それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

B&Bとホテル

2013-05-28 22:16:56 | コラム的な何か
私は日本で出張するときは必ずホテルに泊まる。

パックで航空券と一緒にとったりする。

この間の出張で、たまたま部屋がとんでもなく広いものに差し替えられた。

大きなベッドがふたつあって、豪華なバスルーム。

大きなテレビ、素晴らしい夜景。

でも、だから何?

仮にその半分の部屋でも、僕の満足度は同じだっただろう。

もちろん、これは趣味の問題。広い分、満足度が高まることもあるだろう。

僕が不満だったのは、「wifiが使えないこと」、「好きな音楽が流せないこと」、「内装に特に意匠も何もなくて結局殺風景なこと」とか、まあそういうことだ。



この間、イギリスに行った時にはB&Bに泊まった。

二種類のB&B(朝食付の小さなホテルみたいなもの)に泊まったのだが、どちらも面白かった。

ちゃんとネット上にはB&Bが順位付けされていて、僕はその10位くらいのやつと、1位のやつ両方に泊まった。

10位のやつと1位のやつの値段の差は、1泊で1000円ちょっと。

片方が5000円強で、もう片方が6000円強くらい。

まずもってホテルより安い。というか、イギリスの地方のホテルはあまり評判がよろしくないのだ。

だから、TさんからB&Bを勧められ、実際に良かったのである。

もちろん、B&Bは小さい。だから、シングルの部屋はかなり小さい。

B&Bはいわば一軒家を改造したもので、家のような雰囲気。部屋と玄関の合い鍵をそれぞれもらうシステムだ。

で、そのB&B同士の差なのだが、値段だけではなかった。

内装、朝食、サービス。いずれもやっぱり1位はすごかった。



同じ「英国式朝食」でも味が違う。

英国式朝食とは、目玉焼き、カリカリのベーコン、イギリス流のソーセージ(小麦みたいなのが入っている)、トースト、焼きトマト、焼きマッシュルーム、などである。

そこに紅茶やジュース、場合によってはヨーグルトを加える。

1位のB&Bは明らかに材料が違う。そして、それをサーブするやり方も。ジュースもあまりにも美味しくて何回もおかわりしてしまった。

部屋には、アイフォンをつないで音楽を流せるシステム、廊下のDVDシリーズを自由に部屋で見ることができるシステム、かわいいアメニティだらけのバスルーム、趣味の良いお茶、何より温かみのある内装・・・。

とにかく、かゆい所に手が届く良い部屋なのである。



出張は常に孤独なものだ。

遊びに来ているわけではない。

緊張する場面が沢山ある。

ホテルやB&Bは一息つける優しい場所であってほしいのである。

僕はその理想形をイギリスのある地方の1位のB&Bに見出した。

あくまで僕の個人的な趣味だけど。

英語を話すゼミ、はじめました。

2013-05-21 14:40:21 | 日記
今、日本でお世話になっている(働いている)大学で、「英語を話すためのゼミ」を立ち上げた。

今日はその第一回目で内容も上々だった。

1時間半から2時間、それぞれがニュース記事を選び、口頭で説明。ほかのメンバーは予備知識がない状態で、その説明から内容を理解する。そして、それぞれ論点を出して議論する。

質問はいつどのタイミングでもしてよい。ただし、メンバーが言いたいことがあるのにうまく言えないときは、必ず言えるまで待つ。

英語で話す際のポイントはまず長時間話すこと。スポーツと同じで、持久力が実践力につながる。

正直、1時間英語で話すのは容易い。問題はそのあとさらにどれくらい持続するかだ。3時間、4時間。さらには丸一日。

それと英語に詰まったときの対処法を覚えること。詰まった時ほど成長のチャンスである。

私は自分でもプレゼンテーションするが、基本的にはプレゼンターが言った内容を繰り返し、言いかえて理解を確認することが基本的な役割である。それによって、違う言い回しやよりシンプルな言い方を伝えられる(場合もある)。

何より嬉しいのは、メンバーがこのゼミの意義を理解し、効果がありそうだと感じたことである。

この大学では英語のまともな授業が全然取れない。まるで出島のような場所で行われている一部の英語の授業は大人気。しかし数が少なく、それでも話す機会は限られている。

この状況は憂うべき状況であるにもかかわらず、特に変化の兆しはない。だから自分たちで何とかしなければならない。というわけである。



TOEFLの必修化の動きや留学奨励の動きはよく理解できる。

しかし、不思議なのはTOEFLを奨励している政治家の多くがTOEFLを受けたこともないという事実である。

重要なのは、大学でどのようにTOEFLに対応できるぐらいの英語教育をできるかである。

そのためには、スピーキングだけではなく、ライティングを根本的に違うやり方で教えなければならない。

けれども、現役の大学の教授が一体どれほどライティングができるというのだろうか?

