それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

「無人島0円生活」:ナスD無双

2017-12-31 08:28:04 | テレビとラジオ
 今年はとにかくナスDが爆発的に人気になった。

 年末の「無人島0円生活」を見ると、その人気も頷ける。

 番組では本家とも言うべき、よゐこと対決したナスDだったが、そもそもこの番組でよゐこを支えたきたのが、ナスDだったという。

 さらに、番組内で明らかにされたように、無人島を舞台にすることになったのも、よゐこ濱口とナスDの喧嘩が原因だったという。



 その経緯はともかく、ナスDのすごさは、その行動と理屈である。

 ナスDはサバイバルに関する知識が膨大だ。というか、サバイバルに関することだけでなく、相当な知識を持っている。

 その知識は単なる机上のものではなく、実践や実験を伴っている。

 たとえば、無人島で家をつくるときの所作が凄まじい。

 簡単な設計図を描き、その場で使用する長さの「単位」を作り出し、材料を集める。

 ツタを紐として使い、頑丈な家を見事に作っていく。

 あれだけの木材がどういうかたちが存在していたのかなど、色々気になるが、

 見どころはナスDの説明だ。

 凄まじく分かりやすい簡潔な説明を次々に繰り出しながら、飲まず食わず寝ずの極限に近い状態で作業を続けるナスD。

 かっこいい。無条件にかっこいい。

 あの状況で、ここまで客観的に説明できる強靭な精神と頭脳。

 それを支える鋼鉄の肉体。



 そして、そのままの状態で海に潜るナスD。

 スタッフの5尾捕獲の要求に、6尾捕獲を公言。

 そして、実現。すさまじい速度で実現。

 しかも、ナイフと素手で。それも正確に説明し、実践する。

 超人!

 そこからの食レポもやばい。

 どの魚がどういう味なのか、正確に説明を繰り出す。化け物か!!



 この人のもとで仕事したら、部下全員過労でやばいことになるんだろうなあ、と推察。

 ナスDはテレビで見るだけがよろしいかと。。

NHK「アジア食紀行」:世界もののなかで最もワイルド

2017-12-17 11:06:19 | テレビとラジオ
この番組はもう一年前からのもので、今は再放送をしている状態だが、しかし面白い。

料理人のコウケンテツがアジア各地の家で料理をまなび、料理をつくる。

その料理と環境のワイルドさ。

見知らぬ食べ物、見知らぬ食習慣。

虫、花、謎の葉っぱ。

けれど、それをショッキングに伝えるのではなく、ごく普通の家庭料理として伝えるのがこの番組。

どこで探してきたのか不思議になる現地の家庭にお邪魔するNHK。

コーディネーターすごいぞ。

コウケンテツのさわやかで落ち着いたリアクションも素晴らしい。

臭いものは臭いし、苦いものは苦い。ちゃんと伝えながらも、それが料理にどういかされているのか、冷静に分析してくれる。

そうしたセンセーショナリズムを避ける演出が、逆に現地のワイルドさを引き立たせるから不思議。

そして、どんな料理もなんだかんだで美味しそうなのだ。

それはそうだ。何十年、何百年もかけて創られた食文化。それに対する敬意こそ、食レポの本質ではないか。

この番組の強さは、そうした演出に加えて、コウケンテツの愛らしさもすごい。

どんな場所でも優しくされてしまうグローバルイケメン!

カエルをさばいたり、豚の血を料理したりするシーンは、かなりグロテスクだから見るときには注意してね‼

さよなら、平成(6):フジテレビの黄昏

2017-12-16 15:20:40 | コラム的な何か
フジテレビの視聴率が悪い。しかも、バラエティで悪い。

自分はフジテレビのバラエティやドラマが面白いと思えるまで時間がかかった。

おかげで、周囲の人たちが話している内容が理解できるまで時間がかかった。

それが中学1年。

なぜ苦手だったのか。

フジテレビの番組は、自分にとっては、すごく怖いものだった。

暴力的というか、若者的というか、何か話の通じない相手のように思っていた。

番組のなかの人間関係からの印象だったのかもしれない。

よく見るようになったのは高校生からだった。

それでも、めちゃイケも、おかげでしたも、見ていなかった。

それらを見たのは大学生からだった。

それでもあいのりには乗れなかった。



フジテレビの凋落は、自分にとっては、クラスカーストの革命のように見える。

話の合わない連中がマジョリティではなくなる安心感。

だから、自分にはフジテレビの復活のイメージができない。

それでも、人間の本質、社会の本質に触れる番組ができれば、必ずや復活する。

それは明言できる。

今のヒットしているバラエティの面白さはそこにある。その面白さは複合的で多角的で、しかも見所が明確だ。

でも、しばらくは無理だろう。

別にそれで構いません。

10年以内に大学改革症候群で、日本の国公立大学はひとつ残らず崩壊する

2017-12-07 08:32:29 | コラム的な何か
 大学改革、特に国公立改革がめちゃくちゃで亡国と呼ぶに値する事態だ。

 大学に対する要求がごちゃごちゃしていて、まさに大乱闘になりつつある。

 まず、そこを簡単に整理しよう。



 今、大学への改革を求める声は、

 1.経済界が人材育成を大学にアウトソーシング

 各企業に人材育成の基礎体力が無くなっているので、人材育成をアウトソーシングしたい。

 そこで大学にそれをやれ、と言っている。



 2.そこで経済界の関係者を大学教員にしろ、と要求

 ところが、大学は経済界の言うことを聞かないので、政治的な力を使って経済界の人材を強制的に大学教員にしてしまいたい。

 そのうえでカリキュラムにも手を入れたい。

 それによって、経済界の役に立つ人材や研究を生み出せるような基盤をつくりたい、と考えている。

 言わば、「企業専門学校化」である。

 しかし、大学は言うことを聞かない。

 そこで、学長に強い権限を与え、トップダウンで経済界に好ましい改革をできる構造をつくろうとしている。

 経団連が発表している文書を読めば、以上のことが明確に書かれている。


 
 3.行政府からの財政削減で、事務員はすでに非正規

 大学改革として、これまで国が進めてきたのが、公務員の定数削減と合わせた、大学の財政削減だ。

 国公立大学の事務員は、すでに大半が非正規雇用になった。

 厚遇されている正規職員のなかでも、シニアの人々はまったく仕事をせず、しわ寄せが非正規雇用の若手に行っている。



 4.財政削減で、若手研究者の生活は立ち行かない

 よく知られているように、若手研究者の正規ポストも削減されてきた。

 帝国大学も例外ではない。

 「北大が教授205人相当カットの大規模リストラ発表」のニュースも記憶に新しい。

 北大だけではない。国立全体がやばい

 すでに正規のポジションを得ている教授たちの首は切れないので、新規の採用を消滅させるしかない。

 そうなると、年齢構成は逆ピラミッドになる。



 5.公的な資金も流動的で、若手には逆効果。シニアにもね。

 しかし、国公立大学に研究費として注入されている金額はかなりのものだ。

 なぜ、それで若手研究者を雇えないのか?

 実のところ、これは大学にとって安定した予算ではない。

 期間限定の大型の研究プロジェクトのお金なので、途中で打ち切られるのだ。

 だから、若手を雇っても、数年でリストラされてしまう。

 ちなみに、流動的な公的資金には民間では考えられないレベルで、運用上の手続きが多い。

 膨大な書類の提出。使途に関する意味不明で不合理な規則。

 要するに、ソ連で失敗したやつだ。

 シニアの研究者は、すべてこれに時間を奪われ、研究成果を出せないでいる。



 6.大学のグローバル化、競争力の向上

 企業専門学校化しつつ、財政削減しつつ、同時にグローバルな競争力のある大学が求められている。

 例えて言うなら、老舗のレストランをファミレスにして、低価格化し、料理人もバイトにして、しかも、ミシュランの三ツ星を狙いに行っているということだ。

 グローバル化は、具体的にはふたつの意味だ。

 学生と教員を海外から集める、ということ。

 もうひとつは、海外の大学ランキングで上位に行くこと。

 日本の経済力や市場規模が縮小すれば、ますます海外から来る学生は減る。

 また、こんなに労働環境が悪化しつつある日本の大学に、海外から優秀な研究者は来ない。

 その逆。全部、アメリカに持っていかれている。

 起きているのは、グローバルな人材の流入ではなく流出である。



 7.大学の組織管理改革をさらに求める声

 この状況で進められつつあるのが、大学の組織管理改革だ。

 非正規だらけで、基礎体力がなくなって、スカスカになった国公立大学に対して、大規模な外科手術しようというわけだ。

 具体的には、日経新聞の記事が分かりやすい。

 日本総研は、(日経新聞を通じて)自民党の政策方針を忠実に喧伝していると思われる。

 要するに、若手のポジションを増やしつつ、シニアの人事を流動化させようとしている。

 つまり、成果を出しなくくなったシニアの研究者は冷遇し、できれば辞めさせたいのだ。

 もう少しマイルドな言い方をすれば、成果を人事・給与に反映させなければならない。 

 そのためには、学長を外部から入れて強権を振るわせなければいけないし、官庁からの監査の権力の強めなければいけない。

 では、そうした組織管理改革を実現したら、すべてうまくいくのか?



 いやそうではない。

 もう一度言うが、今、大学に要求されていることは、同時に実現不可能なことだ。

 老舗のレストランをファミレスにしたいのか、それともミシュラン三ツ星にしたいのか。どっちかにしてくれ。

 国公立大学は、面白いことにこの両方を実現しろと言われて、結局、値段の高い不味いファミレスになりつつある。

 具体的に名前を出してみよう。と思って、いったん伏字で書いたけど、あまりにもなので、消した。

 大学をめぐる力学は、当分このままなので、10年以内に国公立大学はすべて崩壊します。