ももすけの日記

品良きは背筋伸びたる夏帽子
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

ぽっちりとしたあかり

2003年06月15日 13時16分00秒 | 日記
きょうはおねいちゃんとゆっくり、朝食を食べました。昨日、”スタバ”で買ってきた、ドーナッツの上にチョコレートが乗ってる、かなりでっかいモノでした。もう、長い時間がかかりました。マグカップになみなみとコーヒーをついで。
おねいちゃんは、障害のある子供(?)のお世話をする仕事を今はしています。
お買い物に付き合ったり、付き添いで病院へ行ったりするそうです。
きのうの子は、ちっとも言う事をきいてくれなくって、バスから降りるのいやと駄々をこねたり、おねいちゃんを叩いたり、つねったりしたそうなの。おねいちゃんも、まだ、おんなじようなものだから、べそをかいて半泣きだったんだろうね、きっと。
その子のお宅に送り届けたとき、その子が”ごめんね”って小声で言ったそうなんだ。
おねいちゃんは、それが、とってもうれしかったんだって。
それを聞いたおかあさんは、もっとうれしかったよ。それ、それ、なんだよ。
おねいちゃんが、それを感じられるようになったんだ♪

教育ということ

2003年06月15日 01時05分00秒 | 日記
このCafeのなかでぼくが知ってるのは、そのごく一部の方なんだろうけど、そのなかでも、際立って、まじめで、他への思いやりがあつく、それでいて冷静な方の日記より、、、

~生まれたときから叱らない教育を心がけ、自立の育児をしていれば、叱らなければならないようなことを(子供は)ほとんどしない~

その日記を読んで、ぼくんちのおねいちゃんのことを思い出したおかあさんは”教育は後戻りできませんもの”と足跡を残したんだ。

翌日、また、書いてくださった。
~叱らない教育とは、大人が限りなく自分の心を子供の心に重ねて、上に立たないで、子供が間違いながら考えていくのを、痛みを恐れず、結果を共有していく構え~  と。

母親が45才のとき7人兄弟の末っ子として生まれたおかあさんは、母親の口癖で”子供はフクを持って生まれてくるから、ほっておいても、育つんだよ”と思っていたの。
自分の子供が生まれても、どういう”教育”をしようと、改めて考える事もなかったようです。子供の自立を一番に考え、命に別条なければ、口出ししないでいよう、自分の頭で考える人間になってほしい、が信条といえば信条でした。
ただ、”自分の心を子供の心に重ね”たり、”結果を共有”したりするゆとりをもちませんでした。
ぼくんちのおねいちゃんは、もう年齢的には大人になっていますが、心は子供のままなのです。不登校、摂食障害、また、行きだした専門学校は2つとも、中退です。
このCafeにきたのも、その、おねいちゃんとのことを客観的に考えられるかな、なんて思ってなのです。
その人間を決定する、すべてが教育だけではないと思います。お嬢さんのことでは、ぼくんちの
おねいちゃんの比じゃないくらい、辛い思いをなさった事と思います。だから、教育の一つとして、”叱らない”のもあり、と思います。実際、人間の母親がいつもゆとりを持って子供に接することが出来るかというと、難しいものだと思います。その心がけが有るのと無いのとでは違いますが。
教育で躾はできるでしょうが、心の病気とは、全く関係ないこともないでしょうが、また別問題だと思います。
ぼくは、その、おねいちゃんの癒し犬なの。