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お能 「羽衣」と「弱法師」に感動して

2011-05-24 14:19:42 | Weblog
 5月21日(土)午後 国立能楽堂で金剛流のお能を鑑賞しました。
羽衣」は早春の三保の松原、弓なりに続く白い砂浜、白い富士、一幅の絵の中で天女が羽衣を翻して舞うと言う有名なお話です。

猟師白龍が松の枝にかかった羽衣をみつけ、家の宝にしようと持って帰ろうとすると天女が現れます。天女は羽衣がないと天に帰ることが出来ないと嘆き悲しみます。さすがに白龍は哀れに思い羽衣を返し天上の舞を所望します。天人は羽衣を翻して舞い、数々の宝を人間界に降らして月の世界へ帰っていきます。宝とは人々の幸せの数々でしょうか。この曲が作られた中世の人々は深く仏教に帰依していました。人の究極の目的は極楽に往生することでした。この能を観ながら夕日に赤く染まった富士山を、西側はいつも、あかね色に染まっているという須弥山に見立て、虚空に花降り音楽聞こえる聖衆来迎を思い描き法悦の世界に入ったことでしょう。今の私たちには想像もできない世界ですが、美しい衣を着て舞う天人(シテ)の姿にこの曲のもつ清らかなメルヘンの世界に魅了されてしまいました。

弱法師」(よろぼし)は逆境にあって心の平安を観音の慈悲にすがり、なお明るさを失わない少年の物語です。

人の讒言(ざんげん)によって父に追い出された少年俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、人の哀れみを受ける身の上となります。それを知った父通俊はさすが哀れに思い、子の来世を願い七日間の施行(せぎょう)を行います(施行とは人々を哀れみ、物をほどこすこと)。杖にすがって現れた俊徳は昼夜の区別もつかない盲目の境涯を嘆きながらも、もともと人は心の闇を持っているものだと自らを慰めます。杖の扱いや舞台に入るところに情趣があり胸にジーンと来ました。おりしも彼岸、梅の花が俊徳に散りかかり、花をも一緒に施行を受ける優しい心を失いません。所は天王寺、本尊は俊徳の心のよりどころの救世観音、俊徳は寺の縁起を語ります。やがて日も西に傾き、目に見えぬ入日を心に見て浄土を想い、かつて見慣れた難波の情景が心に蘇り、曲舞いを謡い、舞います。曲中一番の見どころ聞き所で大変感動し涙がでました。俊徳(シテ)と地謡いが競い合い舞台を盛り上げます。情感のこもった秀逸な演技です。二人(父子)は名乗りあい、夜紛れに故郷に帰っていきます。
(画像は撮影禁止のため案内と本から抜粋したものです)



お能を鑑賞した後は感動した余韻がいつまでも心に残り、日本古典文化の素晴らしさを再認識します。西洋のクラシック音楽も好きで年に何回かコンサートへ行きますがお能とは違った感動を覚えます。元気なうちに好きなことを貪欲に学び、吸収し、ゆったりした気持で旅をしたいです。



旧古河庭園を訪ねて

2011-05-11 13:23:57 | Weblog
 五月晴れの爽やかな5月9日(月)北区西ヶ原にある旧古河庭園へ親友と出かけ楽しい一日を過ごしました。彼女とは職場で出会ってから爾来50年余り、お互い何でも話し合える大切な親友です。ご夫妻でお能を嗜み時々国立能楽堂へもご一緒します。多趣味で知識豊富、いつも穏かで心優しく学ぶこと多しです。

山手線駒込駅から徒歩12~3分で庭園に到着しました。この界隈は私が生まれ育ち両親と共に過ごした思い出深い土地です。周辺の景観もすっかり様変わりし、高い建物が立ち並び地下鉄南北線も通っています。昔は都電が王子から日本橋まで通じよく利用したことが懐かしく思い出されます。私が卒業した小学校や宮口ベーカーリーがまだそのまま残っていてうれしくなりました。

旧古河庭園はかつての古河財閥によって1917年(大正6年)現在まで残る洋館と庭園が造られました。今は洋風庭園と日本庭園とを併せ持ち、特に洋風庭園はバラの名所として名高く、年2回春と秋に《バラフェスティバル》が開催され多くの人で賑わいます。私たちはバラフェスティバルの少し前に訪れましたので満開のところは少なかったのですが薔薇一つ一つの色が鮮やかでたいへん美しく見惚れてしまいました。洋館を背景にしたバラは絵画を観ているようでした。間もなく一面バラの咲き誇る見ごろを迎えるでしょう。5月13日(金)~6月5日(日)まで春のバラフェスティバルです。洋館の見学には事前に予約が必要です。