それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

レミゼDVDを鑑賞

2010-12-31 23:48:22 | 日記
予定通り、友人が僕に預けたミュージカルのレ・ミゼラブルの10周年記念コンサートDVDを鑑賞。

あまりの素晴らしさに言葉を失う。ストーリー、音楽、役者、オケ、どれも超すごい。

大陸ヨーロッパの博愛、共和主義、階級といった要素が結晶化。内容がめちゃくちゃ濃い。

楽曲の種類が沢山あり、どれも非常に華がある。そして、かなり演奏も歌も難しい。簡単には真似できない。

良かった、良かった。

もうすぐイギリスは年を越しますが、眠いので寝ます。今年もよろしく。

フラットメイト、戻る:もう休みは終わるのだよ

2010-12-31 12:57:44 | 日記
みなさん、来年もどうぞよろしくお願いいたします。


今日はジャニンが帰ってくる日だ。

今日まで僕はゆっくりとガス・電気を使い、非常にエコな生活を心がけてきた。

ひとりで全館暖房はとんでもないコストになるので、自分の部屋だけを暖めてきた。

時には寒かったりもした。時には不便だったこともある。

しかし、それも今日まで。

ちょうどぴったり使いきった電気とガスを補充しに、僕は近くのお店まで行くことにした。


午前中の研究を一応終えて外に出ると、パジェロ的な巨大な車が。

ジョーとジョーのお父さんであった。

全然似ていないお父さん(いや、本当にお父さんかどうかは分からない)。

久し振りのジョー。今日帰ってきたじょー。

久し振りにネイティブと会話したょ、変な話。

いや、実は一度近所のイギリス人とたまたまゴミの話をしたのだが、非常に短い会話。

そういう短い会話といったら他にもあるのだが、いやはやとにかく人と話していなかったこの2週間。

100年以上前の人の文章ばかり読んでいたというこの年末・・・。


そうこうしていると、今度はタクシーが入ってきた。ジャニンだ。

残るはクリスだけだが、彼の帰宅は一週間後になる。

彼がいないのはかなりさびしい。


それはそれとして、日本だとまさに休みに入ろうという時期だが、イギリスでは反対に、新しい学期や仕事はじめ直前の時期、という空気のようだ。

この違いには全くなじめないが(なじむ必要がない)、そういう正月を僕は嫌いではない。

こちらとしては、年末も年始もなく研究しているので、休みの空気をそんなに出してもらうよりはいつもどおりの感じの方がいい。

僕が休みをとるのは3月に一時帰国してからの予定。

その間はいつもの研究ペース。

とはいえ、これからの一、二週間は研究のピークになりそうだ。

ほとんど一次資料の分析が終わったから。

いよいよ、書く作業が始まるのだ。これがすごいんだよなぁ・・・。すごい戦いなんだよなぁ(とはいえ、今書いている章はあと半分だからちょっとだけ楽な気持ち)。



書くと言えば、日本の友人が短い英文のチェックを依頼してきた。

非常に短いが、問題が多い。開始数分でペーパーが赤だらけ。

ちなみに、こういうアカデミック関連の仕事は、僕はめちゃくちゃ速いです。

この人の場合、ネイティブ・チェックの段階ではない。

僕がチェックして色々直したり考えたりしたあと、使うのがよろしい。

これまでの僕の道のりを振り返るような作業だった。

もう一度、お手本となるような英文を頭に入れて、僕も書く作業に入ろうかな。

官能的表現行為と批評

2010-12-30 10:32:33 | コラム的な何か
音楽といった芸術表現は非常に官能的である。

小説や詩は言葉を使いながらも官能的だ。



これに対して、そうした官能的表現行為を批評する行為は官能的ではない。

批評家は官能的な表現を心の中で願うが、その才能がないので批評家をやっている。

そうした願望と自己の現実の食い違いが、批評家の気持ちの悪い文体を生むことがままある。



ところが、まれにそうした批評家のなかから、官能的に批評ができる人間が出てきてしまう。

おそらく、その代表的な例が菊池成孔だ。

彼自身は音楽家だが、批評家としても異常なまでに官能的な才能を持ってしまった。



しかし、官能的な批評、というものが孕むそもそもの矛盾が周囲の人間を困惑させる。

「批評はいくら官能的でも、官能的表現行為に従属したものなのではないか?」という困惑を。



批評は果たして官能的表現行為の端女なのか?

この問題は、プロレスにおける「アントニオ猪木―村松友視―前田日明」の関係に象徴されている。

猪木は村松が描いたプロレス像、哲学というものを取り入れようと考えた。少なくとも否定しなかった。

これに対して前田は批評家と選手の差異を絶対に許せなかった。それはここでいうところの、官能的表現行為と批評の差異であり、ある意味では深淵である。



この問題を考えると、いつも「自分が社会科学を研究していることにどういう意味があるのか」、というありがちな不安に帰着する。

そして、官能的な社会科学の論文など・・・、と思って安堵するのである。

社会科学の論文における魅力は、ある種の官能的表現行為のそれに似ているかもしれない。

しかし量も質も明らかに違う。

そのうえ、多くの場合、その官能性の存在にすら気付かれていない。

自分が社会科学の論文において、官能性の問題を自分なりに決着できたのは比較的最近である。

これはなかなか伝えにくいことだが、実は大事なことだと思っている。

君は爬虫類

2010-12-29 23:17:31 | 日記
君は爬虫類。昆虫類じゃなく。

瞳に血が通ってない。

キュートな鼻はトカゲみたい。

口の奥には長い舌。

抱いたらとても冷たかった。

恒温動物じゃなかったんだ。


とても寡黙。何科目?

