それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

アマゾン・プライム「有田と週刊プロレスと」:話の熱量と技術が心を動かす

2018-05-23 08:44:00 | テレビとラジオ
 ゴールデンのバラエティ番組の場合、台本に沿って大人数の人たちが流れをつくっていくことが多いが、

 昨今では、逆に一人の人間がじっくり自分の話したいことを話す、という番組も非常に熱い。



 いとうせいこうとユースケ・サンタマリアのトーク番組「オトナに!」や、

 惜しくも終了してしまったレキシとダイノジ大谷の情報バラエティ「アフロの変」などは、まさにそういう番組だった。

 ラジオで言えば、TBSラジオの「ウィークエンド・シャッフル」、その後継番組「アフターシックス・ジャンクション」なんかも、そういう番組だ。



 そのなかで、非常に評判が良かったのが、アマゾン・プライムの「有田と週刊プロレスと」である。

 くりぃむしちゅーの有田が、雑誌「週刊プロレス」のバックナンバーを一冊与えられ(どの号か有田は本番まで知らない)、

 そこから、一人のゲストとともに、プロレスについて語る番組だ。

 なぜ、この番組がそんなに面白いのか。

 重要なのは、ゲストの大半がプロレスを知らない人だということ。

 この番組では、有田がその人のためにプロレスの文脈を説明する。

 この番組を面白くしているのは、その説明における有田の熱量と話術が、信じられないほど凄いからだ。



 プロレスに興味がない人、プロレスを知らない人ほど、この番組に激はまりすること間違いなしである。

 有田の説明は、何より分かり易い。

 黒板を使って、丁寧に説明してくれる人間関係と歴史。

 凄まじいクオリティの選手のモノマネ。

 その場にいたかと錯覚するほどの、臨場感あふれる場面描写。

 プロレスの試合映像は一切放送されない。

 この番組の肝は、有田の話術一本。



 アシスタントの倉持明日香(元AKB)のプロレス愛と、多すぎない知識量も見事!

 プロレス弱者のゲストのチョイスや、週刊プロレスのバックナンバーのチョイスも、なるほどと唸ってしまう。

 番組スタッフのプロレス愛も半端ないことが分かる。



 しかし、何よりプロレスそのものが持つ魅力も忘れてはならない。

 暴力が嫌いな人、体育会系が苦手ない人。大丈夫。それもこの番組は面白いはず。実際、僕もそうだから。

 プロレスのポイントは、「本当のルール」がきわめて不明瞭だということにある。

 どういうことか。



 まず、プロレスの場合、勝敗はどこでいつ決まるのか?

 試合のなかで?試合の前?

 試合の前だとしても、それはどういう政治力学で決まるのか。

 スター選手は、どういう基準を満たすとスターになるのか。

 選挙をするわけでもない。試合の勝敗だけでも決まらない。

 人事を決める人たちのなかでの評価と、ファンの評価も一致しない。



 次に、プロレスの「良い試合」とは何か?

 技が多い?派手?いや、そういうわけでもない。

 お互いが技を全力で受け合い、掛け合う試合が良い試合?

 説得力のある試合こそ良いという人もいる。説得力って何?

 

 暗黙のルールで「本当に」蹴ってはいけない場所や、かけてはいけないタイミングや技があるらしいのだが、

 それはプロレスを沢山見ないと分からない。



 で、何が言いたいのか。

 プロレスには、人間が社会のなかで直面するあらゆる現象が凝縮されている。

 複雑で不透明で、勝敗や人事には多様な諸力がいちいち作用している。

 リングの世界と、裏の世界。メディア上の世界と、そこに描かれない世界。

 嘘と本当が混ぜこぜになっている。しかし、それでもリングで選手たちが傷つき、命がけで試合をしていることは本当。



 この虚実ないまぜの世界に垣間見える、誠実さや途方もない努力は驚くほど美しく、見るものを勇気づけてくれる。

 プロレスの世界で評価されるのは、肉体的な努力だけではない。

 社会的関係を司る努力もそれ以上に重要だ。

 それゆえに、様々なプロレス専門用語が芸能界の専門用語となり、テレビを通じて一般人が口にする普通の言葉になっている。

 たとえば、「ガチ」とか、「しょっぱい」(=つまらない)とか。

 あるいは、AKBのシステムも明らかにプロレスの影響を受けているようにしか見えない(実際、秋元さんは大のプロレス好き)し、

 ももクロのパフォーマンスにもプロレスの影響が色濃い。

 

 要するに、プロレスは教養になってしまっている。

 そして、それに値するほどの内容だということ。

 もしそれを知りたいのなら、そう、有田のこの番組が何よりおすすめなのだ。

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