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いつもと違う春のお彼岸

2012-03-22 16:03:49 | 画像をすべて表示
 徳川家の菩提寺として知られる文京区小石川の傳通院へは春と秋のお彼岸には毎年出かけ祖父母・両親のお墓参りを致します。今年は山門が67年ぶりに再建され3月4日に開門式と落慶法要が行われました。法然上人八百年忌と同院開山六百年を記念し、2010年から2年がかりで再建工事が行われました。見事に完成した山門を眺めながら五色の幕で彩られた白木の立派な門を入って行きますと身がひきしまり心の安らぎを感じました。境内の桜が満開でしたら新しい山門にふりそそぐ花弁の美しい景観が見られどんなにか風情があったことでしょうと思いました。




傳通院開基 於大(おだい)の方《徳川家康の母君》
 於大の方は享禄元年(1528)三河刈屋城主水野忠政の娘として生まれ、天文10年(1541)岡崎城主松平広忠と結婚し翌年男子を出産しました。これが竹千代、後の徳川家康です。しかし於大の父水野忠政が病死した後兄の信元が織田方に付いたので、今川氏の保護を受けていた広忠は於大を離縁し刈屋へ帰すこととなりました。その後久松俊勝と再婚した於大は家康が織田家の人質になってからも菓子や衣服を贈って見舞い音信を絶やすことがなかったと伝えられています。家康も生母の至情を忘れることなく天下統一後には再婚しているにも拘わらず実家の者として於大を迎え入れ久松家を親戚として尊重しました。於大は夫久松俊勝の逝去後は髪をおろして「傳通院」と号し、家康の天下統一を見て慶長7年(1602)家康の滞在する伏見城にて逝去しました。傳通院には立派な於大のお墓があります。


すがすがしい気持でお墓参りを終えた後タクシーで京王プラザホテルへ向かいました。ちょうどひなまつり特別行事できれいにセットされた「ひなまつりランチ」を美味しく頂きました。お食事後は豪華で美しい雛壇やつるし雛を見た歩いたり記念写真を撮ったりして楽しく過ごしました。お雛様は幾つになってもいいものだと思いました。



東日本大震災から1年が過ぎました。例年の墓参とは違った気持で参拝いたしました。明日が見えない不安な大変な時代になり、ますます人と人との強い絆と協力、優しさ、強さ、人の身になって考えることが大切になりました。昨日開幕しました第24回選抜高校野球大会の開会式で石巻工業高校阿部翔人主将の選手宣誓は堂々としていて立派で心を打ちました。「いまは苦しくつらいけれど、しかし日本がひとつになりその苦難を乗り越えることが出来ればその先には幸せが待っていると信じている。日本中に届けます。感動、勇気、笑顔を・・・・・」大震災という苦難を経験した若者はすごいです。強くたくましくそしてやさしさ持って成長していくことでしょう。未来ある彼らに幸多き人生を心から願っています。


三陸の「新芽生わかめ」に思うこと

2012-03-05 12:27:16 | 画像をすべて表示
 宮城に知人を持つ友人から三陸産の「新芽生わかめ」を分けて頂きました。大震災の大変な苦境の中で何とか育って幸い放射性物質も検出されず、これは偏に地元の漁師さんの努力のおかげです。その知人の方は一本の高速道路のおかげで被災を免れましたが、高速道路下の浦浜地区は人も家もすべて流されたそうです。震災復興のために「宮城(東北)のものをよろしくね」というメッセージがあり、本当にものすごい、すさまじい災害の中で住民一体となって一所懸命復興に命をかけています。
「食べて応援をする」ことぐらいしか私には出来ませんが「微力ながら協力していきましょう」と友人と電話で話し合いました。新鮮で美味しい新芽生わかめを酢の物にしたり、サラダや味噌汁にいれて漁師さんに感謝しながら味わっております。


東日本大震災から1年が経とうとしてしております。住民達の逞しい努力で一歩々復興しつつありますがそれには限界があります。何と言っても国(行政)のしっかりとした強力な政策と人々の協力が絶対不可欠です。
岩手気仙沼の階上(はしがみ)中学校卒業式の答辞で梶原祐太君が「どんな苦境にあっても天を恨まず前に向かって進んでいこう・・・・・復興に役立つ人間になることが自分の使命である」と涙ながらに力強く凛々しい顔で述べた姿が忘れられません。未来ある若者達が希望が持て幸せになる世の中にしていくのは我々大人の責務ではないでしょうか。