3日間は晴天に恵まれ初夏のような日々でしたが、4日目は朝から雨になりましたので浄瑠璃寺から岩船寺へ行く予定を変更して興福寺と奈良町界隈を散策しました。ホテルから近い興福寺へは毎朝ウオーキングをして気持よい朝をむかえました。帰ってから頂く朝食の美味しかったことが忘れられません。朝食はいつもパンを頂くので予約のときに洋食を所望しましたが新鮮なお野菜たっぷりのサラダとオードブル、スープ、卵料理、牛乳やトマトジュースとフルーツに焼きたてのパン等々お心のこもったおもてなしに感激しました。ホテルの方が「国宝館は9時開館と同時に行くといいですよ」とご親切に教えてくださったので朝食後すぐに出かけました。興福寺国宝館には白鳳時代に製作された山田寺の仏頭や天平彫刻の傑作である阿修羅などの八部衆像や十大弟子像、鎌倉期の力感あふれる金剛力士像、ユーモラスな天灯鬼・龍灯鬼など名だたる国宝が展示されています。すいていましたのでゆったりした気分で観ることができてホテルの方に感謝です。阿修羅像は昨年3月から6月まで東京国立博物館 平成館で展示され連日来場者が多かったのが思い出されます。何回見ても阿修羅像にはひきつけられます。愁いを含む少年のような端正な顔、唇をかみしめたやや怒り気味に見える顔、見る人によっていろいろな印象をあたえる像ですが全体の造形美が何とも素晴らしいです。
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国宝五重塔は、藤原不比等の娘である光明皇后が創建されました。以後5回も焼失し、現在の塔は1426年に再建されたものです。高さは約50m 京都の東寺の五重塔に次いで高いです。お隣の東金堂とよく調和しています。早朝は余り広くない境内も広く見え、人も疎らなので五重塔や東金堂を眺めるのは実に気分爽快でした。国宝館を出て境内を歩き右手に見える八角円堂の南円堂の前に雨の中小学生が座って先生のお話を熱心に聴いている姿にびっくり。52段の階段を下りて猿沢の池わきを通って町家が軒を連ねる古い町奈良町へ向かいました。
元興寺(もと法興寺 前身は飛鳥寺)平城遷都に伴い718年現在地に移され、南都七大寺の一つとして隆盛を極めました。国宝の本堂は鎌倉時代の建築、屋根は行基葺とよばれ瓦の一部は飛鳥から運ばれてきた古瓦です。境内には無数の石仏が並びます。奈良市中、人家のまん中にある十輪院には美しい鎌倉時代の門と本堂が残されています。ここを訪れる人は意外と少ないのです。「石仏の宝庫」でいろいろ珍しい石仏があります。魚養塚(弘法大師の師匠の墓室)や仏龕(ぶつがん、石を組み立てて仏を入れておく)、春日曼荼羅など他に例のない貴重な文化財を残すお寺です。
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ならまち格子の家は江戸時代末期の伝統的な町家を再現しています。間口は狭く奥行きが深いという特徴があります。これは、かつて間口の広さによって税金が課せられたということの他、町民たちの「表通りに面したいという願い」をかなえるための智慧でもありました。格子、かまど、収納スペースを兼ね空間を利用した箱階段、中庭など典型的な町家の様子を知ることができます。格子は昼間は外から家の中を見えなくする隠しの役割を果たすと同時に、中からは外がよく見える効果をもっています。表の道で遊んでいる子どもたちに格子ごしに気を配ることができます。そして音や風をよく通します。祭りの時や火事の時は全部取り払うこともできます。
菊岡漢方薬の外観は古い建物が多い奈良町のなかでもひときわ目をひきます。看板や建物に風格があります。
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奈良町界隈は奈良町資料館やなら工芸館、今西家書院、名勝大乗院庭園など見所いっぱい。こだわりのお食事処もあり、ぶらり歩くにはよい町です。
最後は京都に一泊し京都の町をのんびり歩きました。バスで祇園を下車すると八坂神社前に着きます。もともと祇園とは「祇(かみ)の園」の意味で牛頭天皇(こずてんのう, スサノオノミコトのこと)をまつる八坂神社のことです。朱色の門と社殿が新緑に輝いてとてもきれい。お正月や祇園祭のときは多くの人出で賑わうのですが中へ入ると人も疎らで静かな境内でした。八坂神社から四条大橋まで四条通りのお店を覗きながらお買い物を楽しみました。四条大橋から鴨川を眺めました。白河天皇が「人の意のままにならないのは双六のサイの目と山法師(延暦寺の僧)と鴨川の水だ」といわれた有名な言葉がありますがその鴨川は昔から何回も氾濫し、大きな被害を京都の市民にあたえました。背景に山をいただきゆっくりと静かに流れる鴨川を眺めながらこの言葉がふと頭に浮かびました。
