goo

今年もあと4日となりました

 加齢とともにやることが遅くなったせいでしょうか。一日過ぎるのが何と早いこと!今年のブログは今日で閉じさせて頂きます。お訪ね下さいました方々、ご丁寧なコメントを下さいました方々に心よりお礼申し上げます。一か月に2~3回しか掲載致しませんのに本当に有難うございました。私には大きな心の励みになりました。
来年 2016年が穏やかで良い一年となりますように、皆様方のお幸せをお祈り申しあげます。
今年頂いたクリスマスカードの一部




ただいまコメントを閉じております。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

年末の読書

今年も残すとところ10日たらずとなりました。年末の忙しい合間を読書で楽しい時間を過ごし、充実感を味わいました。
「土佐堀川 広岡浅子の生涯」(古川知映子著)と「五大友厚 蒼海を越えた異端児」(高橋直樹著)の二冊を一気に読んでしまいました。いま放映中のNHKの朝のドラマ「あさが来た」の原案本です。豪商三井家から17歳で大阪の両替商「加島屋」に嫁いだ浅子の凄まじい人生を描いています。「九転十起」の精神で難局を切り開き、加島炭鉱、加島銀行を開始し、大阪の大実業家として大成します。その陰にはいつも浅子を暖かく支え、理解してくれる夫 信五郎や舅の広岡正饒のやさしさと愛があります。成瀬仁蔵とともに日本女子大創立を成就し、明治34年4月目白台に開学を見、初代校長成瀬仁蔵が就任します。また後に大同生命を創設します。晩年60歳を過ぎてからクリスチャンになり、女性人材育成に力を注ぎます。自由な発想と発言で研鑽しあい、寝食を共にし、机上の学問だけでなく実学を身に付けさせたいと言うことから食事の支度、掃除、洗濯を分担させ、責任を持たせるようにしました。市川房枝や安中はな(村岡花子)はここの生徒でした。村岡花子にとって、ここの勉強会に参加したことは、文学者に進む道しるべになりました。浅子の女子教育と地位向上に尽くした功績は大きなものでした。
大正8年1月14日、浅子は眠るように天国に召されました。奇しくも、浅子の死から2か月後日本女子大学校創立の僚友成瀬仁蔵が世を去りました。
広岡浅子(1849~1919)が生きた嘉永から大正にかけては、日本歴史の激動期であり、日本経済にとっては大きな変動期でした。


五大友厚(1835~1885)は朝ドラにもしばしば登場し、浅子に多大なる影響を与えます。五大の判断力と行動力に畏敬の念をもつ浅子は、事業に関してしばしば相談し、教えを乞います。
五大は薩摩藩出身で幕末の薩英戦争で捕虜になりますが、攘夷主流の中、藩論を覆して英国へいきます。帰国後明治になると政商として大阪中心に活躍します。大阪株式取引所や大阪商法会議所を創立し、今日の大阪実業界の基礎を確立し、卓越した先見性と行動力で近代日本に尽力しました。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )

クリスマスイルミネーション

 各地でイルミネーションが点灯され、華やかに光り輝く季節になりました。世界各地では紛争が絶えず多くの人々が苦しんでいます。それに引きかえ日本は平和で有難いです。先日京王プラザホテルで会食会がありホテルライフを楽しみました。3階ロビーには4メートルのクリスマスツリーが飾られ、訪れた人たちを楽しませています。ロイヤルブルーのリボンがアクセントになり、ツリーに飾られた4本のベールには光があたり、時間によって様々な色に染まりとても綺麗です。
花やさんにはポインセチアやシクラメンなど冬のお花が勢ぞろいして明るい気分になります。


青色発光ダイオードの発明(日本の中村氏がノーベル賞を受賞されました)によって私たちの生活は多くの恩恵を受けています。
イルミネーションをはじめLEDや乗用車・自転車・バイクなどの各種照明や光通信、信号機、電光掲示板、映像装置、医療関係などなど際限なくあります。
生活がますます便利になっていきますが古くから伝わっていることも大事にしていきたいです。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )