先日、レディー・ガガがグラミー賞で、トニー・ベネットと見事なデュエットを見せた。
トニー・ベネットと言えば、伝説的なポピュラー音楽の歌手。
すでに90歳近い彼は、未だ現役で見事な歌唱を見せている。
アメリカで言うポピュラー音楽とは、いわばビートルズ登場によってロック化したポップスとは別の、ジャズを基調とした音楽を指す。
トニー・ベネットはまるで自然に普通に歌うが、そのグルーブと言ったら、とてつもない。
プロの歌手とて、まったく真似できないような、リズムの取り方、節の回し方。
しかし、何と言っても、そこに合わせるガガの歌唱が見事なのだ。
トニー・ベネットの歌声が生きるように、ガガは絶妙なリズム、音程、節回して声を合わせていく。
ガガはハウスやソウルだけではなく、ジャズの歌い方も出来る。
同じブラックミュージックだが、ソウルとジャズでは全く違う。
ソウルの歌い方がレスリングだとしたら、ジャズの歌い方は極端な話、合気道に近いかもしれない。
ソウルは基本的に朗々と歌い上げるもので、目指すところは、ゴスペルがずっと体現してきた一種の神がかり的な恍惚感だ。
それと相まって、ソウルは非常にマッチョでセクシーであることを前面に押し出す
他方、ジャズ、特にジャズを基調にしたポップスが目指すのは、あえて言えば、粋(いき)だ。
大人の思慮深いが、しかしユーモアに満ちたセクシーさ。それが(アメリカの古き良き)ジャズ・ボーカルだと私は思う。
だから、歌詞の表現もソウルと違ってずっと抑制されているし、歌唱も当然しなやかになる。
要するに、全然違うルールのスポーツで、ガガはともに見事に優勝して見せたわけである。
ところが、ガガはそれだけにとどまらない。
アカデミー賞の授賞式では、あの「サウンド・オブ・ミュージック」のトリビュート企画で、あの映画の有名な歌を幾つもメドレーにして歌って見せた。
今度は、ミュージカルだ。
ミュージカルと言っても、昔のミュージカル。
つまり、今度は西欧のクラシック的な歌唱が求められる。
これも全然求められる技術や表現が異なる。
にもかかわらず、驚くべきことに、それも見事にやってのけてしまうガガ。
「ガガ、なんて恐ろしい子!」(『ガラスの仮面』風)
ガガと言われなければ気が付かないほど、「サウンド・オブ・ミュージック」なガガ様。
二の腕にあるタトゥーがなければ、気づかなかったかもしれないガガ様。
彼女の「ニューヨーク大学の芸術学部」出身という経歴は、並のモノではない。
アメリカが培ったあらゆる芸能における歌唱のノウハウをものにしているガガ。
そうだ、アメリカはバークリー・メソッドが示すように、プロフェッショナルな技術の定式化と教授法が見事に発展しているのだ。
そして、そのなかから、ガガのようなとんでもなく一流のアーティストが登場する。
まさに、これこそがアーティスト。
日本の場合、ポップスと括られる芸術領域は、驚くべきアマチュアリズムで成り立っている。
それが良いところでもあるが、最悪なところでもある。
大衆芸術は蛸壺化し、それを総合的に扱いにくい土壌が出来ている。
だからこそ、日本社会の聴衆は、ガガを愛してやまないのである。
トニー・ベネットと言えば、伝説的なポピュラー音楽の歌手。
すでに90歳近い彼は、未だ現役で見事な歌唱を見せている。
アメリカで言うポピュラー音楽とは、いわばビートルズ登場によってロック化したポップスとは別の、ジャズを基調とした音楽を指す。
トニー・ベネットはまるで自然に普通に歌うが、そのグルーブと言ったら、とてつもない。
プロの歌手とて、まったく真似できないような、リズムの取り方、節の回し方。
しかし、何と言っても、そこに合わせるガガの歌唱が見事なのだ。
トニー・ベネットの歌声が生きるように、ガガは絶妙なリズム、音程、節回して声を合わせていく。
ガガはハウスやソウルだけではなく、ジャズの歌い方も出来る。
同じブラックミュージックだが、ソウルとジャズでは全く違う。
ソウルの歌い方がレスリングだとしたら、ジャズの歌い方は極端な話、合気道に近いかもしれない。
ソウルは基本的に朗々と歌い上げるもので、目指すところは、ゴスペルがずっと体現してきた一種の神がかり的な恍惚感だ。
それと相まって、ソウルは非常にマッチョでセクシーであることを前面に押し出す
他方、ジャズ、特にジャズを基調にしたポップスが目指すのは、あえて言えば、粋(いき)だ。
大人の思慮深いが、しかしユーモアに満ちたセクシーさ。それが(アメリカの古き良き)ジャズ・ボーカルだと私は思う。
だから、歌詞の表現もソウルと違ってずっと抑制されているし、歌唱も当然しなやかになる。
要するに、全然違うルールのスポーツで、ガガはともに見事に優勝して見せたわけである。
ところが、ガガはそれだけにとどまらない。
アカデミー賞の授賞式では、あの「サウンド・オブ・ミュージック」のトリビュート企画で、あの映画の有名な歌を幾つもメドレーにして歌って見せた。
今度は、ミュージカルだ。
ミュージカルと言っても、昔のミュージカル。
つまり、今度は西欧のクラシック的な歌唱が求められる。
これも全然求められる技術や表現が異なる。
にもかかわらず、驚くべきことに、それも見事にやってのけてしまうガガ。
「ガガ、なんて恐ろしい子!」(『ガラスの仮面』風)
ガガと言われなければ気が付かないほど、「サウンド・オブ・ミュージック」なガガ様。
二の腕にあるタトゥーがなければ、気づかなかったかもしれないガガ様。
彼女の「ニューヨーク大学の芸術学部」出身という経歴は、並のモノではない。
アメリカが培ったあらゆる芸能における歌唱のノウハウをものにしているガガ。
そうだ、アメリカはバークリー・メソッドが示すように、プロフェッショナルな技術の定式化と教授法が見事に発展しているのだ。
そして、そのなかから、ガガのようなとんでもなく一流のアーティストが登場する。
まさに、これこそがアーティスト。
日本の場合、ポップスと括られる芸術領域は、驚くべきアマチュアリズムで成り立っている。
それが良いところでもあるが、最悪なところでもある。
大衆芸術は蛸壺化し、それを総合的に扱いにくい土壌が出来ている。
だからこそ、日本社会の聴衆は、ガガを愛してやまないのである。