ちなみに私が教育を受けた偏差値まあまあの国立大学のライティングの授業は、残念ながら全くこれっぽっちも役に立たないレベルだった。

例えば、一体どの状況で使う英語なのか、はっきりしていなかった。仕事なのか大学なのか個人的な友人関係なのか。英語はその状況によって全く変わってくる。

それと英文を一行ずつ習っても、実践においてはほぼ無意味である。文章は前後の流れで変わってくるからだ。

さらに言えば、英語の基礎で一番大事なコロケーションをちゃんと教えていなかった。日本人が英語を本格的に始めると、まずここで大きく躓いている。ただ、そのことに気づいてもいない。

きりがないので、もうやめる。

要するに、現状では、TOEFLを含め、使える英語を見つけるために必要な要素が全く明らかになっていないし、教授法も謎だし、一体誰が効率的に教えられるのかも分からないということである。



それと、一体どのくらいの点数を取れば使える英語だと言えるのだろうか?

自分の経験で言えば、TOEFLの場合、90点取れても英語のみの職場で仕事として使う最低限のレベルに達するか達しないかぐらいである。

アカデミックで言うと、英語で研究論文を書けるか書けないかギリギリのラインである。

ところが、日本人平均で言えば、このスコアはペラペラだと思われてしまう。

つまり、日本人一般にとっての「英語が出来る」はかなり低いレベルなのである。

だから、一体日本に住んでいる人の何人を、どれくらいのレベルにしたいのか、ということを明確にしないと、対して役に立たない英語力の涵養に時間を使ってしまうことになる可能性がある。



こういう一般的な議論は書いていて思うが、無意味だ。

留学してからの印象だが、日本のエリートは着実に英語の力を身につけようとしている。

政策が変わらなくても、間違いなく。

ただ英語のできるエリートが、また英語のできるエリート(子供)を再生産しているだけのことだ。

私のような周辺の人間は、そこにいかに抗うか(あるいは参入するか)が問題なのだ。

国の政策など、当てにしてはいけない。

最終口頭面接試験顛末記(イギリス生活事件簿、たぶん最終回)

2013-05-15 07:45:05 | イギリス生活事件簿
長きに渡って執筆されてきたイギリス生活事件簿であるが、これが事実上の最終回となる。と思う。

本日午後、遂に博士課程の最終口頭面接試験が終わったのだから。



イギリスに入ったのが金曜日の午後で、そこから今日まで色々あった。

そもそもイギリス渡航準備で少し揉めた。

チケットをとり、宿を予約したところまでは良かったのだが、大学から突如メールが来て、「student visitor visaちゃんと取ってね!」との連絡。

ビザにアレルギー反応のある私はパニックに陥り、大学の担当者に「もうだめだ。知るのが遅すぎた。・・・」と愚痴をメールする始末。

しかし、そうしたメールに慣れている大学の担当者は、丁寧に私に必要事項をメールしてくれて、同時にビザレターの発行の手続きまで進めてくれたのであった。

冷静さを取り戻した私は、彼に丁寧に感謝の言葉述べつつ、必要書類の準備を一気に進めた。

それでもビザは曲者で、取れるかどうかはやってみないと分からない。

今回のビザは、短期だからイギリスの空港で取得可能ということで、とにかく運を天に任せて渡航することに。



渡航前の数日の私のテンションの低さときたら。

しかし、ありがたいことに始めたばかりの大学での授業が私を救ってくれる。

大きな声で授業することで、びっくりするほどストレスが解消されるのである。

ああ、なんて素晴らしい。仕事に救われるなんて。

結果的にやたら気合いの入った授業になった。

生徒は毎週私のテンションが結構違うことに気が付いているだろうか?怖くて聞けない。



渡航当日、家族にも早起きしてもらい空港へ。

イギリスまでの長旅のなかで、映画「東京家族」と「レミゼ」と「ハーブ&ドロシー」を鑑賞。小説『スギハラ・サバイバル』も読了。

(「東京家族」が思いも寄らない相当なハードパンチ。橋爪功の演技がすごすぎる。ソフトな映画と見せかけて、かなり重い。レビューはまた今度。)

