「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り21日から急に涼しくなり秋本番をむかえました。季節の変わり目、体調を崩さないように気を付けていきましょう。
お彼岸の日、菩提寺(傳通院)へお墓参りへ行きました。墓参をした後いつも素通りしていたのですが横の道へ入ってみますと、かわいい阿弥陀三尊像と歌碑に出会いました。山門の完成とともに境内の中もきれいになり、樹木で隠れていた仏像が美しいお姿となってあらわれ、お顔は優しく柔和で微笑んでくれているようでした。そばには歌碑も他の場所から移され、辛夷の花の満開のころぜひとも観たいと思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/dd/7be0ae78af9f72029dbb6f71f8ad256b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/47/e19e5589e509a742fc76151cf220abc3.jpg)
勢至菩薩 阿弥陀如来 観音菩薩
国立能楽堂で秋の「金剛のお能」を楽しみました。最後の演目「天鼓」(てんこ)は親子の心の強いつながり(絆)を切々と謡いあげ舞う姿に心を打たれました。
ストーリーは、中国、後漢時代のお話。昔中国に王伯王母という夫婦がいました。妻は天から鼓が降り下り、胎内に宿る夢を見て一子を生み、その名を天鼓とつけました。その後本物の鼓が天から下り、その子どもの手に入ります。それは実に美しい音色を奏でます。その噂を伝え聞いた天子(皇帝)は鼓を献上するように命じます。少年はそれを拒んで山中に逃げましたが探し出され、鼓は召し上げられ、その身は呂水に沈めれれてしまいます。宮中に運び込まれた鼓は、その後、誰が打っても音を出しません。
(この能はここから始まります)
そこで勅使が少年の老父のもとにつかわされ、宮中へきて鼓を打つように命じます。愛児を失なった老父は、日夜悲嘆にくれていますが、勅命を受け、自分も罰せられる覚悟で参内します。恐れ且つ懐かしむ心で鼓を打つと、不思議にも妙音を発しました。この奇跡に、天子も哀れを感じ、老父に数多の宝を与えて帰らせます。
老父は最愛の子 天鼓のために、呂水の堤で追善の管弦講(音楽法要)を行います。すると天鼓の霊があらわれ、いまは恨みも忘れて手向け舞楽を謝し、自ら供えられた鼓を奏し、喜びの舞を興じます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f9/d007b27393e16c8f8c7cad60327abc69.jpg)
親子の愛情と名器の神秘を主題とした作品です。二段構成から成り前場(まえば)では最愛のわが子を失った父の痛ましいまでの悲しみと、誰一人として鳴らすことのできなかった鼓、亡き子のかたみの鼓が鳴り響いた時、こどもと心の交流感を得た父の満足感と喜びがそこにあります。後場(のちば)では鼓と戯れ遊ぶ少年の喜びに溢れた姿が表現され、ゆったりとはこぶ舞が優美です。
時の権力者にも自由にならないものがあることを象徴するような親子の心のつながりの深さを感じます。
素晴らしい日本古典芸能に触れる度に絶やさず大切に保存していってほしと思います。
お彼岸の日、菩提寺(傳通院)へお墓参りへ行きました。墓参をした後いつも素通りしていたのですが横の道へ入ってみますと、かわいい阿弥陀三尊像と歌碑に出会いました。山門の完成とともに境内の中もきれいになり、樹木で隠れていた仏像が美しいお姿となってあらわれ、お顔は優しく柔和で微笑んでくれているようでした。そばには歌碑も他の場所から移され、辛夷の花の満開のころぜひとも観たいと思いました。
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勢至菩薩 阿弥陀如来 観音菩薩
国立能楽堂で秋の「金剛のお能」を楽しみました。最後の演目「天鼓」(てんこ)は親子の心の強いつながり(絆)を切々と謡いあげ舞う姿に心を打たれました。
ストーリーは、中国、後漢時代のお話。昔中国に王伯王母という夫婦がいました。妻は天から鼓が降り下り、胎内に宿る夢を見て一子を生み、その名を天鼓とつけました。その後本物の鼓が天から下り、その子どもの手に入ります。それは実に美しい音色を奏でます。その噂を伝え聞いた天子(皇帝)は鼓を献上するように命じます。少年はそれを拒んで山中に逃げましたが探し出され、鼓は召し上げられ、その身は呂水に沈めれれてしまいます。宮中に運び込まれた鼓は、その後、誰が打っても音を出しません。
(この能はここから始まります)
そこで勅使が少年の老父のもとにつかわされ、宮中へきて鼓を打つように命じます。愛児を失なった老父は、日夜悲嘆にくれていますが、勅命を受け、自分も罰せられる覚悟で参内します。恐れ且つ懐かしむ心で鼓を打つと、不思議にも妙音を発しました。この奇跡に、天子も哀れを感じ、老父に数多の宝を与えて帰らせます。
老父は最愛の子 天鼓のために、呂水の堤で追善の管弦講(音楽法要)を行います。すると天鼓の霊があらわれ、いまは恨みも忘れて手向け舞楽を謝し、自ら供えられた鼓を奏し、喜びの舞を興じます。
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親子の愛情と名器の神秘を主題とした作品です。二段構成から成り前場(まえば)では最愛のわが子を失った父の痛ましいまでの悲しみと、誰一人として鳴らすことのできなかった鼓、亡き子のかたみの鼓が鳴り響いた時、こどもと心の交流感を得た父の満足感と喜びがそこにあります。後場(のちば)では鼓と戯れ遊ぶ少年の喜びに溢れた姿が表現され、ゆったりとはこぶ舞が優美です。
時の権力者にも自由にならないものがあることを象徴するような親子の心のつながりの深さを感じます。
素晴らしい日本古典芸能に触れる度に絶やさず大切に保存していってほしと思います。