それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

ラム肉の赤ワイン煮を作った結果、まさかの

2012-01-29 23:57:49 | イギリス生活事件簿
今日は日本人の学生たちとの持ち寄りの飲み会があるということで、余所行きの料理を作った。

顔を見ながら日本語で誰かと会話するのは久しぶりだ(彼女との電話以外ではほとんど日本語を使えない。)

正直、楽しみにしていた。

そのメンバーとは去年飲んだっきりで(結局、今回も全員がまた集まったわけではないのだが)、会うのも久しぶりだった。



正直、自分の余所行きの料理は数が限られている。

七面鳥料理、ラム料理、豚肉料理、鮭料理、マグロ料理といったジャンルがあり、そのなかに地中海風、フランス家庭料理風、中華風などのカテゴリーがある。

今日はたまたま赤ワインがあったので、ラムの赤ワイン煮込みを作ることにした。

ラム肉と赤ワインの相性は最高だ。


まずラムの肩肉のかたまりを1キログラム買い(2かたまり)、それらをコロコロステーキより少し大きいくらいに切り分ける。

それらを大きなバットに移し、薄くスライスした玉ねぎ2個、ニンジン1個、にんにく、ハーブを入れ、全体が半分くらいつかるまで赤ワインを流し込む。そして混ぜ、軽くもむ。

そのまま2時間以上、漬け込んでおく。


それが終わったら、肉を取り出し、塩コショウをしながらソテーしていく。そして、それを鍋に移す。

野菜も取り出し、それらを肉をソテーしたフライパンでじっくり炒める。

鍋に例のマリネ液と、ワインを追加で少し入れ、さらに黒コショウ、水を加える。肉がぎりぎり浸かるまでいれたら、強火で一気に煮立てて、アクをじっくりとる。

そこに炒めた野菜も加え、弱火でことこと1時間ほど煮る。


次はソース作り。

1時間経ったら、汁を何杯か取り出し、バルサミコと醤油、塩をくわえ、3分の1になるまで焦げ付かないように火にかける。

煮上がったラム肉と野菜を皿に盛り、ソースをかけて完成。

ラム肉は信じられないくらい柔らかくなっている。

うま味も凝縮され、めちゃくちゃ美味しい。

バルサミコの酸味が効いたソースがとても良く合う。



この料理の良いところは、作っているところからしてダイナミックというか、迫力があるところだ。

肉をソテーしはじめると、家じゅうに良い香りが充満し、フラットメイトが寄ってきた。

どういうわけか、「ラム・シチューを作っている」と言ってもなかなか分かってもらえない。これはヨーロッパでメジャーな料理ではないのだろうか?

しかし、これはヨーロッパ人にとっては信じられないくらい良い匂いのようで、みんな食べたがったので、出来たてを振る舞った。

「柔らかい!美味しい!」

ヨーロッパ人から、まさかの「柔らかい」コメントが。日本人の食レポのようなコメントが。



イタリア人のバレはとても興味を持ってくれて、食べた後、とても感激してくれた。

他のパーティ用とはいえ、とても嬉しい。

「レシピを教えて!」というので、家を出る前に簡単に絵の入った英語で解説したレシピを作った。

万年筆で書いたせいか、妙に味のあるレシピメモになった。

さっそくバレに渡したところ、彼女のテンションはMAXになり、「おー、ありがとう!私と結婚して!」(無論、冗談だが)

と言って、僕にハグをしてくれて、そしてほっぺ(というか首すじ)に思いっきり、チューしてくれた。

僕はあまりのことに衝撃を受け、まさか交際相手ではない女性から曲りなりにもチューされるとは思わず、「なんたること!」と思いながら、首すじに軽く吸われた感触を残したまま、飲み会の会場である友達の家に向かった。



飲み会は盛り上がった。日本語で思いっきり話したおした。すっきり。

ザ・ソプラノズをイタリア人らと鑑賞

2012-01-28 22:49:10 | イギリス生活事件簿
「ザ・ソプラノズ」というのは、アメリカのHBOというケーブルTVでやっているというドラマ・シリーズなのだそうだが、たまたまリビングに集まったフラットメイトと、それを見ることに。

