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秋のお彼岸に思ったこと

2015-09-27 14:15:26 | 画像をすべて表示
 日一日と秋が深まり爽やかな清々しい日が続いています。お彼岸の日、菩提寺(文京区にある傳通院)を訪れ、お墓参りをして参りました。お墓に眠っている方々への思いが年々募るのは自分自身が年取っていく証拠でしょうか。人の一生や運命と言うものは本人の意思とは無関係に生まれたときから決められているような気がします。地震や台風、洪水などの大きな災害が起こる度に、人の無力さを思い知らされます。でも人生は自分の力ではどうにもならないものと、何もせずにいていてよいかといえばそれは違います。物事には必ず原因()があり、それにかかわりのあるものが影響をあたえ()、結果が生ずる(生起)、「因縁生起」(いんねんしょうき)というのがお釈迦様が発見された世の中の大原則です。抗うことの出来ない「運命」があるにせよ、人の一生は、やはりその人自身が何をするか、何をしてきたかが結果としてあらわれるものだと思います。



                 人もし生くること   
                 百年ならんとも
                 おこたりにふけり  
                 はげみ少なければ
                 かたき精進に
                 ふるいたつものの
                 一日生くるにも
                 およばざるなり 

これはお釈迦さまが弟子たちに説かれた「法句経」(友松園諦訳)の一節ですが、私たちが生きていく上の大切なことを説かれています。もし百年の寿命を得たとしても、だらだらと時間を過ごし、努力をしなければ、充実した精進を重ね、心を奮い立たせて、前向きに生きていく人の一日の人生にも及ばないという大事な教えです。
最近大学の講座で私は「仏教のこころとかたち」を教えていただき充実した時間を過ごしました。秋の講座では「人と生き方」を学びます。楽しみにしています。