それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

ピザ第4号

2012-04-26 20:21:47 | 日記
ここにピザの話を書いたあとも、私はピザを作り続けていた。

1回目のやつが美味しかったからである。

ところが、2回目、3回目と失敗が続いた。

具を乗せすぎたり、生地をのばし足りなかったり、生地が柔らかすぎたり、焼き足りなかったり、色々な失敗を繰り返した。

しかし、私はそれでもピザを作ることをあきらめなかった。

ピザが好きだから、私はピザが好きだから、好きなのであるから。これまでの人生でそう思ったことはほとんどなかったけど、突然そう思い始めたから。

そして遂に今日まともなピザが出来上がったのである。



私のピザはイースト使っていない。というのも、イーストが家になくて、ベーキングパウダーしかないからだ。

本当はイーストを使いたいが、あと3か月でイーストを使いきれる気が全くしないので、私はベーキングパウダーを使う。

本意ではない。しかし、環境に適応することこそが私の毎日の料理の原理なのである。

その地元で手に入るもので、無理せずにできる限りのことをして楽しむことを重んじる。

ベーキングパウダーだから、実はそんなに寝かせなくてもいいんじゃね?と思いはじめ、私はそれほど長い時間寝かせなくなった。

でも、寝かせなくてもいいとはどうしても思えない。

うどんだって、クッキーだって一応寝かせるはずだから、やっぱりこのピザ生地だって多少寝かせるべきだと思う。



具はおよそ固定になってきた。

トマトソース、玉ねぎ、ピーマン、ナス、マッシュルーム、ベーコン、もちろんチーズ。

ベーコンが無いときには、豚肉を薄切りにして載せたこともあった。

オリーブオイルをちょっとかけて焼いてみたこともあった。

色々やったけど、でも、「シンプル・イズ・ベスト」イズ・ベター・ザン・アザー・プリンシプルズ。

複雑だね。言っている内容に反して、複雑だね!

初志

2012-04-26 17:07:59 | 日記
日本の指導教官との電話で、色々なことを考えた。

技術的なこと、手続き的なこと、そういう諸々に加えて、そもそもなんで自分はここにいるのかということ。

オレは知っている。

自分が教育を受けたあの日本の大学の教授たちのレベルを。

彼らのレベルはとんでもなく高い。

少なくとも、オレの指導教官と副指導教官のレベルはとんでもない。

そんなふうになろうなんて、これまで思ったことない。

彼らと自分は違い過ぎる。

けれど、オレは確かにここまできた。

少なくとも副指導教官と同じ大学で博士号をとろうとしている。

でも、オレは知っている。

それでもやっぱり彼はオレの上を行っている。

何かが違う。

その何かが今分かりかけているというか、分かってきた。

オレの指導教官はそこまで行くためにどうすればいいのかアドバイスしてくれた。



けれど、そこまでする必要があるのか?とオレは自分に問いかけた。

そんなふうにならなければいけないのか?と。

そこで、オレは改めて問うた。なぜここにいるのか、と。

大学までの道すがら歩きながら考えて、無駄なものをそぎ落としていって、こう結論した。

それはオレが納得できるものを書くためだ。

オレが納得できるものを書けそうもないから、日本を出た。

オレは今納得できるものを書けそうだろうか?



フルドラフトをあげたとき、書ける気がした。いや、ほとんど書けたような気がした。

オレの動機がオレの納得だとしたら、書けたような気がした時点で慢心が生じる。

日本の指導教官の指摘を受けて、オレは再度自分に問う。

これはオレ自身が納得できるものか?

いや、違う。まだ違う。まだだ。まだなんだ。

何がまずいか分かっている。もうオレはそれを知っている。

なら、できる限りやろう。イギリスにいる間に出来る限りやろう。



まずアドバイスに従って一旦休暇をとる。28日から1週間、小旅行したりする。

ハードル×3

2012-04-25 21:41:52 | 日記
日本の指導教官からのプレッシャーが半端ない。

彼は僕のライフラインのために動き回ってくださっていて感謝しきれないのだが、彼の投げてくるハードルの高さは毎回かなりのもので、とんでもなくきつい。

こちらでの目途がついたであろうから高くなっているのか、関係なく高くなっているのか、とにかくライフラインの維持がそもそもハードルの高いことなのか、それはおそらく最後が正解なのだろうけれども、

だとしたら、いよいよ研究というものは大変なのであって、もう私は壊れかているのである。

が、しかしまあ、やるしかないけど、ちょっとまじで疲れている。

今日は面談:面談のやり方

2012-04-25 10:51:12 | 日記
今日は指導教官との面談だった。どういうわけか早朝に行われ、僕はいつもの正装に身を包んで出かけた。

面談で正装するようになったのはいつからか。2年目からだろうか。

こちらも真剣に臨むという意思表示だ。



こちらの指導教官の面談のやり方は日本で僕が受けてきたものとは全く違っていた。

まず面談には必ずメインとサブの指導教官が出席する。必ず3人で行われるのである。

彼らのコメントは、いくら細かくても全て口頭でなされ、すべてその場でメモするように言われる。

初年度はそれを日本語で書いたところ見つかり、注意されてしまった。

とにかく、この時期は英語の問題ばかり指摘された。

僕に要求されるのは、書いたことを簡潔に英語で話すことで、そのために毎回前日に多少の準備をしなければいけない。

なにせ提出しているものは論文一本分の量であるから、こちらも簡単に要約するというわけにはいかない。

無駄なくきれいに英語でまとめるには、絶対に準備が必要だ。



僕の要約、指導教官らのコメントが終わると、その後は論点を片っ端から論じ続けるのだけれど、彼らは僕が置いてきぼりになっても一向気にせず、ひたすら真剣な議論を行う。

彼らは基本的に僕のレスポンスを全く期待していない。

よっぽど議論に重要な意味がない限り、書いたものの繰り返しや弁解のようなものは聞きたがらない。

僕にレスポンスが多少求められても、「これから検討します」と言えばOKだ。

要するに、僕には論文を書くことが求められているのであって、うまい議論を面談で展開することは求められていない。

けれど、人間成長するもので、さすがの僕も3年目に入ってから議論がうまくなってきて、彼らの質問のパターンも覚えてしまったため、口頭でちゃんとディフェンス出来るようになった。

説明がうまく出来たとき、彼らはこう言う。

「良い説明だね!それを論文に書いて!」

至極当然のことだが、彼らに言われる前に論文にそれを書いていることが正解なのだ。

もちろん、そうした問題点を明らかにするために面談があるので、広い意味で言えば、何の問題もないのだが、目指すべきところは彼らの思考を論文を書いている時点で先回りすること。



今日はようやく具体的な手続きの話になった。

ようやく提出までの細かいプロセスが明らかになり、予定とはいえ、かなり細かい日程調整に入った。

指導教官は最後に言った。

「君は私が見てきた生徒のなかで、最も勤勉だわ。」

そして、こう付け加えるのを忘れなかった。

「研究しすぎないこと、いいわね?」