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ももすけの日記

化粧水のほのとかをりて初化粧
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

『心配事の9割は起こらない』

2013年08月31日 14時34分37秒 | 日記

またまた本の広告を見て。

 

・不安や悩みの9割は妄想から生まれる                そう言われてみればそんな気がする

・情報の”暴飲暴食”があなたの心を不安定にする            なるほど

・誰かと「悪い縁」を結んでいないか点検すべし              ?

・前向きに生きている人は例外なく「潔い人」                後ろ向きはいけないのか?

・「朝」を大事にする人は「自分」を大事にする人              この頃早起きしてその意味がわかります

・「怒りの感情は頭にまで上げるな」という教え               年とともに「怒り」もあまり感じないけど

・世の中捨てたもんじゃない、とどれだけ思えるか             ときどき感じます

・死ぬことは仏様にお任せしえしまえばいい               そう思うと楽

・大地黄金――いまいる場所で輝く人になる               やっぱり、輝いていたいな

・大事なことは夜に判断してはいけません                ネットで家具を注文して朝になって後悔しています

・姿勢を整え、呼吸を整え、心を整えるコツ               そのコツは広告に書いていない

・気持ちを落ち着かせる「呪文」のつくり方                これもここに書いてくれればいいのに

・家の中を改善すれば、仕事も人生も改善できる             よくわかります

 

とてもいい広告だと思います。

ぼくのおかあさんは、こんなのにすぐ納得してしまいます。

「無駄なものをそぎ落として」ともあります。

そういえば『断捨離』、まだまだ始めたばかりですが(それに、もうあまり熱意も感じていないのですが)捨ててから置いておけばよかったと、いくつか後悔しています。もっとも、それが無くなっても取り立てて不自由はないのに未練がましく思う心がいけないのです。

 

この本の広告のお隣には『思い通りにいかないから人生は面白い』曽野綾子著がありました。

                  

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『犬から聞いた素敵な話』

2013年08月26日 19時38分54秒 | 日記

きっと泣きながら読むだろうと思っていましたが、やはり、ぼくのおかあさんは泣きじゃくり、しまいには号泣するのも気持ちいいもんなんだわ、と思いながら泣いていました。

副題が『涙あふれる⑭の物語』

47の実話から小説化、”泣ける”短編。20万部突破

少し前に読んだのでしたが、今朝の新聞の広告を見て、あらためて人間って泣くのが好きなんだなと思いました。

 

映画でも感動して泣くことが多いのですが、今年はなぜかあまり、というよりちっとも泣きませんでした。

今年は、という意味はあまり映画館に行くことのないおかあさんなので、だいたいが夏に限定されるからです。

『真夏の方程式』 福山雅治はやっぱりかっこよかった、それだけでもよかった、と思うおかあさん。

『クロワッサンで朝食を』 名前だけは知っていたジャンヌ・モロー。

『風立ちぬ』 作者宮崎駿が自分で作った映画で初めて泣いた、とあったので期待していたのだったけど、おかあさんは泣かなかった。

ストーリーは知っていても泣けて仕方なかった『ハチ公物語』も『HACHI』も。やはり犬には弱いらしい。

 

ところで、笑うことは体に良いのはよく知られています。

ぼくんちは29インチのブラウン管テレビだったのですが、とうとうおとうさんの部屋のテレビが壊れてしまったので、ついでに居間のも買い替えることになりました。

家に帰るとすぐにテレビをつけるおとうさんです。次は大きなのがほしかったようです。おかあさんはカタログの寸法でどのくらいになるか想像してもピンとこないので新聞で大きさを作ってみました。50型となると新聞紙1枚では間に合わないので、セロテープでつないで(なにしろヒマ)

ブラウン管テレビの前にその新聞紙をぶらさげてみたら、なんだかおかしくって笑っちゃいました。おかしいと思うと止まらなくなってげらげら笑い転げてしまいました。

帰ってきたおとうさんも大きすぎると言うかと思いきや、すまして、これくらいが良い、だと。

今、ぼくんちには2倍の大きさになったテレビがフツーの顔して部屋のコーナーにたたずんでいます。

犬から聞いた話、おもしろいのも、おもしろくないのも、あるよね!

