私の名前で本が世に出る。

アマゾンで売られる。

ネットや新聞などで批評もされる。

それはすごく怖いことだが、同時に面白いことでもある。

自分の考えてきたことを文字にし、それが思ったのとは違う解釈をうける。

我々のアタマの中はそれぞれ異なる。

見ている世界が根本的に異なる。

本はそのとても孤独な世界を橋渡しする、数少ない道具だ。

ひとつの本を読み、お互いに感想を語り合うだけで、人生は何倍にも豊かになる。



だが、本を書くことは辛い。

驚くほど労力がかかる。

ひとりでは作れない。

編集者やデザイナーも必要だ。

けれど何より、本の原稿をゼロから書くこと。これがすごいエネルギーなのだ。

だから、小説家は凄い変人なのだ。

おかしなことをやってのけているのだ。

普通には見つけられない言葉を見つけ、言葉にできない感情を言葉にし、世界に新しい「世界」を生み出す。

そんな小説家たちのトークが面白くないわけがない。

まるでいつもの世界が違って見える。

普通の世界に生きるなら、誰も物語など書かない。



明日また僕はまた新しい本のことを考える。

同じように戦っている誰かがいると知るだけでも、それはとても嬉しいことなのだ。