「ザ・ソプラノズ」のことは一切知らないまま、「ソプラノだよ、見る?」とエースが言うから、分かっているのか分かっていないのか、他のフラットメイトもふらふらと一緒に観賞しはじめた。

アメリカ、ニュージャージーのイタリア系マフィアのボス、ソプラノ氏が主人公で、彼が仕事でも家庭でも色々大変な様子を描いたドラマである(以上が、エースとの会話および内容を見た結果分かったことである。)

最初は「全然面白くないわぁ」と思ったが、徐々に引き込まれていき、最後は「見て良かったね、たった一話だったけど」という気持ちになった。

一話だけ見て言うのもなんですが、映画「アナライズ・ミー」と「ゴッド・ファーザー」を足して、味付けし直して、引き伸ばしたような感じ。

ところどころ休憩をはさんで(パソコンの読み込みが止まって)、途中まで見た感想やら何やらをフラットメイトたちと話し合う。

これまで当ブログで何度も登場しているフラットメイトのヴァレはイタリア人であるが、彼女がイタリア系アメリカ人のドラマをどう見るのかには非常に興味があった。

イタリア人にとってみると、アメリカに沢山住んでいるイタリア人、そしてそのコミュニティは未知の世界だということらしいが、しかしアメリカに行くチャンスにもなりえるということで、何となく肯定的というかポジティブに認識しているらしかった(彼女はアメリカに行ったときの話を少ししてくれた)。

逆に日本人がアメリカの日系2世についてどう思うか聞かれても困るよなあ、と思いつつ。



私の精神はようやく小康状態に落ち着いたばかりだった。そのため、昨日は病み上がりということもあって、ヴァレとエースから誘われたパーティには行けなかった(元々パーティは苦手だというのももちろんあるが)。

しかし、その分研究は進んだし、とにかくもう時間がないのでそれで良い。

ヴァレは今朝「何で来なかったの!」と真剣に問い詰めてきて、ちょっと驚いたのだが、僕は博論の進度のことを説明して納得してもらった。

ヴァレは本当に良い人で、わざわざ僕をパーティに無理やりでも引き出してくれるのはとてもありがたいことだ。

僕は出不精と、躁状態防止と、博論執筆と、とにかく色々理由をつけて人との接触を避けようとするので、それが行き過ぎる向きもあり、そのストッパーにはちょうどよい。

だから、僕としても貴重なパーティの機会をみすみす見逃したくはないのだが、いかんせん、精神状態と博論の進度を勘案するとこれはどうしても行けないわけで、それぞれに事情というものがある。

と言いながら、昨夜は研究を一段落させたのち、パーティに行かなかったラケルと一緒に英語版の「魔女の宅急便」を一緒に見たのだった。

海外生活で「魔女の宅急便」を見るが僕は好きだった。イギリス生活1年目、それはもうぐっときた。

主人公の苦境に自分の孤独を重ねたものだった。

今回はもちろん映画自体面白かったのだけれども、感涙するほどではなかった。僕はここでの生活を1年目よりも楽しんでいる、ないしリラックスしながら行っているのだろう。

ボイラーが壊れた(脈絡がなく、ダラダラしている)話

2012-01-22 21:56:55 | イギリス生活事件簿
僕が朝食を作りに一階まで下りると、ラケルが待ってましたとばかりに僕に話しかけてきた。

僕の助けが必要だと言う。

「昨日から暖房が入っていないの!どうしたらいいかしら?」

そういえば、なんだか昨日はずいぶん寒くて、道産子としては冬らしくてすっきりした気持ちになっていたが、スペイン出身の、しかも女性であるラケルは寒さに震えていたらしい。

すると、珍しく早く起きてきたイタリア人バレンティーナも

「そうなの、暖房が入らないの!」とイタリア語のリズムで叫んでいる。

ところで、このブログではこれまでずっとこのイタリア人女性の名前を明かしてこなかったが、本名はバレンティーナと言う。

長いので、これからは「バレ」と書くことにする。



イギリス人エースも、ギリシャ人アレックスもロンドンにいて、残っているのは僕も含め3人のみ。

エースとふたりなら、この程度の寒さなら暖房が入っていないことにすら気がつかないだろうけれど、ラテン系の女性ふたりとなれば、寒がりは仕方ない。

悠長に構えていた僕に対して、ふたりは「死んじゃう!死んじゃう!」と大げさに訴えてくる。どんだけ寒いんだよ!

