第2日目は、午前中に
岩倉実相院を、午後には東山区にある
泉涌寺と
今熊野観音寺を訪れました。
岩国《
実相院》
皇室にゆかりの深いこのお寺は風格のあるたたずまいで、内部は江戸中期に活躍した狩野永敬をはじめ狩野派の襖絵がめぐらされ、現存する数少ない女院御所です。1229年に創建されましたが応仁の乱がはげしくなると紫野(現在北区)から岩倉へ移されました。池泉回遊式庭園と枯山水庭園に映える紅葉が見事です。NHKでも放映されましたが黒床に映る「床もみじ」はまるで湖面ような幻想的な光景です。
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泉涌寺》
比叡山延暦寺を山門、近江の三井寺を寺門と言うのに対して京都でただ「みてら」(御寺)というと泉涌寺を指します。皇室のお寺としてずっと非公開のお寺でした。空海が庵を結び法輪寺と名付けられましたが、境内から水が湧き出て泉涌寺と改名されました。総門から大門までの道は左右の塔頭に木立や生垣が多く、道がよく整備されているので寺の参道というより御陵の参道という感じです。私はこのお寺が好きで2~3回訪れていますが紅葉の頃は初めてです。入口を通ってすぐ左に
楊貴妃観音堂があり
本尊楊貴妃観音坐像が祀られています。(唐の玄宗皇帝が作らせたという楊貴妃観音を僧湛海が持ち帰ったいわれています)広い境内をまっすぐ歩いていきますと均整のとれた瓦屋根の
仏殿があらわれます。内部の天井には狩野探幽筆の幡龍図が見どころです。仏殿うしろの
御座所庭園はよく整った庭園で静寂な中にあり緑と紅葉のコントラストが絶妙です。
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今熊野観音寺》
泉涌寺仏殿の裏の道から今熊野観音寺へ向かいましたが、この二寺を結ぶ小路の紅葉が美しく、もし表から出たら見逃してしまったと思い得をした気分になりました。熊野権現のお告げを受けた空海が堂を建てたのが始まりのお寺です。赤い鳥居橋から本堂や弘法大師を祀る大師堂、さらに燃えるように色づく境内は実にきれい!です。
第3日目は宇治へ行きました。
平等院~
宇治上神社~
源氏物語ミュージアム~
宇治橋のコースで歩いて、観て、美味しいものを頂いて、実によく歩いた一日でした。
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平等院》
JR奈良線の快速で20分ぐらいで宇治駅に着きます。宇治駅からほどなく表参道(ここを
日本かおり風景百選の道といい宇治茶のお店が並びます)に入り、両側のお店を見ながら
平等院に到着しました。表門から左へ行きますと
扇の芝があります。源三位頼政が自害したとされる場所で頼政自刃記念の扇形の芝生が残されています。さらに奥へ進みますと有名な
鳳凰堂が見えてきます。釈迦の死後二千一年目からは恐ろしい末法の世がはじまると仏教は教えました。この釈迦の予言をそのまま正直に信じたのが平安時代の貴族たちでした。藤原道長の子頼通は別荘を寺として開創したのが平等院です。兵火に見舞われいま往時の姿を残すものとしては鳳凰堂とその前庭の灯籠だけになってしまいました。この鳳凰堂をめぐる阿字池中心にした庭園は浄土式の借景庭園です。
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宇治上神社》
平等院そばの素敵な雰囲気のお店で京ぜんざいとお抹茶を頂いてから少し離れている世界文化遺産宇治上神社へ向かいました。平等院から神社までの道は風光明媚で清々しい気分でした。宇治川に架かる朝霧橋を渡りますと宇治神社があらわれ、その鳥居を通ってやっと宇治上神社に到達しました。先ず参拝をし、静かな境内の紅葉を眺めながら散策しました。ここから徒歩3分の
源氏物語ミュージアムへ行ってみました。紫式部が書いた源氏物語五十四帖の中で最後の十帖の舞台となった宇治。宇治は貴族の別業の地として愛されてきました。復元模型や映像を通じて源氏物語の華やかな世界を再現しています。
第4日目の掲載はいつになるかわかりませんので割愛いたします。素晴らしいところでしたが・・・。今年の京都は当たり年でした。何回も行っている中で最高でした。そうこうしている内に12月も早中旬、多忙な日々が続きそうです。