~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

明解な答え

2014-12-12 21:25:52 | 日記

私は、障害者の作業所で働いていますが、障害者の

人と作業所で作ったものを販売に行くと、

時々年配の人に「気のどくにねー」と、憐みの目で

見られるのです。

そんなとき、何でそんなふうに見るの!と思いながら

言葉が見つからず、黙っていました。

今日、障害者の人達で作っている「バリバラ」という

番組で、障害者の若者が「そうだよ!」と言う

ことを言っていたのです。

「障害を持っていると、それだけで不幸って

思われるけれど、そうじゃないんだ

それは生き方だ」

この言葉を聞いた時、胸がスカッとしました。

販売をしていた時、おばあさんが寄って来て

「かわいそうにね。これで何か買ってあげて」と

お金を渡されそうになったこともあります。

何で、障害があることが不幸で可哀そうな

ことになるの!って怒りが押し寄せてきた

けれど、私は作り笑顔で「結構です」って

言うのが精一杯でした。

この若者のように、「障害があるから不幸って

思わないで、生き方だ!」って、

言葉に出来ない彼女の気持ちを代弁すれば

よかったのに…

私たちは、自分で作った幸せの物差しで

他人の幸せを計ろうとしてしまう事が

あります。

「かわいそうに…」と言ったおばあさんと

同じ物差しが、私の中にもあるのかも

しれません。

生き方だ!

いいなー、この明解な答え

こんなふうに言える人生ってすごい!

 

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与えられた宿題

2014-12-11 21:26:57 | 日記

テレビをつけると、弘前が映っていました。

すっかり雪に覆われ、私から見たら真冬の景色です。

あの雪の街に初女先生がいらっしゃるんだと、思うと

先生の忍耐強さは、冬の寒さによっても育まれて

きたものなのだろうかと、思えるのです。

何があっても変わらない先生の生き方とはなんだろう

それは、初女先生のお言葉にある真実に生きること

なのだろうか…

 「目立つ事をして 名声をおこすのではなく

 真実に生きることが 神様が望まれた奉仕です。

       最も尊いことは

 自分のかけがえのない 大切なものを

       差し出すことです。」

真実に生きるとは、どういうことだろう…

嘘偽りなく生きるということだろうか

いや、もっと深いことでは…

初女先生の言葉はやさしい、ランディさんは素朴と

言っていました。

難しい言葉ではないので、聞いた人は容易く

わかった気になるのです。

例えば「動の祈り」も、私たちは簡単に

「これも動の祈りよね」って言ってしまいます。

果たして、そうなのでしょうか…

「真実に生きる」この言葉も、簡単に分かることでは

ないと思います。

初女先生に頂いた宿題として持ち続けて行こう

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「創」を書く

2014-12-10 23:01:10 | 日記

初女さんとランディさんの対談が終わり、ホッとしたのも

つかの間、1月の書のグループ展が迫り、あたふたと

作品にとりかかっています。

毎回、書くたびに筆が元に戻って、成長が無い気が

します。

今回は「祈」を書こうとしましたが、時間のない処で

書けるわけがなく、去年のグループ展でも出した

「創」にしました。

亡くなった息子の名前と向き合うために始めた書

なので、息子の名前である「創(つくる)」は

いつかは、ちゃんと作品にしなければと思って

います。

今回は、私の知っている創るじゃなくて、天国の

創を書きたいと思っていましたが、筆を持つと

小さかった創のことばかり浮かんでくるのです。

すると、私の思いとは違い筆はひょうきんな創に

なってしまうのです。

あの子の思い出は可笑しなことばかり…

亡くなって暫らくは、思い出が多過ぎて辛いと

涙していたけれど…

今の私の力では、天国の創は書けないから、

明るく面白かった創を書こう!