不安をとにかく紛らわせることに必死。

空港では審査に時間がかかることが予想されたため、急いで先頭に向かって入国審査。

そこで(私にとって)信じられないことが起こる。



私「最終口頭面接試験を受けに来ましたので、学生ビザをください。」

審査官「終わったら帰るんだよね?」

私「今週に審査があります。終わったら帰ります。」

審査官「はい、わかりました。」

ハンコをポン。

私「書類、見ないんですか?」

審査官「どこの大学だっけ?」

私「○○大学です。」

審査官「了解です。」

私「書類、見ないんですか?」(しつこい)

審査官「結構です。」



私が必死に集めた書類を一切見ない審査官。ウソだろ!時間とお金、結構かかってますよ!



いつものルートであの街へ。

4年前に使ったっきりのタクシーでB&Bへ。

TさんにホテルよりB&Bがおすすめ、と聞き、今回初めてB&Bを使うことにした。

B&Bは一戸建てをホテルのようにしたもので、実際のところ、シェアフラットをパワーアップさせたような感じだ。

朝食もしっかりつき、値段も手ごろで、普通に家の鍵を渡されるため、非常に使い勝手がいい。



翌日は良く晴れており、ショッピングを軽くする。バスで街中を走るだけで、沢山の思い出が去来する。

この街がいつの間にかとても好きになっていた。

それはここで出会った沢山の人たちのおかげだ。

その後、以前メールをくれた男子学生と食事。

初対面だったが気さくな青年で、非常に話が弾む。また会えるかな。

三日目は曇り。時差ボケで体調が少し悪い。早めに就寝。

四日目、時差ボケを受入れ、生活にリズムが出てきた。午前中に指導教官ふたりと模擬試験。感触はかなり良い。英語もよく出てくる。

強いプレッシャーを感じていたが、少しリラックスする。



そして、今日。

朝からソワソワ。英語のニュースを聞きまくる。頭のなかで想定問答を繰り返す。

時間が全然過ぎない。長い待ち時間。



余談:

早朝、BBCにマイケル・サンデルが出ていた。

出版した本について、キャスター(?)と議論している。

ところが、このキャスター(?)、めちゃくちゃ頭がいい。

サンデルさんがやり込められている。すごい。

しかし、サンデルさんも懸命にディフェンスしている。。すごい。

これが今日僕の身に起きるかと思うと、逆に少し勇気づけられる。

サンデルさんでもこうなるのだ。

そして、サンデルさんの答え方はかなり参考になる。

明確な「ノー」で議論を守り、自分の主張を丁寧に通していく。

メインの議論を何度も繰り返し、押していく。

これがお手本のようなディフェンスなのかもしれない。



バスで大学へ。

大学図書館のいつもの部屋で、ビル・エヴァンスを聞きながら準備。ビル・エヴァンスに救われる。

事務担当の女性の部屋を確認。

道すがら、試験官のひとりに遭遇。

「気分はどう?今日はきっと素晴らしい議論になるわ!」

と、勇気づけられる言葉をもらう。

この一言で相当リラックスする。(ところが、現実にはとんでもなく激しい試験になるのだった。)