問題は英語のさして達者ではない僕が外交担当だということだ。

なぜ僕が外交担当か。

これまでは何が故障しても、必ずネイティブ・スピーカーが誰か彼かいて、電話はその人がしていた。だから僕はその補助をするだけだった。

今回はネイティブ・スピーカーがいないうえに、英語ペラペラのアレックスもいない。

バレは英語が比較的得意だが、ラケルは僕と同じかそれ以上にたどたどしい(だけど読み書きは凄く出来るという、いわゆる研究者英語だ)。

問題はそれだけではない。

バレもラケルも大家さんと正式な契約を交わしていない。

バレは非公式の居候(これはイギリスではよくあることだ)。ラケルはクリスの代わりに入っているだけで、お金はクリスに払っている(ただし、クリスはそれで利潤を得たりはしていないから、厳密には又貸しではない)。

ということは、正式な住人は僕だけ。しかも、この家に住んでもう一年以上が過ぎており、僕が家の色々なことを一番知っているはずなのだ。



ガス屋さんの番号を探し出し、電話をかける。

奇跡的にすんなり正解の番号を発見したため、すぐに担当者が出て午後から来ることになった。

ところが、大家さんから電話があって、何やら特別な契約をガス会社と結んでいるので、一度担当者をキャンセルしてくれという通達が電話でくる。

そこで大家さんにガス屋さんの番号を教えてキャンセルしてもらい、別の担当者をよこしてくれるよう懇願。

とにかく、この間、英語をところどころ聴き逃して、何度も「すいません、なんですって?」を繰り返す僕。疲れる。何度か心が折れる。おそらく相手も相当疲れたはずだ。

僕が大家さんと話す様子を見ていたバレは、何を言うかと思えば、

「何でそんなに冷静でいられるの!自分を抑制できるのね、すごいわ!」

と思ってもみなかった点を激賞する。

戸惑う僕は「え!?いや、怒ってもどうしようもないからさ・・・。」と答える。

そののち判明したことだが、彼女は寒さに対して尋常じゃないくらい怒っており、大家さんに対して相当不満を抱いていた(何度も言うが、彼女は正式な住人ではなかった)。

さらに、さすがイタリア人と言うべきか、とにかく全ての会話の感情表現が尋常じゃなく激しくて、それはどうも心の底から出ているものらしく、彼女は(故なき苦境に置かれているはずの)僕が淡々と電話していることが信じられなかった(そして、僕の方も褒められて悪い気はしなかった)。



暖房がつかない以上、寒いからという理由でリビングに3人集まり、電気ストーブをつけながらそれぞれ真面目に勉強。

広い家のなかの、狭いスペースにこの3人が寄り添うように暖をとるのは、なんとも滑稽だ。

お昼になって、ふたりが昼食を作ってくれた。

バレは、トマトソースのパスタを作り、ラケルはサラダとトルティーヤを作ってくれた。

トルティーヤとふたりが呼んだものは、日本で言うところのスペイン風オムレツで、玉ねぎとジャガイモが入った大きなオムレツだった(そして、それはとても美味しかった)。

バレのパスタは死ぬほど辛く、ひとくちでリタイアせざるを得ず、それどころか口をゆすいでも、しばらくの間何も食べられないほどだった。

「ピカンテ(辛いの)好き?」と聞くから、「うん」と答えた結果、とんでもないことになった。

僕が苦しむのを見て、まさかそうなるとは思っていなかったバレは死ぬほど笑っており、そののち何度も思い出し笑いしていた(もちろん、すぐに辛くないものに交換してもらった)。

僕らはラテン流の長い昼食を楽しみ、色々な話をした。

小さな困難は、それを共にする人さえいれば、小さな楽しみに変わる。

おかげで僕らは今まで以上に信頼しあえる間柄になったように思う。



とはいえ、大家さんが新たに呼んだはずのエンジニアは夜になったも来ず、バレはさらに怒りを募らせ、文句を散々言い始めた。

マイペースで合理的なラケルと僕は、怒り爆発のバレをなだめる。

研究者であるラケルと僕はとにかく研究をしたいわけで、大家さんのせいでこうなったわけでもないし、怒る気持ちが全く湧いてこない。バレは大家さん陰謀論を説くが、優しく論破する。