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糠床さん

2014-12-09 19:18:51 | 日記

10月、11月と「深き森の語らい」の準備に追われて

いたので、糠床の手入れも忘れがちになっていました。

糠床に向かって「ごめんね、ごめんね」と言って

手を入れるのですが、夏の頃の様な糠漬けへの

思いが薄らいでいるのです。

やはり、冬はキュウリやナスなどという体を冷やす

野菜は、欲しなくなるのでしょう。

ぜいぜい、蕪ぐらいで…

当然ながら、ぬか漬けも美味しくなくなるのです。

どうしたものかと思っていたら、初女先生が本に

「私は冬季、12月1月頃は休ませます」と書いて

あったのです。

糠床を休ませるなんて、考えてもみなかったので

びっくりしましたが、そうか休ませてあげることも

大切なのかもと思いました。

白菜づけの美味しい季節です。

糠漬けには休んでもらい、白菜にしようかな…

糠床も生きているから、お休みが必要なのかも

人間だってそうだよな~と思ったら、何だか

初女先生じゃないけれど、糠床の声が

聞こえてくるような気がしました。

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一筋の光

2014-12-07 22:55:16 | 日記

先日、田口ランディさん達の会の忘年会にお声を

かけて頂き、湯河原まで行ってきました。

その時、隣にいたランディさんが「初女さんの会に

あれだけの人が来るんだからねー」と、感心

されていたので、「今の若い人たち一生懸命考えて

生きているから、私たちの時はちゃらんぽらん

だったから…」と言うと、ランディさんも「そうだよ。

ちゃらんぽらんだったよね」と…

先の見通しなんてなくても、なんとかなるさ~って

思えていたし

二十歳ぐらいの頃って、何でも出来そうな気が

していたし…

あの頃は、お年寄りも年金なんてもらってなくても

不安そうじゃなかったし、贅沢しなければ生きて

いけるって、みんな思っていたんじゃないかなー

もっと、世の中全体がのんびりしていたし…

初女先生は「みんな、急がなきゃ急がなきゃ

って言うんだよ」と、言われていますが、

いつからだろう、こんなになったのは…

豊かな国になったけれど、人々の不安は

大きくなるばかり…

「結い」の結び付きで、助けあって暮らしていたのに

いつの頃からか「自己責任」と言う言葉の方が

市民権を得、人々は「孤」になっていった…

子供も、若者も、大人も、お年寄りも、みんな

生きにくさを感じているのに、良くならないのは

なぜ…

アメリカは不安を煽り、経済に結びつけてるって

聞いたけれど、私たちの国も同じ道を歩んで

いるの…

豊かになったけれど、不安は増すばかり

そんな中で、あの大震災と原発事故が起き

私たちは、思考を止められ立ちどまり

自分たちの生き方を見つめさせられた…

でも、気がつけばこの国はまた同じ道を

歩いている、今まで以上に加速して

不安は、さらに増強し経済だけではなく、

戦後私達の祖父母や親たちが守り続けて来た

平和への道も、変えようとしている

そんな中で何があっても変わらない

生き方をしている初女さん

その初女さんの生き方に、自分の生き方を

見いだそうと、若い人達が集まってきている…

そのことが、一筋の光

希望の光…

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クリスマスの思い出

2014-12-06 23:53:29 | 日記

クリスマスが近づいてきました

今年は、息子と私でクリスマスツリーをどっちが飾るかで

譲りあっているうちに終わりそうです。

うちの子たちは、「1年で一番クリスマスが好き!」と

言ってました。

家族でツリーを飾り付け、それが終わると子ども達は

サンタさんに手紙を書いて、ツリーに置いておくと

クリスマスイブにプレゼントが届く、というのが我が家の

クリスマスでした。

子ども達がサンタさんに頼むプレゼントは、

意表を突くものが多く、新撰組の衣装の時は

デパート中を探してもなく、刀にしたら「サンタさん

間違えた。」と、ひどくガッカリされました。

福引のくじのガラガラを書かれた時は、主人が

河童橋まで行って買って来たので、私の方が

呆れてしまいました。

今となっては、すべてが懐かしい思い出です。

お兄ちゃんが亡くなった年のクリスマスは、

小3だった弟が、「お兄ちゃんのプレゼントも

サンタさんに頼む」と言い、私は涙をこらえながら

「おにいちゃんは、神様からもらうからいいんだよ」

と、答えるのが精一杯でした。

今回の「深き森の語らい」をやらせてもらったことは

天国の息子からの大きな大きなクリスマスプレゼント

だったかもしれません。

今朝、初女先生から電話がありました。

私に、会いに行かなければ、会いに行かなければ

と、言われていた先生。

初女先生も私も、「深き森の語らい」の感動を

分かち合いたいのです。

深すぎて、いまだに言葉に出来ない私です。

 

 あの対談で司会をして下さった高山千代美さんが

12月22日に横浜でクリスマスコンサートをひらきます。

きっと素敵な大人のクリスマスになることと思います。

 

 

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関係ないって言わないで

2014-12-04 11:58:22 | 日記

田口ランディさんと食事をした時に、主人が「田口さんは

政治の話はされないのですか」と聞いたので、

私は、男の人ってつまらないことを聞くなーと思って

いました。

ランディさんは「政治の話はしませーん」と言って

いましたが、最近のランディさんのツイッターを見ると

選挙に行こうと呼びかけ、政治の話がでています。

書かずにはいられない状態なんだろうと、想像が

つくのです。

誰もが、何で今選挙をするんだ!と思っていると

思います。

今回の選挙の争点は経済だと、政府は言って

いますが、憲法改正も原発もこの選挙に勝ったら

国民の信任を得たとなりそうです。

なぜ、今年の流行語大賞に「集団的自衛権」が

選ばれるのでしょう。

何だか、怖い時代がヒタヒタと近づいてきている

気がしているのは、私だけでしょうか。

何で今、700億も使って選挙をするんだ!と

腹もたちますが、選挙がある以上は私たちの

意志を示さなければと思います。

政治の話はしませーんと言っていた、ランディさんが

選挙に行こうよと、呟いているのです。

経済だけに目をくれず、この国の進むべき道を

考えてみなくちゃ!

