赤い靴日記  (子宮頸がん ステージ3bから20年)

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治療について考えたこと

2005-03-15 11:54:54 | がん
もなみはⅢb期で骨盤に達しており、医師からも手術で全部取りきれる自信はないと言われました。
急激に大きくなったものでもない性質の物だとも。
年齢的に20代30代の若さでもなく、遅かれ早かれ更年期も近い年齢なので卵巣を残す意味もそう切なる事ではないと判断されたのでしょう。
子供もそれなりの大きさでしたし、家から近い事も外泊が容易だった理由かもしれません。
また、がんセンターや担当の医師には、
本人の意思と環境が許せば 出来る限り生活基盤を家庭に置くことを前提とし がんセンターの入院は治療を目的とする といった考え方があったように思います。

余談ですが、これは生活の質を考えたQOLの考え方の一部で、QOL全体を研究・実践の方向に行動している会が がんセンター内に在ります。医師・看護師を始め「横浜市オストミー協会」やその他の癌サポート団体にもそのような人たちがいます。このチームの方たちの協力があったので、母を亡くなる2時間前まで在宅介護できました。このことについては別の機会に書こうと思っています。認識が不十分なところもあるかも知れないので、。QOL研究会を見てみてね。

で、何の話だったかな???

そうそう、このような状態なので、「放射線と抗がん剤治療をやりたい。」と先生に言われました。その際「他の病院では違う治療方法をするところもあるので、セカンドオピニオンを希望されるのであれば紹介します。それから考えてどちらかを選んできても良いですよ。なるべく早い決断を進めますが。」という話でした。

正直「治してくれるんじゃないの?」と他力本願だったもなみは、ここでしっかと、自分で治療方法を選択して自分で治していくんだ!その為に医療機関や医師を選んだんだ!と実感されました。
ま~その後も自覚の無さが何度も発覚するにはするんですけど・・・。

その後 リニアックという外から放射線をかける治療を5回/週を25回と、器具を差し込んで直接患部に照射するラルスという治療を1回/週を6回受けました。当初5回の予定だったのですが、前半の出血が多く 思うように出来なかったので追加になり、退院後通院治療受けました。

リニアックは 本当にあっという間でした。「アマリリス」って曲知ってます?「タンタンタンタン タンタンタン タンタンタンタン アマリリス」ってあれですよ。そのオルゴール曲が3回位かかったかな~で、一日分は終了なんです。

ラルスはそうは行きませんでした。癌の場所大きさ状態と放射線量を毎回レントゲンと計算とで割り出して治療するんです。ただ、患部側から直接攻撃できるという面で婦人科系でかなり有効であるようです。言われてみれば、確かにそうだよね。

放射線の場合どうしても腸とか膀胱とかを通過せざるをえないので、影響が つまり副作用とか後遺症とかが多くなってしまうらしいです。

もなみは2年半後に半年間膀胱炎に悩まされました。
細菌性の物ではないので、抗生物質を飲んでやっつければ治るというものではないんです。いろいろな痛み止めを試して 私の場合はボルタレンを飲み続けました。(この時にどれだけネットのお友達の励ましがありがたかったことか。@ひめさんのお陰によるところが大きかったです。ありがとうございました。)

入院していたとき腸に穴が開くこともあると聞き 眠れなくなって 先生に聞いたこともありました。「無くは無い。けど、いろんな起き得る事が人様々あって それが全部 いつも心配しなくちゃいけないほど、頻繁にあることではないよ。^^」と言われて???つまり心配すんなってことだ!とすっきり眠ることが出来ました。おめでたい??

まずは医療に未熟であっても 自分のやりたい治療をというか~自分の大切にすべきもの・自分の生き方みたいなもの?~を先生に訴えてみて、やってもらえたらよいな~と。

もちろんこちらは初めての病状なんだから、ありゃりゃこんなはずでは・・・と思うこともままあるでしょう。
もなみなんてそのオンパレードだったし。
その時にそれなりの対処をしても・・・許してちょうだいって感じでどうでしょう?

あ~またもなみのいい加減さを暴露した感じ・・・自己嫌悪。

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コメント
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