試験会場で、はじめてもうひとりの試験官と会う。気さくだとは聞いていたが、確かに気さくな先生だった。

友好的な雰囲気で議論がはじまる。

予想外にも、私の研究史から説明させられる。

先行研究をうまく入れながら、きれいに説明できた。

そこから楽しい議論が展開され、30分経過。

これはもう大丈夫かな、と思った直後、徐々に本質的な議論に移行。

そこから、とんでもない激しい攻撃を受けることになる。

30分間、懸命にディフェンス。1時間が過ぎたころ、「もうダメかもしれない」と思い始める。

そこで思い出す、指導教官の言葉。「君には、やりやすい環境をつくる権利がある。休憩はいつでも取れる。それがルールだ。」

そう、これは試合。これはルールに則ったスポーツ。

一度、ブレイクする。プロレスで言えば、一度ロープに逃げたような気分だ。

私は途中で気が付いた。今求められているのは、この場で具体的にどのような修正案が可能かを明確にすることだ。

修正案はあまりにも大きくてもいけない。

最小限で、しかも確実に納得させられるものでなければいけない。

だから実質的にはディフェンスというより、主要な議論の「明確化」が重要なのだ。

相手の理解を促し、相手の疑問を解消する。そして、遠くない範囲での代替案に向かわせる。



このままではマズい。もう一度イギリスに来るには、かなりのコストがかかるし、精神的ダメージも相当になる。

とにかく、なんとかしなければ。

議論は次の大きな論点へ。

これはかなり準備してきた論点。ここで私が間違っていると思われるとかなりのマイナスだ。

反撃開始。

徹底してディフェンスする。

いやむしろオフェンスするような勢いだ。

試験官を徹底的に論破することにした。

もう容赦しない。そっちがその気なら、こっちもそのつもりだぞ。

形勢がようやく元に戻る。

これで1対1だ。



試験会場の外に出され、試験官ふたりが最後の相談を開始。

長い5分間。

もしかしたら、ダメかもしれない。

っていうか、あんな攻撃されるとは思わなかった。

こんなにガチなのか、イギリスの口頭面接試験よ。

心が重い。



部屋に呼びこまれる。

試験官(外部)「結論が出ました。・・・・・・おめでとう!」

自分としては正直かなり意外だったせいもあるし、このプレッシャーしかない長旅の疲れもあるし、これまでの長い長い色々な思い出のこともあって、僕はボロボロ泣き出してしまった。

ずっと綱渡りでやってきた博士課程。渡英したとき、こんなふうにPh.Dに手が届く日が来るなんて思いも寄らなかった。

だから、僕はどうしても涙をこらえることが出来なかった。

それに、結構悔しかった。あんなにやりこめられるとは思わなかったから。

その後、具体的な修正点をもらう。いわゆる「マイナー・コレクション」というやつで、これはほぼ合格を意味する。

博士候補生が面接試験で獲得する最も多い合格のパターンだ。

ちなみに「メイジャー・コレクション」だと罰金もあるし、面接のやり直しもあるし、とんでもないことになる。これは事実上の不合格を意味する。

現実的なことを言えば、この面接までに私は相当な準備をしてきた。

具体的に書くのは少々憚られるが、結果的にそれが功を奏した。というか、このレベルでの準備ができていなかったから、おそらく試験には落ちていた。

それほど、この最終高等面接試験はガチだ。



試験官がそのまま指導教官のもとへ僕を連れて行く。

「紹介します、マルコ(仮名)博士です!」

こういう気の利いた感じがイギリスです。

メインの指導教官がとてもとても喜んでくれた。

そして、沢山褒めてくれた。ありがとうございます。でも、かなり危なかったんですけど。



そのまま、大学内のパブへ。先生たちの教育論を沢山聞く。イギリスの教育レベルの高さを実感する。こんなにみんな、考えているのか。そして、新しい方法をどんどん実践している。

日本でこのレベルの教育論を持っている先生がどれほどいるのだろうか。そして、何より実践を伴っているだろうか。そんな先生、ほとんどいないだろう。

そのまま、街中のレストランへ。もうヘトヘト。しかし、先生方は疲れ知らず。研究の話、運営の話、何時間もよどみなく続ける。このパワーこそ研究者の強さか。

とりあえず、明日はオフとする。

ようやく自由な気持ちで研究できる。

リアリティの欲求:sekai no owariとナオト・インティライミ

2013-05-04 17:41:01 | コラム的な何か
ティーンネイジャーにとっての最前線の音楽が移り変わるスピードの速さに、僕はいつも驚いてしまう。

でも、それはそうなのだ。15歳の少年も5年経てば20歳になる。

このブログで「神聖かまってちゃん」について書いたのは、つい最近のことのように思えるが、「かまってちゃん」は私とほぼ同世代のなのであって、もう彼らも「おじさん」になろうか、という年頃である。

同世代と言えば、sekai no owariも同世代だ。

けれども、私にとって見ると、sekai no owariは少し新しい時代の潮流を感じさせる。

これと同じように、ナオト・インティライミの人気もなんだか同じような時代の空気を示唆しているように思えるのである。



sekai no owariのブレインとも言うべき、Fukaseのメッセージは興味深い。

タワーレコードのインタビューで彼は、すでに流布している「正義」や「平和」といった言説にはリアリティがなく、本質を欠いたままでは何の意味もないと主張する。

そこで彼を含め、このバンドは彼らなりに、もう一度こうした正義や平和の概念を自分なりに疑ったり、検討したりしている。

実際、「虹色の戦争」はそうした彼らのスタンスがよく表れている。

だが、こうしたリアリティの問題は、彼らがリアリティを獲得できない不安や葛藤の裏返しでもある。

彼らのファンタジックな世界観は、どこか「セカイ系」を思わせる。つまり、自分の心の(戦争と平和の)問題と、世界の(戦争と平和)問題が結びついてしまうという精神構造である。

