5月21日(土)午後 国立能楽堂で金剛流のお能を鑑賞しました。
「羽衣」は早春の三保の松原、弓なりに続く白い砂浜、白い富士、一幅の絵の中で天女が羽衣を翻して舞うと言う有名なお話です。
猟師白龍が松の枝にかかった羽衣をみつけ、家の宝にしようと持って帰ろうとすると天女が現れます。天女は羽衣がないと天に帰ることが出来ないと嘆き悲しみます。さすがに白龍は哀れに思い羽衣を返し天上の舞を所望します。天人は羽衣を翻して舞い、数々の宝を人間界に降らして月の世界へ帰っていきます。宝とは人々の幸せの数々でしょうか。この曲が作られた中世の人々は深く仏教に帰依していました。人の究極の目的は極楽に往生することでした。この能を観ながら夕日に赤く染まった富士山を、西側はいつも、あかね色に染まっているという須弥山に見立て、虚空に花降り音楽聞こえる聖衆来迎を思い描き法悦の世界に入ったことでしょう。今の私たちには想像もできない世界ですが、美しい衣を着て舞う天人(シテ)の姿にこの曲のもつ清らかなメルヘンの世界に魅了されてしまいました。
「弱法師」(よろぼし)は逆境にあって心の平安を観音の慈悲にすがり、なお明るさを失わない少年の物語です。
人の讒言(ざんげん)によって父に追い出された少年俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、人の哀れみを受ける身の上となります。それを知った父通俊はさすが哀れに思い、子の来世を願い七日間の施行(せぎょう)を行います(施行とは人々を哀れみ、物をほどこすこと)。杖にすがって現れた俊徳は昼夜の区別もつかない盲目の境涯を嘆きながらも、もともと人は心の闇を持っているものだと自らを慰めます。杖の扱いや舞台に入るところに情趣があり胸にジーンと来ました。おりしも彼岸、梅の花が俊徳に散りかかり、花をも一緒に施行を受ける優しい心を失いません。所は天王寺、本尊は俊徳の心のよりどころの救世観音、俊徳は寺の縁起を語ります。やがて日も西に傾き、目に見えぬ入日を心に見て浄土を想い、かつて見慣れた難波の情景が心に蘇り、曲舞いを謡い、舞います。曲中一番の見どころ聞き所で大変感動し涙がでました。俊徳(シテ)と地謡いが競い合い舞台を盛り上げます。情感のこもった秀逸な演技です。二人(父子)は名乗りあい、夜紛れに故郷に帰っていきます。
(画像は撮影禁止のため案内と本から抜粋したものです)
お能を鑑賞した後は感動した余韻がいつまでも心に残り、日本古典文化の素晴らしさを再認識します。西洋のクラシック音楽も好きで年に何回かコンサートへ行きますがお能とは違った感動を覚えます。元気なうちに好きなことを貪欲に学び、吸収し、ゆったりした気持で旅をしたいです。
「羽衣」は早春の三保の松原、弓なりに続く白い砂浜、白い富士、一幅の絵の中で天女が羽衣を翻して舞うと言う有名なお話です。
猟師白龍が松の枝にかかった羽衣をみつけ、家の宝にしようと持って帰ろうとすると天女が現れます。天女は羽衣がないと天に帰ることが出来ないと嘆き悲しみます。さすがに白龍は哀れに思い羽衣を返し天上の舞を所望します。天人は羽衣を翻して舞い、数々の宝を人間界に降らして月の世界へ帰っていきます。宝とは人々の幸せの数々でしょうか。この曲が作られた中世の人々は深く仏教に帰依していました。人の究極の目的は極楽に往生することでした。この能を観ながら夕日に赤く染まった富士山を、西側はいつも、あかね色に染まっているという須弥山に見立て、虚空に花降り音楽聞こえる聖衆来迎を思い描き法悦の世界に入ったことでしょう。今の私たちには想像もできない世界ですが、美しい衣を着て舞う天人(シテ)の姿にこの曲のもつ清らかなメルヘンの世界に魅了されてしまいました。
「弱法師」(よろぼし)は逆境にあって心の平安を観音の慈悲にすがり、なお明るさを失わない少年の物語です。
人の讒言(ざんげん)によって父に追い出された少年俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、人の哀れみを受ける身の上となります。それを知った父通俊はさすが哀れに思い、子の来世を願い七日間の施行(せぎょう)を行います(施行とは人々を哀れみ、物をほどこすこと)。杖にすがって現れた俊徳は昼夜の区別もつかない盲目の境涯を嘆きながらも、もともと人は心の闇を持っているものだと自らを慰めます。杖の扱いや舞台に入るところに情趣があり胸にジーンと来ました。おりしも彼岸、梅の花が俊徳に散りかかり、花をも一緒に施行を受ける優しい心を失いません。所は天王寺、本尊は俊徳の心のよりどころの救世観音、俊徳は寺の縁起を語ります。やがて日も西に傾き、目に見えぬ入日を心に見て浄土を想い、かつて見慣れた難波の情景が心に蘇り、曲舞いを謡い、舞います。曲中一番の見どころ聞き所で大変感動し涙がでました。俊徳(シテ)と地謡いが競い合い舞台を盛り上げます。情感のこもった秀逸な演技です。二人(父子)は名乗りあい、夜紛れに故郷に帰っていきます。
(画像は撮影禁止のため案内と本から抜粋したものです)
お能を鑑賞した後は感動した余韻がいつまでも心に残り、日本古典文化の素晴らしさを再認識します。西洋のクラシック音楽も好きで年に何回かコンサートへ行きますがお能とは違った感動を覚えます。元気なうちに好きなことを貪欲に学び、吸収し、ゆったりした気持で旅をしたいです。
古典物は先ず本を読まれ関心を持たれたら演技を
観賞されるとよいでしょう。
お能は歴史や文学から入り実際に観に行かれると
よいと思います。
やりたいこと、学びたいこと、観たいこと、
訪れてみたいところ等など沢山あって時間が
たりません。
この春に訪れました。
ここの場所での白龍と天女の情景が浮かんできました。
お能の鑑賞には未だに縁ない生活を過ごしていますが、心の奥に響くものがありますね。
(この3月より従来のブログには編集面に制限がかかり、新しいブログFC2では今までのようにGiamを使用せずに同じようなことが可能なのです)
http://id.fc2.com/signup.php?ref=blog
新しいブログFC2について教えてくださり
有難うございます。感謝いたします。
素晴らしい三保の松原へもう一度行ってみたい
です。大学時代と卒業してから一回訪れて以来
ずっと行っていないので。
になれますし、もっと知りたいと書物を読んだり
技術も磨いてそれらが血となり肉となって人生を
精神的に豊かに暮らせるのではないでしょうか。
お能に外国人の方々が観に来ておりますが研究
しているのでしょうね。真剣に鑑賞しています。