お彼岸の中日というのに寒い日です。風が強くて、日が照っていたと思ったら霙まじりの大粒の雨が降ってきたり。
相変わらずぼくのベッドはそのまま置かれてあり、おかあさんはその毛布(ぼくのうんちがくっついているかもしれない)をときどき、ぎゅっと抱きしめています。
でも、いつまでもこうしているわけにもいきません。
そして49日を思いつきました。
人間と同じように、死んでも49日の間はこの界隈にいるのです。
おかあさんはとても音に敏感になっていて、家の中でコトリと物音でもすると、もしや、なんて思ったり、庭に出て風がさ~っとふいてきても、何か感じたりするようです。
おとうさん曰く「おれが死んでもそんなに悲しまないやろなー」
おとうさんがいなくなると不便で困ると思います。それにやはりさびしいだろうと思います。
でも、何の役にも立たないぼくがいなくなってさびしいのは純粋に愛していたからにほかなりません。
49日は3月23日、もうまもなくです。
玄関もそのまま、お散歩用のバッグやリードや洋服とも訣別です。
でも、おかあさんは考えています。いっとき、「断捨離」すべしとはじめてみたものの、大切なものを失ったような気がして、本当にどうでもいいものにまだ手をつけていない状態。momoのお洗濯してしまってある洋服はそのままでいいわ、誰にも知られないのだし、と。
おかあさんが死んだあと、おねいちゃんが家の片づけをしていてぼくの洋服がでてきたら、きっと、うるうるするに違いないのだから。