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ももすけの日記

化粧水のほのとかをりて初化粧
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

ちょっといいお話

2013年06月18日 20時55分44秒 | 日記

救急車で搬送された病院の当直医は脳外科の先生でした。

体は全く動かないのに、例によって口だけは動いていたおかあさんです。20年くらい前、頸椎が正常な人の3分の1くらいに狭くなっているところがあると診断されていたということを自分でしっかり伝えることができました。

先生はレントゲン、CT、MRI、そのほか、専門の整形外科の先生に引き渡すべくすべて検査しておいてくれました。実際、翌日以降に主治医が決まっても新たな検査はしていません。(12日後の手術の前には再度MRIをとりましたが)

天井しか見えない、それも0・1の視力、、、(だけど白内障の手術のおかげで0・03というほとんど見えないよりはずいぶん助かったと思います)翌朝一番、ベッドの足もとのほうに昨夜の先生が「どうですか?」(と言ったかどうかも覚えていないけど)とのぞいてくれたのでした。

そして、次の日の朝も。

患者は心細いものなのです。先生が顔を見に来てくれるということがとてもうれしかったのです。

退院の日が決まってから、どうしてもその先生にお礼を言っておきたいと思いました。

                        

4月1日の夜、脊椎損傷で先生に診ていただいたものです。おかげさまで退院できるまで回復しました。

先生が翌日もその翌日も私のベッドまでのぞきにきてくださったこと、患者としてとてもうれしいものでした。

ほんとうにありがとうございました。

 

手元にあった一筆箋に書いて小さなピンクの封筒に入れて、もし先生に会うことができなければ看護婦さんにでも渡してもらおうと用意しました。

看護婦さんが先生に連絡をとってくれて、2度も先生は私の病室に来てくれたのに、そのたびに私は見舞いの客を送りに(しかもリハビリだとか言ってエレベーターで降りて病院の出口まで見送りに)、忙しいお医者になんてこと、このお手紙を渡してください、と看護婦さんに頼んだら、もう一度連絡してあげるわ、と看護婦さん。

そしてついに対面したのでした。

お礼を言って、でも、今言ったことを書いただけですけど、とピンクの封筒を手渡すことができました。

 

その場にいてくれた看護婦さんがあとでわざわざ言いにきました。

「先生、めっちゃ、よろこんではったよ~」

 

 

 

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重篤

2013年06月16日 16時25分31秒 | 日記

退院後、おかあさんはリハビリに病院へ通っていますが、そのリハビリで自分の前に施術してもらっていた患者さん、こんなに症状の重い人が治るのかしらと心配して見ていました。

80歳代のその男性はミカンの木から落ちたのだそうです。やはり脊椎損傷で寝ている状態から起き上がれませんし、車いすにも一人では乗れないようです。その方が終わって自分の番になったとき、リハビリの先生に先ほど思ったことを言うと「momoさんのほうがもっと重篤だったのですよ」と言われて、そうだったんだとあらためて思い出していました。

ナースコールのボタンも押せないので、息を吹きかけて知らせる装置を口のあたりにマイクのように伸ばしてもらっていました。

ご飯も一人では食べられなくて看護師さんかヘルパーさん、もしくはちょうどその食事時にお見舞いに来た友人や家族に食べさせてもらっていました。何人の友人にお口をあ~んして食べさせてもらったことでしょう。

忙しい看護師さんやヘルパーさんとも食事介助のときはいろいろとお話できます。もう回復の見込みのない患者のように思われていたのかもしれません。ちょっとびっくりするような家庭内の話なども聞いてしまいました。

最初、入院したとき、例によって予定がびっしり決まっていたおかさんです。おとうさんにキャンセルだの、お休みしますだのと連絡をとってもらいました。容体が容体ですから、おとうさんは見舞いはしばらく様子をみてからにしてくださいと伝えたと言いました。

「あかん、あかん、今度連絡あったら、口は元気やからお見舞いに来てください言うてね」とおかあさんが頼みました。でも、心配して駆け付けてくれたお友だちが何人もいて、それからはひっきりなしにたくさんの友人が次から次、お見舞いにきてくれたのでした。

