終戦記念日。
敗戦記念日。
敗戦忌という季語もある。
8月15日、お盆なんだけど、どうしてこの日に戦争を終わりにしたの。
ネットで「戦勝国の終戦記念日」というタイトルに目がとまり読ませてもらいました。10年前のイギリスに住む日本人留学生ですが、なかなかおもしろかったです。
テレビや新聞もこのときとばかり戦争の話。
いい加減だけれど続けている「天声人語」の音読では、やはり悲しくって声が詰まることがあります。
テレビで、8月15日当日、終戦の玉音放送があったのちでさえ、まだ特攻で出撃したということを知ると憤りで心が震えます。
6月にもう勝ち目はないからと進言した大臣に天皇は「何かきっかけが無いと」と返事した、ということもテレビで知り、失われなくて済んだ何10万の命があったことを思い、くやしくなります。
改めて『戦争責任』という言葉を思い浮かべ、昨今、企業の不祥事があると社長やら役員やらが一列に並んで深々とお辞儀しているの景を連想してしまいます。
なんちゃって、えらそうなことを書きだしましたが、涼しい部屋に寝っ転がって、お盆で帰ってきているぼくや先代のももすけや、マツゴロー、シェルティ(みんな犬!ご先祖様はとなりの仏間に)とぼんやりしているおかあさんです。
桑田佳祐 ・・・・ この国が平和だと 誰が決めたの? 人の涙も乾かぬうちに
70年前の今日、玉音放送を聞いた後、
私は母の実家に大八車に括り付けられて、
夜通し寝ないで疎開しました。
あれからの数か月は生涯の内で一番苦しかった生活だったように思います。
戦争はすべての人を不幸にするもののようですね。
それから疎開されたのですか。
戦争のこと、もっと両親たちから聞いておけばよかったと思います。
連れ合いも戦争犠牲者の一人です。
でも母の背中で多くの体験をしたようです。
原爆後を歩いたり 防空壕から追い出されたり 火の中を逃げまわったり
よく生きていたものです 母のお蔭でしょう。
「二つの祖国」を読んだ時みんな みんな大変だったんだと 何処に居ても戦争は勝っても負けても。。。。。。。
今年は特に番組は多かったですね。
この国が平和だと 誰が決めたの? 人の涙も乾かぬうちに
この言葉に胸が詰まりました。
父が戦死したので私は父を知りません。
でも、今頃になり、胸が締め付けられるほど
悲しくなります。戦争が憎い~と思います。
それはどんどん、心で大きく膨らんでいきます。父の死をあまり深く考えないままに呑気に育った私は今頃になり、痛切に悲しみを覚えるのですよ。
ももすけちゃんたち、天から帰って、庭で遊んでいるかしら。
ふくちゃんがお母様の背中で戦禍をくぐりぬけてこられたお話
ご自身の記憶になくても、私まで覚えています。
どこにいても戦争は大変、戦勝国イギリスにいた戦後60年のときのレポートもおもしろかったです。
戦没者追悼の式でも2度と戦争で父親を知らない子どもをつくらないでほしい
という遺児の言葉がありました。
やはり、私の夫も父親を知りません。
年をとってくるとともに、その思いは強くなるようです。
戦争をしたがるのは自分が鉄砲を担がない人たち。
特攻を決めたのは、自分が特攻にならない人たち。
戦争をしない国にほこりを持っていたいです。
ぼくたちが帰っていく昨日の夕方、お庭で送り火(略式お線香なんですけど)
また、うるうるしていたおかあさんであります。
申し訳なく思いますね。
そんな国を血で染めたくないですね。
戦争がなくても残虐な事件が相次いで
起きています。
違う形での日本人同士の争い見たくないです
ある人が学校の先生に親に戦争の話を聞いてきなさいと言われ親に聞いたら一言も話してくれなかったそうです。それだけ苦しい体験をされたのでしょうね。
でも戦争を知らない若い人たちには戦争を美化しないように話聞かせたほうが良いと思います。