僕らが研究を再開すると、バレはお母さんとスカイプをしはじめ、しまいには僕とラケルをお母さんに紹介してくれた。

この娘と母親の会話はイタリア語だから全く気にならないが(チンプンカンプンだから)、とにかく感情表現が豊かで驚く。

そして、また僕のパスタがひどく辛かった話で盛り上がっていた。



大家さんとはさらにメールでやりとりし、ボイラーのスイッチをチェックしてみてと言われたので、チェックしたところオーバーヒート。

(こんなふうに簡単に言っているが、ボイラーのスイッチは基本的にいじれないようにと、しっかりと鉄板で覆われており、一旦それを外さなくてはいけない。)

スイッチを切ってまた付けたら、なんとボイラーは稼働しはじめ、まるで何事も無かったように暖房がついた。

「最初からそうしていれば・・・」と僕は強く思ったが、しかし3人で過ごした時間は滅多にない楽しい時間だったのだから、やはりこれで良かったのだ。

東京事変の解散に寄せて:00年代の終わり

2012-01-21 20:08:40 | コラム的な何か
東京事変が解散を発表してずいぶんと経った。

椎名林檎にとって東京事変というプロジェクトはあくまで限定的な目的をもったものだったかもしれないが、日本の大衆音楽史にとってその解散はひとつの節目のように思えてならない。

90年代の日本の大衆音楽を質の面で支えたのが渋谷系だったとすると、00年代にその任を担ったアーティストのひとりが椎名林檎であり、東京事変だった。

椎名が渋谷系に対して新宿系を名乗ったのは単なる洒落というよりは、むしろ渋谷系の終わりを告げるものだったが、その新宿系も2012年においてひとつの終わりを迎えたように思える。

今日はそのことについて書く(今、筆者は東京事変と椎名林檎の楽曲をパソコンでかけて懐かしい気分に浸っている)。



おそらく読者諸兄はこういうかもしれない。「新宿系など無かった」と。「なにせ椎名林檎しかそんなカテゴリーにあてはまらない、つまりひとつの潮流ではなかった」と。

確かに。

しかし、渋谷系の特徴を今一度考えてみるところから始めてみるべきだ。

渋谷系はいわばアメリカ、ヨーロッパの広い音楽ジャンルを深く広く掘ることで元ネタを探し出し、高いクオリティのポップス生み出す、一種の音楽インテリ的潮流だった。

これに対して、新宿系を名乗る椎名もそのベースとなる音楽は非常に多様だった。ソウル、ジャズ、ロック、極めて広範な音楽の文脈を利用してきた。

しかし渋谷系と決定的に椎名が異なるのは、日本の昭和期の音楽やファッションを利用してきたことだ。

日本のポップスの源流には、アメリカ的ポップスやジャズ、ソウルの影響を深く受けたムード歌謡の文脈があり、それは今の日本の大衆音楽の古層をなしている。

このムード歌謡の文脈は非常に懐が深い。ヒップホップ以後の大衆音楽を受け止める余裕がこの文脈にはある。

そして何より、昭和のムード歌謡の文脈は非常に官能的で成熟した危険な匂いに満ちている。

椎名はこの文脈に乗ることで、洗練された音楽と、それに合致した極めて官能的でセンセーショナルな世界を構築することに成功した。

新宿系は渋谷系と比べると、大人であり官能的な世界観であった。

たとえ新宿系という潮流が存在しなかったとしても、00年代という時代は、渋谷系のアンチテーゼとしての新宿系を必要とした、あるいはそこまで言わないにしても、それが少なからずセンセーショナルだったのである。



新宿系の艶めかしさは歌詞の妙な具体性によって支えられている。

例えば、椎名の楽曲には具体的な東京の地名がしばしば登場する。

歌舞伎町(「歌舞伎町の女王」)

丸の内、お茶の水、後楽園、池袋(「丸の内さでぃすてぃっく」)