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鴨川の左側に「先斗町鴨川べり夕涼み川床」が見られます。夏は涼風をうけながら飲食をする京市民の憩いの場になっています。先斗町(ポントちょう)はポルトガル語で「岬」を意味する語「Ponta」からポント町が生まれました。鴨川と高瀬川にはさまれた木屋町の東、三条と四条通りの間をいいます。四条大橋を渡り終わって右横丁を入ると両側に家々が並ぶ狭い道が延々と続くところが先斗町です。岬の形をした町だからポンター、ポントと呼びました。文字の方はカルタ用語のポントが「先端」の意味なので「先」の文字を使い、分量の多い(主に金もうけの縁起)という意味で「斗」の文字を使って先斗町と書きます。先斗町も昔のような風情はなくなり、新しい飲食店や居酒屋のネオンが明滅し、その陰に秘かに古い京都が息づいているという感じです。四条大橋の斜め向い側に南座が見えます。南座の横に小さい「阿国歌舞伎発祥地」と書いた記念碑が建っています。南座のお隣「松葉」でにしんそばを頂きました。
よく歩いて歩いて、観て、味わって、楽しかった奈良の旅は終わりました。健康であることに感謝しつつ、また次の旅を楽しみたいと思います。
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国宝五重塔は、藤原不比等の娘である光明皇后が創建されました。以後5回も焼失し、現在の塔は1426年に再建されたものです。高さは約50m 京都の東寺の五重塔に次いで高いです。お隣の東金堂とよく調和しています。早朝は余り広くない境内も広く見え、人も疎らなので五重塔や東金堂を眺めるのは実に気分爽快でした。国宝館を出て境内を歩き右手に見える八角円堂の南円堂の前に雨の中小学生が座って先生のお話を熱心に聴いている姿にびっくり。52段の階段を下りて猿沢の池わきを通って町家が軒を連ねる古い町奈良町へ向かいました。
元興寺(もと法興寺 前身は飛鳥寺)平城遷都に伴い718年現在地に移され、南都七大寺の一つとして隆盛を極めました。国宝の本堂は鎌倉時代の建築、屋根は行基葺とよばれ瓦の一部は飛鳥から運ばれてきた古瓦です。境内には無数の石仏が並びます。奈良市中、人家のまん中にある十輪院には美しい鎌倉時代の門と本堂が残されています。ここを訪れる人は意外と少ないのです。「石仏の宝庫」でいろいろ珍しい石仏があります。魚養塚(弘法大師の師匠の墓室)や仏龕(ぶつがん、石を組み立てて仏を入れておく)、春日曼荼羅など他に例のない貴重な文化財を残すお寺です。
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ならまち格子の家は江戸時代末期の伝統的な町家を再現しています。間口は狭く奥行きが深いという特徴があります。これは、かつて間口の広さによって税金が課せられたということの他、町民たちの「表通りに面したいという願い」をかなえるための智慧でもありました。格子、かまど、収納スペースを兼ね空間を利用した箱階段、中庭など典型的な町家の様子を知ることができます。格子は昼間は外から家の中を見えなくする隠しの役割を果たすと同時に、中からは外がよく見える効果をもっています。表の道で遊んでいる子どもたちに格子ごしに気を配ることができます。そして音や風をよく通します。祭りの時や火事の時は全部取り払うこともできます。
菊岡漢方薬の外観は古い建物が多い奈良町のなかでもひときわ目をひきます。看板や建物に風格があります。
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奈良町界隈は奈良町資料館やなら工芸館、今西家書院、名勝大乗院庭園など見所いっぱい。こだわりのお食事処もあり、ぶらり歩くにはよい町です。
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鴨川の左側に「先斗町鴨川べり夕涼み川床」が見られます。夏は涼風をうけながら飲食をする京市民の憩いの場になっています。先斗町(ポントちょう)はポルトガル語で「岬」を意味する語「Ponta」からポント町が生まれました。鴨川と高瀬川にはさまれた木屋町の東、三条と四条通りの間をいいます。四条大橋を渡り終わって右横丁を入ると両側に家々が並ぶ狭い道が延々と続くところが先斗町です。岬の形をした町だからポンター、ポントと呼びました。文字の方はカルタ用語のポントが「先端」の意味なので「先」の文字を使い、分量の多い(主に金もうけの縁起)という意味で「斗」の文字を使って先斗町と書きます。先斗町も昔のような風情はなくなり、新しい飲食店や居酒屋のネオンが明滅し、その陰に秘かに古い京都が息づいているという感じです。四条大橋の斜め向い側に南座が見えます。南座の横に小さい「阿国歌舞伎発祥地」と書いた記念碑が建っています。南座のお隣「松葉」でにしんそばを頂きました。
よく歩いて歩いて、観て、味わって、楽しかった奈良の旅は終わりました。健康であることに感謝しつつ、また次の旅を楽しみたいと思います。