ここのブログだって長い間お休みしているのにのぞいてくださっているお友だちがいるということ、なんて、なんて、ありがたいことなのでしょう。

ぼくもおかあさんもしあわせものだと思います。ほんとうにありがとう。

 

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雨に西施が ねぶの花

2013年06月15日 16時13分48秒 | 日記

今日はようやく雨、雨雨降れ降れもっと降れ~♪、と今は思っていますが、もっと降り続いたらやっぱり晴れてほしくなるでしょう。

日照り続きで夕方になると花も葉っぱも萎れていた紫陽花も生き返ったように咲いていますが、合歓の花も雨が似会う花のひとつです。

雨後の、咲き終わった花はとてもとてもみじめですが。。

やわらかい針のような幻想的なお花。

しかし、おかあさんは腕の付け根から親指の先までピリピリとした痛みが走り、掌は水にふれると(やわらかくはない)針で刺すような痛みがとれません。

術後2カ月、背中に十字架を背負ったような痛みはずいぶん十字架が小さくなり、肩甲骨からは天使の羽が生えそうだったのもまだ完全には消えていないけれど小さくなったようです。(まるでクリスチャン)

主治医の先生は、2ヶ月後の今もピリピリする痛みが残っているということは、完全には無くならないかもしれないね、と言いました。

 

おかあさんが入院した直後、主治医は家族に「もしかしたら、一生杖をついてしか歩けなくなるかもしれない」「車の運転はもうできなくなるかもしれない」「手は頭より上には上がらなくなるかもしれない」と言っていたそうです。

それをあとで聞いたおかあさんは「えっ、一生・・・」とショックだったのですが、今まで生きてきた時間の長さに比べて残りの一生の時間の短さを思うと、ショックを感じたことがおかしくて仕方ありませんでした。

今、一番しんどいことは俯くことです。人間は直立歩行を始めてから俯いてする作業がほとんどです。

今、一番哀しいと思うことは手に力が入らないことです。握力は6kgくらいまでには回復しています。でも持続できないのです。お茶碗を洗うのも力が入っていないとスポンジに泡がたたないのだと知りました。

同じような手術をして数か月も入院しているという人がいました。おかあさんもまだまだ病院にいたいと思っていたのですが(フツーは早く退院したいと思うだろうに)思いのほか早く歩けたのでした。あとは、家で家事をしてリハビリできますという主治医に「包丁が持てません」とおかあさんは訴えました。すると先生は「今は600円くらいで宅配の夕食というのがあるよ」と教えてくれました。以来、ご飯は炊いていますが月曜から金曜はこの夕食で楽ちんです。晩御飯を用意しなくてもいいことくらい楽なことはありません。

 

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帰ってきたおかあさん

2013年06月11日 19時24分39秒 | 日記

う~ん、何から書けばいいのだろう・・・

とにかくおうちを留守にしていたおかあさんが帰ってきました。

帰ってきてからも俯くことがしんどくて、それに手を前に差し出している動作もしんどくて、あんなにしょっちゅうさわって遊んでいたパソコンからも遠ざかって、メールはもっぱら寝っ転がって携帯電話で。

目を手術したときはあんなに本をたくさん読めたのに、今回は1冊だけ。

岸恵子の「わりなき恋」、、、ファーストクラスの別世界のお話で「ベラルーシの林檎」からのイメージとは程遠く。

退院して、おうちに帰ってからもごろごろ寝てばかりいるおかあさんです、また寝転がって「世界から猫が消えたなら」を読みました。

おかあさんの年齢の半分も生きていない作者が、主人公をしてこんな風に考えさせているのだと、それに感動しました。

そして、おかあさんは「世界から犬が消えたなら」と想像して、傍らに寝そべっているぼくをそっと引き寄せて抱きしめたのでした。

おかあさんは、ももすけより先に死ぬわけにはいかない、と思いました。

それから、入院中のことなど、また、ぼつぼつ書こうと思いはじめました。

 

