それでも僕はテレビを見る

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ファンク寄りのネオ・ソウルの少なさよ

2011-07-14 14:59:06 | コラム的な何か
ソウル音楽の勉強を再開して気付いたことは、自分がいま何を聴きたがっているのかということだ。

誰でもそうだと思うが、音楽を聴くときには自分なりに理想形の音楽があって、曲を聴くということはそれとの差異を確かめる作業でもある。

自分がいま一番聴きたいのはファンクだ。

しかしファンクと言っても、日本の何組かのアーティストが実践しているようなJBマナーごりごりの狭い意味でのファンクではなく、他の音楽的要素を十分に消化して取り入れた新しいファンクが聴きたい。

ネオ・ソウルはファンクの影響が強い。

それはディアンジェロがかつて前期のKool and the Gangやmetersを聴きなおしたと発言したり、エリック・べネイがスライの曲をカバーしたりしたことにあらわれている。

ネオ・ソウル関係の楽曲を聴きまくったが、ファンク寄りの楽曲は相当少なかった。

ネオ・ソウルはブラック・ミュージックの総合格闘技というか、色々な要素が複雑に組み合わせっているので、どのエッセンスを強く出すかは各アーティストによって異なる。

近年の傾向で言えば、ファンクよりはむしろブルースやジャズ色が強い。

R&Bのセクシーな側面がかなり強く出ている。そして、ちょっと眠くなる。

そんなやや自分にとって残念な潮流のなかにあって、ファンク色を全面に押し出しているアーティストを紹介したい。



代表的なのが、言わずと知れたJohn Legend and the Rootsの最新アルバム。ここではWake Up, Everybodyのリンクを張っておく。

原曲はHarold Melvin & the Blue Notesのものだ。Harold Melvin & the Blue Notesは体が自然に動き出すフィリー・ソウルのアーティストで、原曲は非常にファンキーなつくりだ。

Legendたちのカバーもかなり原曲に忠実だと言ってよい。ビートが若干タイトになっている。




オリジナルで秀逸なのが、Janelle MonaeのTightropeだ。どファンク。素晴らしいパフォーマンスである。




ファンク寄りとは必ずしも言い難いが、しかし自然に踊り出してしまう上質なフィリーソウルを発表したのが大御所Jill Scottだ。ある意味でいつもどおりだが、前作よりダンサブルで嬉しい。




ネオ・ソウルで近年注目を集めてきたのがAloe Black。パフォーマンスはまあまあ。バックバンドがちょっと下手?





ファンク寄りのネオ・ソウルがもっと出てほしい。

まだ調べたりないのかもしれないが、相当マイナーなところまでいったにもかからず、結局メジャーどころのリンクを張ってしまった。

ご存じの方はどうぞご一報ください。

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1 コメント

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Unknown (通りすがり)
2020-01-01 21:34:42
私は、ディアンジェロの二作目voodooは彼のルーツであるスライ、p-funk、プリンスを彼自身が消化した結果の作品だと思っており、その意味でファンク色の強いネオソウルではなぃでしょうか?
また、ネオソウルの主流ではないかもしれませんが、ミシェルンデゲオチェロもまたディアンジェロと同様に、自身のルーツであるゴーゴーをベースにした新しいファンクを披露しています。
また、多くのブラックミュージックのクロスオーバーという観点で言えば、the rh factorのhard grooveなどはヒップホップ、ファンクをジャズサイドから解釈した作品であり、これも独自のファンク色を打ち出したネオソウルだと思います。
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