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村岡花子と教文館

2014-07-20 14:17:45 | 画像をすべて表示
 そろそろ梅雨明けでしょうか。この2~3日割とからっとした日が続いていますが、これから本格的な夏を向かえるので元気で乗り切りたいものと願っています。
先週銀座松屋前にある教文館で開催されています≪村岡花子 出会いとはじまりの教文館ー村岡花子展≫を観て参りました。朝のドラマ「花子とアン」の影響で大盛況、大変多くのひとたちが訪れ、教文館側も予想外の人出に驚きとともにうれしい悲鳴をあげています。村岡花子さんは戦前に教文館の編集者として女性とこどものための出版の仕事をなさっていました。1939年「赤毛のアン」の原著「Anne of Green Gables」が贈られた同僚のカナダ人宣教師ショーとの出会いの舞台も、夫儆三との出会いもここ銀座の教文館でした。

展示は先ず幼少の頃から始まって、東洋英和女学校時代、花子初めての本「爐邊」(現存するのは教文館が所蔵する一冊のみ)、友人たちとの出会い、花子と儆三との出会い、花子の訳した種々の本と創作、戦火を乗り越えて命がけでて翻訳した「赤毛のアン」、道雄文庫ライブラリーなどなど村岡花子の生涯を紹介しています。資料も写真も豊富で全部観終わるのに随分時間を要しました。

愛する人と結婚し息子道雄を授かり、主婦として母として家事をする傍ら世のこどもたちのために童話の創作に励む花子、順風満帆のようでしたが、間もなく最愛の息子道雄が疫痢で6歳を前にこの世を去ります。深い悲しみと絶望に打ちのめされた花子でしたが、夫の強いやさいい支えもあって、悲しみを強さに変え次々に仕事をこなし多忙な日々を送ります。そして波乱に満ちた人生は1968年(昭和43年)75歳で生涯の幕を閉じます。

村岡花子さんが翻訳なさった「赤毛のアン」を夢中で読んだ青春時代を懐かしく思い出しながら、プリンスエドワード島の風景を彷彿させる訳は素晴らしくすっかりアンのファンになった若き頃が本当に懐かしく胸が熱くなります。「赤毛のアン」は日本中の若い女性たちの心をつかみ、たちまちベストセラーとなりました。アンの言葉によって想像する喜びと幸せを感じ、主人公アンへの憧れはカナダ・プリンスエドワード島への憧れとなりました。これは村岡花子さんの情感あふれる美しい文章、素晴らしい翻訳によるものです。
貴重な資料、豊富な写真、歴史背景とともに"村岡花子の生涯を知る"楽しく意義深い展覧会でした。(この展覧会は先週で終了いたしました)





1906年、銀座中央通りに建てられた教文館
(「花子とアンへの道」村岡恵理編 より抜粋 )
 後ろの建物は花子の夫となる村岡儆三が支社長を務める福音印刷のビル
会場の写真と資料の撮影は禁止ですのでここに掲載できないのが残念です

教文館は1885年(明治18年)設立され、1891年(明治24年)銀座へ進出し、
1906年(明治39年)現在の場所に建物を建てました。
花子が東京に再び出てきたときは、現在と同じ場所に建っていたことになります。
中は階段も建て方も扉など古さが残っています。