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モーリス・ユトリロ展へ

2010-04-22 12:05:03 | Weblog
 初夏のような陽気の昨日、東郷青児美術館で開催されているモーリス・ユトリロ展へ行って参りました。17日から開催されたばかりのせいかとても空いていてゆっくり鑑賞することが出来ました。モーリス・ユトリロ(1883~1955年)はパリの街並みを描く画家として日本で人気のある画家の一人です。ユトリロの生い立ちは決して幸せなものではなく、ルノワールなど著名な画家のモデルをつとめ自身画家として活躍したスュザンヌ・ヴァラドン(1865~1838年)の私生児としてフランスのパリに生まれました。祖母と2人でモンマニーで暮らすことがほとんどで母親のいない寂しさを絵を描いたり、アルコールで紛らわしたため極度のアルコール依存度になりました。その治療のために始めた画業の変遷を「モンマニー時代」から「白の時代」「色彩の時代」に区分し、今回90余点の作品すべて日本初公開となりました。


  ラバン・アジル モンマルトル   カルボネルの家  トゥルネル河岸

左のラバン・アジル モンマルトルの「ラバン・アジル」は当時モンマルトルに暮らしていた貧しい芸術家たちの気楽なたまり場となったシャンソン酒場で数多く描かれた題材のひとつです。白壁をしっかり描きながらも緑や黄色で木々を描がいている「白の時代」から「色彩の時代」に移るころの1914年の作品です。
右のカルボネルの家は「色彩の時代」の初期の作品でこれまでの重厚で厳粛な雰囲気の作風ではなく、明るく澄んだ色の色調で描かれています。1920年頃の作品です。


    慰霊祭 1925年         クレイエット城  1932年

左の慰霊祭も右のクレイエット城も「色彩の時代」の作品で木々やお城の色もはっきりと描かれています。空のブルーも明るく美しい作品です。色彩の時代から人物が描かれるようになりました。初期のモンマニーの時代は暗い絵が多く人物が描かれることはありませんでした。
「モンマニーの風景」という作品があるのですが余りにも暗い絵なので絵葉書を買わずにきましたが比較して観るにはあった方が良いと思いました。


モンマルトルのクレマン広場      エフェル塔     サクレ=クール寺院

左のモンマルトルのジャン=パティスト・クレマン広場には建物越しにモンマルトルのシンボル「サクレ=クール寺院」の丸いドームが見えます。人気(ひとけ)のない白い色調は画面全体に何ともいえない寂寥感が漂います。「白の時代」の代表的な作品です。






”真実を語る”から真実を知る驚きと感動

2010-04-07 21:09:44 | Weblog
 3月の終わり頃恒例の大学の同窓会が開催されました。そのとき話題になりました素晴らしい本をお友達が送ってくださいました。タイトルは「人は愛するに足り、真心は信ずるに足るー アフガンとの約束」という本です。中村哲氏と澤地久枝氏の対談形式になっています。読み終わったいま私はガーンと頭を打たれたような感動が静かに心の中へ広がっています。医師である中村氏は1982年JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)からの要請で1984年ひとりでペシャワールに赴任します。翌年家族とともにペシャワール生活が始まります。ペシャワールはパキスタンとアフガニスタンとの国境沿いの町です。NGOペシャワール会が中村医師のパキスタン・アフガニスタンにおける医療活動を支援する目的で結成されました。

ハンセン病患者の医療に携わるかたわらアフガニスタン再建のためには水路建設が絶対必要であると考えた中村氏は、日本人や現地スタッフとともに井戸掘りに専念していきます。3000ヘクタールの砂漠を緑地にかえアフガンの人々の生活を支えた功績はすごい!と思います。ソ連の侵入、アフガン人の抵抗、内戦、米英軍の爆撃と対テロというアフガニスタンの激動と過酷な環境の中での水路建設は筆舌に尽くしがたいご苦労があると思いますが、中村氏は25年間ただただ砂漠を緑にかえ干ばつに苦しんでいるアフガンの人々に水路をつくり、家族みんなが農業に従事し仲良く暮らしていけるように自分は手助けをしているだけだと語っています。

何の気負いもなく淡々と語られる中村哲氏に私は「こんなに素晴らしい日本人がいるのだ!」と胸が熱くなりました。
水路建設中に日本人スタッフの一人である伊藤和也氏が拉致され殺害されるという悲しい出来事がありました。国内マスコミから「こんな危険極まりないところで治安に対する認識が甘いと・・」と非難されましたが、中村氏も伊藤氏も危険を十分認識した上で命を賭して活動を続けていたのです。この事件以来中村氏は若いスタッフ全員を帰国させ、いまは中村氏一人で現地のスタッフと水路建設に取り組んでいます。

後継者がいないのが現状ですがアフガニスタンの人々の厚い信頼と尊敬をかち得ているのは中村氏一人しかいないとすれば、これはやむえないことなのでしょうか。

ある会で「なぜいまの仕事に?」と青年から問われたとき、中村哲氏は「やはり運命、さだめのようなものを感じます」と答えられました。

次に目次を掲げます。ひとりでも多くの方々に真実を知って欲しくこのご本を紹介致しました。私はいまこのような素晴らしい本を送ってくださった友に心から感謝しております。そして私も友人に送りたいと思っています。(目次は右からクリックして見てください