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三菱一号館を訪ねて

2010-11-03 13:24:33 | Weblog
 秋の快晴の一日,丸の内界隈を散策しました。10年前、土日のこのあたりはビジネスマンが休みのため往き交う人も少なくとても静かでした。ここで絵手紙を描いたのが思い出されます。いまは新しいビルや高級ブティック、cafeなどが立ち並び多くの人が訪れる観光スポットになり、すっかり様変わりして時代の移り変わりを感じます。今回私がここを訪れた目的は今年4月に開館しました三菱一号館美術館で開催されています《三菱が夢見た美術館ー岩崎家と三菱ゆかりのコレクション》を観たいためです。



土佐藩の海運業を任された岩崎彌太郎は明治維新に三菱を興し、第二代社長岩崎彌之助は1890年(明治23)丸の内の土地を政府より一括して買取り、丸の内を地震に耐える堅固な事務所街にしようとします。そこで政府お雇い外国人の英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)に煉瓦造りの事務所を設計させ、1894年(明治27)三菱一号館が完成しました。同じ頃三菱には美術館と劇場を造る計画がありましたが実現することは出来ませんでした。それから1世紀余、今年4月6日に三菱一号館美術館が誕生したのです。往時に三菱が描いた夢の実現の意味がこめられています。

三菱一号館美術館開館記念展 三菱が夢みた美術館


三菱一号館立面図 明治20年代  岸田劉生<童女像>1921

四条河原遊楽図屏風 江戸初期 黒田清輝<春の名残>1908

井戸茶碗 16世紀     野々村仁清 江戸時代

展示品は撮影禁止ため、画像はすべてちらしから抜粋したものです
そのため不鮮明のところはご了承ください。
上記の作品はほんの一部にすぎません。ルノワール、モネ、山本芳翠、渡邊崋山の作品やマルコポーロ筆の「東方見聞録」、お伽草子「一寸法師」(原本)、イスラム教のコーラン原文など貴重な資料など初めて見るものばかりでした。また三菱から発した日本遊船、麒麟麦酒が宣伝のために作成した、近代化してゆく日本の姿を映し出すためのポスターも展示されました。

ポスター 日本遊船 1932 麒麟麦酒(明治屋)1926

日本経済(政治も)を支配してきたほんの一握りの財閥は、金の力で世界中から貴重品を買い集めコレクションとして保存していたのには、驚きとともに非常に考えさせるものがありました。しかし今回公開されたおかげで珠玉のコレクションを観る機会に恵まれたのはよかったと思います。美術館では会期中(8月24日~11月3日)来館者は7万人と予想したようですが10月21日で7万人を突破し盛況の内に今日で記念展は終わります。