トカゲ科目?それともワニ?

カメレオンとはどういう関係?

「・・・あぁ、叔父さんなの」。


君は爬虫類。魚類はご先祖。

ウロコはないけど、毛も生えてない。

長い髪とまつげだけ。

抱いたらツメで傷つけられた。

攻撃用にとがっていたんだ。


とても寡黙。何科目?

トカゲ科目?それともワニ?

僕を食べるつもりならば、

ひと思いに食べてよね。

フジファブリック「若者のすべて」を解説

2010-12-28 19:24:03 | コラム的な何か
理由は特に述べませんが、フジファブリックの「若者のすべて」という曲の構造を分解してみたいと思います。

とにかく、すごく良い曲です。



1、コードとスケール

調は最初から最後まで一貫して「D♭」。

Aメロは、 D♭/F G♭ という進行の繰り返しです。

すなわち、「Iの第一転回形」⇒IV というポップロックのAメロでは頻出のパターンです。

コードチェンジの位置は1小節ごとで、比較的ゆっくり。



そこからBメロは、G♭から一音ずつベースが下がる進行。Aメロよりも、色が鮮やかな展開です。

コードチェンジのタイミングがさらに遅くなって、基本的に2小節に一回に。

サビ直前で、ドリアン・スケール(たぶんね・・・)がシタールっぽい音で展開して、青春感が出ています。ちなみに同じスケールが、曲の最後の最後でも!これは非常に象徴的。



そこから、サビはさらに色が鮮やかに。

G♭M7  D♭/F  E♭m7  E♭dim  B♭m  D♭/A♭
G♭M7  D♭/F  E♭m7  D♭/F  G♭  A♭  D♭

この展開で注目したいのが、E♭dimの使い方。かなり抒情的にディミニッシュが使われています。そこだけ抜き出して見てみましょう。

II ⇒ IIのディミニッシュ⇒VI
E♭m7 E♭dim B♭m

抒情的だし、きわめてクラシックっぽい。本当、クラシックっぽい。バロック以来のディミッシュの伝統という気がします(詳しくないので分かりませんけど)。

フジファブの特徴は、幾つかの曲で見られる極めて抒情的なコード進行。これもその代表です。

さらにサビの後半、その最後では

Iの第一転回形⇒IV⇒V⇒I

という一気に上に登っていくコード進行が、2拍に一回の早い割合で展開します。ゆったりとした下がる展開が続いていたので、非常にドラマチックです。



2、リズム

Aメロ、Bメロは拍の頭を均等の強さで打っていく、淡々とした展開。

それに対して、サビは典型的な8ビートで、ガンガン押して行きます。

それまでの淡々としたリズムからこの展開によって、サビはサビであることを自己主張します。



3、歌詞

歌詞は解説しようがない・・・。ただ、これがまた抒情的なんだな・・・。

どう抒情的かっていうと、何か祭りが終わった感がすごい。


サビは、

「最後の花火が今年も終わったな

何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな

会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」


「ないかな・・・」の一節が特にすごい。独り言だし、その迷っている感じ、思い出している感じ、思いが残っている感じ、うーん、すごい。

この「ないかな・・・」の節がうまくはまっているのは、メロディと発声の関係のせいでもある。

フジファブのボーカル志村さんは、張るというよりは、粘る感じでひっぱりあげる発声法が特徴でした。ちょっと幼い感じもして、そこが抒情性のある歌詞と合う。

この「ないかな・・・」のメロディは、音の上下がかなり激しいダイナミックなものなんですが、この粘る発声がこの上下の連続の中で、すごく生きている。

それが「ないかな ないよな・・・」のナ行音が粘る感じと、また噛み合ってしまう。

このメロディ、発声、音声の3つどもえの関係が見事。

そこにあの色鮮やかなコード進行と組み合わさって、もうすごい効果ですょ。



4、音質

これは言っておきたい。フジファブのこの曲は基本的にアコースティックなサウンド。

特にアコースティック・ピアノの音がうまい。これがうまく使われています。

これが抒情性とぴったりなんだなあ・・・。

Aメロ、Bメロではこのアコースティック感が全開で、裏のエレキ・ギターのサウンドが効果音に。これも上手。

ところがサビで、エレキ・ギターのサウンドが全面に出てきて大盛り上がり。8ビート&エレキで、ロックです。

その盛り上がりのなかで、あのコードと歌詞。最高っす。



5、まとめ

抒情的なコードと、抒情的な歌詞。無敵です。・・・それだけかいッ!