 

 

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人間の種類

2013年08月09日 16時42分39秒 | 日記

人間の分け方もいろいろあって、性別だの、背の高い低いだの、色白か色黒だの、おしゃべりだか無口だか、、、

そんな分け方の中で、同情されたくないタイプとかわいそうにと思ってほしいタイプの2種類に分けることもできると思う。

ぼくのおかあさんは断然、かわいそうに思ってもらいたいタイプ。

頚髄損傷から4ヶ月半、今の保険制度では骨がくっついていないとか、歩けないとかでないと総合病院から普通の整形外科の医院にかわらないといけないそうです。でも、一番近い整形外科はあまり評判良くないし、せいぜい電気を当てるだけ。今やってもらっているリハビリ作業療法というのはマッサージとかなので整骨院でしか受けられないそうです。しかし、整骨院へは病院から紹介状は出せない。整骨院でのやり方でもし不備があっても病院は責任をとれない、とのこと。

「あとは日にち薬」と主治医の先生は言うのでした。もし具合が悪くなったら月曜と水曜の午前中は診察しているからいつでも来てください、と。

おかあさんの首や肩のことを一番よくわかってくれているリハビリ作業療法士さんとも、今月末で終わりになってしまいます。

病院に早い時期、お見舞いに来てくれた人たちは、今でも、大丈夫?無理しないでね、とこわそうに言いますが、そんなときを知らない人たちは、もう普通に歩けているし、治ってよかったわね、と言います。

違う!両手ともしびれてるし接触すると痛いし、背中から足にかけて左半分はあんまり感覚がないし、左右の温度差があって、お風呂の湯に浸かると左側はあんまり暖かく感じない。痛いよりはましだけれど、これも気持ちのいいものではありません。俯いていられる時間もだんだん長くはなってきたけど、しんどいことですし、ここには書けない、もっと困ったこともあります。

その主治医の診察をおえて帰る途中、同じテニスクラブの人に会いました。人づてにおかあさんのことを聞いていたのでしょう。「あっら~、歩けてるわね!よかった」

でも、と、おかあさんはまたひとしきり、こうなのよ、ああなのよ、と訴えます。すると、彼女のお友だちが3年ほど前に自転車に乗っていて帽子が飛びそうだったので両手をハンドルから離した途端、電柱にぶつかり頚髄損傷、以来、首から下は全く動かないのだそう。「だから頚髄損傷ときいて心配していたのよ」

そうよね、あれほどのひどい状態から今は歩けているのだもの、と、あれこれ不満を並べ立てて一段落するといつも、ありがたいと思わなくっちゃと思うのです。

また別のお友だちは、怪我のことをお嬢さん(おねいちゃんのこと)から聞いたけど、(入院中の姿を)人に見られたくないだろうから、とお見舞いに行けなかったのよと、退院後に道端で出会ったときに言っていた。まぁ、彼女はもともと見舞う気はなかったのだと察するけれど、この言葉から思い出したこと。

昔お勤めしていた会社の同期でとってもきれいだった友人(吉永小百合より美人だったと思う)が40歳で亡くなったとき、49日が過ぎて旦那さんから知らせがあった。1年前にガンとわかっていたのだけれど、どんどんやつれていく姿を人に見られたくないと家族以外とは会わなかったのだそうだ。

美人には美人の誇りがあるのだとその時思ったのだったけれど、おかあさんは(美人じゃないから)どんな姿になっていても、お見舞いに来てね、来てね、というタイプだと思います、きっと。

ぼくはといえば、だんだん手足の力が衰えてきて踏ん張りがきかなくなって、両手がどんどん、ずるずる、よれよれ。。。

でも、やっぱり人間といっしょにいたい。

 

 

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思い込み

2013年07月21日 16時58分53秒 | 日記

ぼくのかあさんは思いこみがきつい方です。

(思いこみ、にしようか、思い込み、かと広辞苑で調べたら、思いのあとに付く言葉のなんと多いこと!思い知りました)

これは若いころのぼくではありません。ぼくんちのトイレのカレンダーです。

<ヨークシャ・テリア・・・(原産地 イギリス)世界中で人気のあるテリア。ヨークシャのウェスト・ライディング地方でネズミ捕り用として作りだされた犬種です。長い被毛とV字型の直立した耳のミニチュア種で粘り強く強情な気質をもっています。>

 

おかあさんはこのカレンダーをペットショップでもらってから7月の来るのが楽しみでした。

毎日、トイレでこのヨーキーをながめながら、うちのももすけの赤ちゃんだったころのほうがかわいかったと思っています。

粘り強く強情なのも利口だからこそ、と思いつつ、家の中のわんこ用のトイレは10回に1回くらいしか成功しないし、目も見えない耳も聞こえないぼくが家の中で扉や壁にぶつかり続けるのは、やはりあほな子やったのかなぁ、と思い違いしていたのか、、でも、ほんとうは賢い子と思い直す。

 