原発も戦争も、過ちは繰り返してはならないの

ですから…

 

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贅沢な一日

2014-12-03 23:05:50 | 日記

この処ずっと、「深き森の語らい」の為に動いて来たので

今日は、一日自分に楽しみのために使っちゃいました。

「チューリッヒ美術館展」に行ってきました。

平日で空いていて、ゴッホもモネもピカソも、まん前で

じっくり観ることが出来ました。

シャガールの戦争の絵を初めて観ました。

夢見るようなシャガールの色はどこにもなく、暗く

寂して、なぜ人間は戦争をするのだろうと

思わされました。

バルラハという人の「難民」という彫刻は、

心打たれ、ポストカードを買いました。

初めて観るホドラーの作品は、強く心に残りました。

解説を読んでいると、多くの画家たちが早い時期に

大切な人を亡くしているのです。

これは、何か偶然とは思えませんでした。

田口ランディさんは、お兄さんの死を見て、

小説が書けるようになったと書いています。

深い闇を抱えていると、見えてくるものも

違ってくるのかもしれません。

美術館の梯子は、しない私ですが、今日は

六本木から人形町へまわり、書の先生達の

書展に行きました。

夕方だったので、私一人で先生と書や初女先生の

話までして、何だかあの対談の続きの様な時間

でした。

今日は、自分の為だけに時間を使いました。

以前は、そんなことは当たり前だと思って

いましたが、そのことが申し訳ない様な贅沢な

ことと思えます。

初女先生には、そんな時間はないのですから…

先生が「今の楽しみは、睡眠をよくとること」と

言っていたのが、ふと思い出されました。

私は「深き森の語らい」が終わり、ホットして

いますが、初女先生は今日も講演の旅です。

睡眠をよくとるという、ささやかな楽しみを

叶えてあげることは出来ないのでしょうか…

 

 

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かけがえのない大切なもの

2014-12-02 21:08:39 | 日記

昨日再び、「深き森の語らい」で皆さんが書いて下さった

感想を読んでいたら「初女さんが、最も尊いことは

自分のかけがえのない大切なものを差し出すことです。

と言われてますが、自分の大切なものとは何かを

探して行きたいです」という感想がありました。

初女先生は「心」を差し出されていますが、私の

大切なものとはなんでしょう…

ふと、うちの息子は最も大切なものを私に

差し出していったのではないだろうかと思ったのです。

不思議ですが、息子はいないのに私に大切な

出会いを与えてくれ、私の魂を成長させようとして

くれています。

そして、創(つくる)に会ったことのない人も

創の存在を感じてくれているのです。

あの子は、自分の命を私に差し出してくれたの

でしょうか

愚かな親である私は、悲しみの中であの子の

姿かたちばかり追い求めていました。

「親より先に逝くのは、一番の親不幸だ」と

言われた時、「創は親不幸ではありません」としか

言えなかった私です。

あなたの差し出したものが、あまりに大きすぎて

私は、何もわからず悲しみとだけ向き合っていました。

初女先生に出会っても、最初の数年間は

お会いする度に泣いていたし…

それでも、ずーっと初女先生も創も待っていて

くれたんですね。

私が、悲しみから立ち上がり歩きだすことを

ある人に言われました。

創君は、直さんの親だねって…

創は私に「いのちの世界」を教えようとして

くれているんですね。

やっと、そのことがわかりました。

私の大切なものとはなんだろう、このことを

心に置いて、また一歩…

 

 

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素直な心でいれば

2014-12-01 19:51:07 | 日記

「深き森の語らい」が終わって1週間が経ちました。

充実した時間はゆっくりなのに、そうでない時間は

なぜ、こんなに早く過ぎて行くのでしょう…

初女先生は、もう明日は講演会に行かれるそうです。

私は一体何をしているのでしょう

まだ、どこかぼんやりしています。

初女先生が「これだけの人が、少しでも変われば、

大きく変わる」と言われていたけれど、私の

周りでも、その変化が表れています。

何か、わくわくしてきます。

人間は、よくなりたいと言う事を本能として

持っているのかなと思えるのです。

初女先生と出会うと、その素直な自分が

真っ直ぐに出て来る気がします。

初女先生は、素直な心が一番と言われて

います。

素直な心でいれば、道は自然にひらけて

行くのでしょう

生きることって、そんなに難しくないんだよ、と

ポンと背中に手を当てられる気がするんです。

大丈夫だよって…

 「目立つことをして名声をおこすのではなく

  真実に生きることが

  神様が望まれた奉仕です。

 自分のかけがえのないない大切なものを

 差し出すことです。

             佐藤 初女    」

 

「深き森の語らい」に寄せて下さった初女先生の

お言葉です。

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