これは私のなかにもあって、そういう意味でとても共鳴するものがある。

私は社会科学をやっているため、世界の問題と音楽家とは異なるアプローチで取り組んでいる。しかし、そのスタンスがはっきりするまで、私は音楽家と自分の営為の差異がどうしてもはっきりせず、そのことにひどく悩んできた。

それはともかく、つまりここで言いたいのは、このsekai no owariのスタンスというのは、どうしても満たされないリアリティへの欲求を強く反映しているのではないか、ということなのである。

そして、この問題に対して彼らは「音楽と懐疑」というアプローチで格闘していると私は解釈している。



他方、ナオト・インティライミは私よりもいくつか年上であるが、この人の行動も興味深い。

世界を一周し、色々な人とコミュニケーションし、歌を歌う。

私は留学先で彼とそっくりな人たちと出会った。

どういうわけか、年齢もほとんど彼と同じだった。

私はこういう人たちを総じて「インティライミ症候群」と呼んでいる(否定的な意味ではない)。

この人たちも先のsekai no owariと同様、リアリティの欲求に苦しんでいる。

世界を知りたい、色々な人たちの声を直接聞きたい、つながりたい。実際に世界中に移動して、そこでリアリティを得ることが彼らのアプローチだ。

彼らは世界中を旅して、色々な人たちと出会って、なんやかんやあって最終的に感動して、そしてメッセージを発する。

これもひとつの有力なやり方だ。

自分がイギリスに移動したのも、そういう気持ちがあったからだと思う。



こうした2種類の若者の思考様式は、自主的で、しばしば行動的で、思考停止を避け建設的だが、どこか冷静である。

正直言って、自分としては、彼らにひどく共感する一方で、どこか乗りきれない部分もある。

理由は、どちらも世界のリアリティを欲求しているものの、構造に対してひどく無防備にも見えるからだ。

それはおそらく若さの問題なのかな、とも思う。

そして、音楽家という特殊性もあるのかな、と思う。

そうした多くの「隙」を差し引いても、僕はこのふたつの潮流には敬意を表したい。そして、同時にどうにか距離をとりたいと思っている。

打席に立ったら、スウィングする。見逃すのではない。

2013-05-01 20:58:24 | 日記
もうすぐ最終面接試験だ。上手く出来るかどうかは分からないが準備は真剣にしてきた。

うまくいかなかったとしても、それで全てが失敗というわけではない。チャンスはまだある。



なにより、ここまでよくやってきた。

それは自分が努力したというような単純なことではない。

あまりにも多くの偶然が重なってきた。

イギリスでPh.D課程に入ったことも、見切り発車だったけれど途中で辞めず済んだことも、何もかもよく分からないまま、全体像が見えないまま突き進んできた。

自分の力だけでどうにかなるものではなかった。

沢山の、沢山の力が僕のこの瞬間につながっている。



聖書の次の言葉は有名だ。

「求めよ、さらば与えられん」(マタイ福音書)

全く私のイギリス生活はこの言葉通りだった。

だが、チャンスは無限に与えられるわけではない。

たったの一度かもしれない。その期間も1年かもしれないし、1か月かもしれないし、もしかしたらたったの1日かもしれない。

だから、もしもチャンスが与えられたならば、そこでバットを振らなければならない。

そのためにしっかり練習しておかなければならない。

僕はちゃんとバットを振れているだろうか?

少なくとも試合はまだ続いている。途中で終わったり、コールド負けにはなっていない。

それに、この試合はひとりでやっているわけではない。

沢山の人の力を借りている。

人との出会いも一瞬かもしれない。それもまたチャンスだ。

そこで力を貸してもらい、こちらからも分け与える。

細かいチャンスの集積がひとつのチャンスにつながっていく。

バットを振れる瞬間にバットを振る。

それが僕がイギリスで学んだことだ。

僕はまた打席に立つ。そしてバットを振る。