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上野東照宮 ぼたん苑

2013-04-21 15:43:22 | 画像をすべて表示
冬に逆戻りしたような寒い日が続いています。先週暖かい好き日に東京都美術館で開催されました友人の「日本パステル画会展」へ行ってきました。いままでに何回かブログに掲載しましたが、今回は撮影ができませんでしたので絵画を掲載することができません。2点の人物画像はいずれも力作で素人とは思えないほど素晴らしい作品でした。
展覧会のあとぼたん苑に立ち寄りました。色とりどりの牡丹が艶やかに咲き誇っています。1980年(昭和55年)日中友好を記念して開苑されて以来ぼたん苑は毎年開かれています。5月12日まで開催されています。




いま根津神社ではつつじまつり、亀戸天神では藤の花が見ごろをむかえてきれいな時期です。美術展もたくさん開催されていて時間がもっとあったら行きたいなあと思いますが。



京都の春

2013-04-13 19:55:52 | 画像をすべて表示
 桃、さくら、山吹、ユキヤナギ、みつばつつじ、チュウリップと華やいだ色合いの花が咲きそろう春の京都はいま花盛りです。4月8日から11日まで4日間京都の春を楽しんで参りました。久しぶりに銀閣寺(慈照寺銀閣)を訪れましたが庭園の東求堂と銀沙灘(ぎんしゃだん)のハーモニーが美しいと思いました。東求堂は8代将軍義政の悶々の情をなぐさめるために作り出されたもので最も信頼できる心の友であったといわれています。屋上に鳳凰を飾り、檜皮葺宝形造り、四畳半茶室を設けたのが銀閣の始まりです。錦鏡池に映った東求堂の倒影もまた違った趣があります。義政は祖父義満の金閣をまねたとはいえ、銀を貼ったこともなく銀閣と呼んだこともありませんでした。西の金閣に対してつけられた名前ですが寛永年間に東求堂2階の天井に初めて銀箔を貼りました。歴史をひも解いていくと面白いですね。


銀閣寺を後に琵琶湖から引かれた疎水沿いに南北に続く哲学の道をのんびりと散策しました。さくらの盛りは過ぎてしまいましたが所々ハッとするような美しいさくら≪関雪桜≫に出会いました。関雪桜は明治終わりから大正初期にかけて活躍した日本画家橋本関雪と夫人が寄贈したさくらなのでそう呼ばれるそうです。かつて哲学者西田幾太郎が思索に耽りながら歩いたので「哲学の道」と名づけられましたが、春の桜と秋の紅葉シーズンは人、人でうまり、とてもそんな雰囲気ではありません。今回は満開が終わっていましたのでゆっくりできました。



哲学の道の脇道から通りへ出て車で平安神宮を訪れました。
朱色の白虎楼の屋根を覆いつくすように艶やかに咲く八重紅枝垂れに見惚れてしまいました。これまで多くの人たちに感動を与えてきた桜です。回遊式庭園(神苑)をのんびりと歩きながら様々な枝垂桜の表情を堪能しました。




2日目は洛西の仁和寺~龍安寺~原谷苑を訪ねました。仁和寺(にんなじ)はきぬかけの路に面した立派な仁王門から境内へ入り、中門を潜って五重塔を見上げると桜が塔の周りを囲んで良い眺めでした。国宝金堂のある庭園は有名な「御室桜」が低く根元から上に向かって枝が出ていて横に咲き誇る桜の光景は華麗です。
仁和寺は宇多天皇の格式高い門跡寺院で仁和4年(888年)に完成したので年号をとり、仁和寺といいます。宇多法皇になってからここに御室御所を営み、27年間仁和寺に住まわれ、承平元年(931年)崩御されました。




仁和寺にもっと居たかったのですが時間がないのできぬかけの路を20分位歩いて龍安寺に着きました。龍安寺の名を広く知らしめている石庭は15個の石を配しただけの枯山水庭園です。石庭の油土塀に覆いかぶさる桜は圧巻です。方丈の廊下に座ってこの光景を眺めている人たち、誰も話す人もなく静寂の中にあります。それぞれ皆さん何かを考え、何かを感じ、或いは無心になっているのでしょう。
鏡容池の周りを歩きますと衣笠山が望め、その眺めはたおやかで京都の春を謳歌しているようです。(きぬかけの路とは金閣寺から仁和寺を結び、衣笠山の麓、約2.5kmにわたる道)
    
    きぬかけの路

                                方丈の襖絵

龍安寺から車で原谷苑へ向かいました。原谷苑(はらだにえん)はお寺でも神社でもなく自然豊かな隠れ里に広大な村岩農園を桜苑にしたのです。
毎年身内だけで花見を楽しんでいましたがその余りの美しさにうわさが広がり、
ついに一般公開することになったということです。
紅枝垂の本数では日本一といわれ、白からピンクへのグラデーションがどこまでも続き、桜のシャワーを浴びながら散策を楽しみました。
在原業平が「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と詠んだように桜を観て人それぞれ感傷に耽るのではないでしょうか。
桜を観ますと西行法師の「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」が思い出されます。




何度も訪れている京都ですがその度に新しい発見があります。奥が深く歴史の重みをずっしりと感じます。余韻にひたりながら又訪れてみたい心境です。