古き良き東京のショウビズの艶めかしい空気の一種のパロディのようでもある。

そしてラストアルバムに収録された「今夜はから騒ぎ」の一節ではこう歌われる。

「赤プリがもぬけなら、名ばかりの紀尾井町」

赤坂プリンスホテルが遂にその歴史に幕をとじ、昭和のショウビズの遺産のひとつが消滅した。

ジャズミュージシャンの菊地成孔はラジオでこう述べている。

「僕が大人になったと感じたのは、・・・赤坂プリンスの鍵を手にした時だ。」

ドロッとした大人の世界、芸能の世界の象徴が消えたことに示されるように、椎名や東京事変が追究した昭和の艶めかしいショウビズの空気感、大人の色気たっぷりのパロディに満ちた世界観は、震災に至る直前にひとつの区切りを付けるべき時期に達したのかもしれない。



椎名や東京事変が作りだした「戦後か戦前なのかはっきりしない昭和の怪しげな空気」は、震災を経た日本にはあまりにも身近すぎるような気もする。

つまり平成の世のなかで、昭和の生々しい官能性を失った日本には椎名や東京事変はセンセーショナルだったが、震災以後の日本の空気にはもはや刺激にならないのかもしれない。

今刺激になるとすれば、バブルの余波が出る直前の平穏で、極めてお気楽な90年代だろう。

パエリアではないもの

2012-01-21 12:24:12 | イギリス生活事件簿
週末、ギリシャ人がロンドンへ行き、イタリア人の彼女が家に残った。

イタリア人は「(就活で使ったり進学で使ったりする)英語の勉強しなきゃいけないから」と言って残ったが、エースはイタリア人を飲みに連れて行き、夜中、いつもエースのところに来る女の子と一緒に夜中帰ってきた。

夜中の3時頃、軽くリビングで騒ぐ声で僕は目覚め、僕は少し腑に落ちない気持ちでいた。

再び眠りに落ちるまで色々なことを考えていたが(主に研究のこと)、4時頃また眠りについた。



朝起きると、スペイン人のラケルがすでにキッチンで朝食をとっていた。

僕らはその夜中の騒音についてひと通り話したあと、僕が昨晩作った料理についての話題になった。

一旦時間を巻き戻すが、昨日、ラケルが「なに作ってるの?」と聞くから、僕は勇気をもって正直に答えた「パエリアだよ(笑)」

パエリアと堂々と言ったが、ラケルに「パエリア」という発音は通じず、むしろ正確には「パエイア」(みたいに聞こえた)だということが判明した。

ラケルはバレンシアの生まれで、パエリアの本場だという。

だから日本料理で言うと、

日本人(香川出身)「なに作ってるの?」

イギリス人「讃岐うどんだよ」

みたいなもので、十中八九、それは讃岐うどんではない。

そういうわけで、今朝、彼女が僕に「で、昨日のパエリアどうだった?」と言ったので色々答えたが、すぐに僕の作ったものがパエリアではないことが分かってしまった。

驚いたのは、パエリアに似ているが、正確にはパエリアではないものが沢山スペインにあるということだった。

ラケル「で、パエリアっていうのはシーフードは使わないの、肉だけなの。兎の肉とか、鶏肉ね。シーフードを使うのは○○って言うの。で、両方使うのもあるけど、それは△△って言うの。」パエリアではないものの名前は忘れた。

僕「つまり、○○と△△はパエリアではないの?」

ラケル「それらはパエリアではないの。」

パエリアではないものが多すぎる。

「~~パエリア」とかにしてくれれば良いものを全く別の名前で呼ぶのだから紛らわしい。

でも、ラケルによると、これらの料理には共通して米に加えて、白い豆(白インゲンらしい)が材料として使われるそうで、それが入っていなくていけないという。

じゃあ僕が作ったのは何かというと、結局、それらいずれでもなくて、トマトライスであるということになった。

「讃岐うどん作っている」と言ったにもかかわらず、汁がトマトスープだったくらい違ったということである。

つまり、僕が作ったのは「パエリアではないもの」ですらなかったわけである。



で、なんか話のながれで2人で散歩することになって、僕の大好きな散歩コースをゆっくり歩いた。

まさかイギリスでスペイン人女性とふたりで散歩に行くことになるとは思わなかったが、人生とはそういうものか。

帰ってくると、エースもイタリア人もエースの女友達も起きてきた。

驚いたのは、エースの女友達がアジア系だったということである。

やはりアジア好きだったのか、エースよ。