もうぼつぼつおさんぽに行きたいぼくですが、おかあさんは眠くなってきたようです。

毎日ぐうたらして思い余るのでしたが、いつのころからか1日に一つは何かしようと思い至りました。

お昼寝して、少し涼しくなったらおさんぽ途中に今日は参院選の投票して、と思い定まり。

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こんなことになるなんて

2013年06月28日 19時22分24秒 | 日記

それは4月1日の晩のことでした。

おとうさんの誕生日なのでお赤飯を炊いていました。おとうさんが帰ってきたので食事の前におかあさんが先にお風呂に入り、入れ替わりにおとうさんがお風呂に入りました。

バタン、おかあさんは脱衣室に出たとたん倒れたようでした。すぐに意識を取り戻して最初に見た景色は、自分の左の腰骨でした。

前屈しても体が硬くなっているうえ、おなかのぜい肉がわざわいしてなかなかくっつかない昨今。そのときは、といえば、伸びた両足の上に胴体が密着し、顔面は胸のほうに向いて頭部が折れ曲がっていました。

物音に風呂場のドアを開け、ペタンとしているおかあさんを発見したおとうさんはとりあえずおかあさんにパジャマを着せて、居間の電気こたつまで、えいこらっしょ、っと運びました。おかあさんは、腰痛持ちのおとうさん、大丈夫かしら、と心配しましたが、そんなことを言ってる場合ではもちろんなく(意識はあるのに体は全く動きません)

おとうさんは自分も服を着て、すぐに居間に戻り119番に電話をしました。(あとで聞くところによれば、裸のおとうさんは寒いので一度お風呂に浸かって温もっていたそうです!)ぼくはいつものようにストーブの前で寝そべっていましたが救急隊の人たちがどやどやとおかあさんを運び出すとき、何か変と、わんわん吠えただけでした。

救急車はすぐに来てくれ、状態を把握するとおかあさんは担架で救急車に運びこまれましたが、家の前からなかなか発車しませんでした。倒れた時の一瞬だけどうしたのかわからなかったおかあさんですが、頸椎だ、と話すことはできました。何年も通っていない大阪市内の病院は受け入れてくれるはずもなし、、、それならば整形外科ですが、当直に整形外科の先生がいるところはこの近くに無い、どうしますか?そんなこと訊かれたって、こちらが訊きたい!!

寒い晩でした。救急車の中で30分はじっとしていたかな、血圧、50・・・40・・・とおかあさんの耳にも聞こえていました。結局、一番近くの病院、脳外科の当直医のいる、歩いてだって10分くらいの病院へ搬送されたのです。

 

まる2日間絶対安静、もっとも首から下、体が動きません。首を固定する大きなカラーが巻かれていました。意識はあるのに自分の体が動かないという不思議な感覚、でも、この2日間、まるで空白。一体、なにを考えていたのか、それとも何も考えていなかったのか、よく覚えていません。「こんなことになるなんて」と「重篤」という単語が何度も頭をよぎったことは覚えています。

3日目、食事の時、ベッドを60度まであげてもよいとの許可が出、初めて天井以外のまわりを見ることができました。自分は人間であったと思い出したような気がしました。手は痛さとしびれの不快感でしたが、足のほうは少し、なんとなく動かせるような気がしていました。

「頚髄中心性損傷」外側に下肢の神経、中心に上肢の神経が通っていて、中心部の神経の損傷がひどかったのです。

体力の回復やいろいろな状況により12日後に、4か所の背骨を切ってその間に人工骨をいれて頚髄を広げる手術を受けました。損傷した神経が治りやすいようにしてもらったわけです。

手術の当日、朝日に向かって「今まで生きてこられたことに感謝」と日記に記しています。

しかしまたその後、お風呂からあがって一人で倒れていたらそのまま死んでいたかもしれない、それも楽だったかもしれない、なんて考えたりもしています。

このお値段でこんなにたくさんの種類のお惣菜、と感激していた夕食の宅配も実はおかあさんはもう飽きてきています。今は土曜日曜だけ夕食を自分で作っていますが、全部となるとまだ自信がないのですが。

ぼくら犬は生きるの、死ぬの、などと考えたこともなく、与えられた食事をし(たまには拒否もするけれど)力をふりしぼってけんめいに歩きます。人間はどうしてこんなにぜいたくなことを考えるのでしょう。

おかあさんはすぐにしんどくなってひっくり返って寝ころんでしまいます。あれほどのダメージから戻ってきたのだもの当然、と考えるか、怠け癖かも、ズルしてるのかも、という負い目・・・

 

今日こそ日記を書きあげようとしていたのに画像を削除したら途中からの文章まで消えてしまって意気消沈するも、お友だちがどうしてるかとのぞきにきてくれたり、今、日本に帰っているおにいちゃんのお嫁さんからお見舞いのお花が贈られてきたりで、また、機嫌よくなったおかあさんです。

                    

 

 

 

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