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ちいさいももちゃん

2013年03月30日 00時52分49秒 | 日記

ぼくは本名はももすけですが、ふだんはももちゃんとよばれています。

でも、おかさんや他の人たちが「ももちゃん」と呼んでも、もう聞こえていません。かろうじて、台所できゅうりを刻む音が耳に入ってきて、おかあさんの足元でおすわりして、きゅうりのへたをくれるのを待っていますが、いつもではありません。

おかあさんはきゅうりを刻んでいても、ぼくが台所にやってこないとさびしくなります。

ずっと2・8kgだった体重は2・2kgになり、まるで人間のおじいさんのように背中が曲がってきています。

1日中、ほとんど寝ていて、夕方のゆったりとしたおさんぽだけが今のぼくのたのしみです。

散歩道や公園で会う犬はほとんどぼくより大きいです。

犬にも相性というものがあって、女の子はたいてい好きなのだけれど、男の子も好きな子と嫌いな子がいました。

かなり離れていても向こうに嫌いな(というより、もしかして苦手なのかも)わんこが来ると、ちいさいくせしてぼくは吠えていました。向こうのわんこたちは友好的でほぼ知らんぷりしていたのですが。

ところが、最近はその苦手のわんこが来てももう吠えません。おかあさんが相手の飼い主のおばさんにそういうと「もう、どうでもよくなったのかしらね」と笑っていました。

そう、どっちだっていいのです。人間だっておかあさんくらいの年になると、お友だちは男でも女でも、どっちでもいいのです。でも、お友だちは必要です。

おさんぽに出て、誰にも会わないで帰ってくることほど心残りなことはありません。ぼくんちの門のところまで戻っても、通り過ぎてもう一度行こうよ、というふうにぼくは意思表示するのです。

このところ日が長くなったし暖かいので、昨日の公園にはたくさんのわんこがいました。

ぼくより一回り以上大きいテリアの2匹とは最近、何度か公園で出会い、おかあさんどうしもあいさつをしていました。

いつものお友だちのトイプードルのハナちゃんや、同じヨーキーのヒナちゃんといたとき、その2匹が近付いてきて、ぼくのおかあさんはその子になでなでしていました。

ぼくはちょっといやだったので、ウーっと口の中でちいさくうなっていました。と、突然、2匹のうちのオスのほうがぼくの胸ぐらに噛みついてきました!

あわてて、向こうのおばさんはリードを引っ張って引き離しましたが、もう、ぼくはショックで興奮してしまいました。おかあさんが抱っこしてもあばれました。震えが止まりませんでした。

さいわいなことに冬用の厚手の服を着ていたので怪我はなかったのですが、おかあさんはごめんね、ごめんね、こんなこわい思いをさせて、と抱っこしながらぼくの小ささを感じていました。

噛みついた犬のほうのおばさんったら、大丈夫?と尋ねましたが、「ごめんなさい」とも言わず、そそくさと立ち去ってしまいました。こういうとき、もし何かあったらと、自分の名前と電話番号くらい言っておくものだと思うのだけど。

そうなのです、噛みつく犬の飼い主は自分の方が悪いと思わないらしい。1月の末、おかあさんが退院してすぐのとき、やはりお散歩中にぼくは噛まれました。道の向こうから飛びかかってきたのですから明らかに向こうの飼い主の責任です。リードをしっかり握っていれば届かなかったのですから。

そのときも、ぼくは服を着ていましたが、洋服からはみ出した足をかまれて血が出ていました。そのときも、年配の夫婦連れ、謝ろうとしませんでした。

おかあさんは腹立たしく「これから病院に連れて行きますから、治療費はそちらでもってください」と気丈に言いました。メモも持っていないし、名前も電話番号も覚えられないので、すぐ近くだったのでぼくんちに来てもらいました。名前と電話番号を書いたあと男性は帽子をとって一礼したけれど謝罪の言葉はありませんでした。奥さんはというと庭で待っていましたが、おかあさんが外に出ても何も言いませんでした。

以来、おかあさんはよその犬との接触にすこしナイーブになっていたのですが「人を見たら泥棒と思え」式の考えはいやなので、極力、顔には出さず、内心びくついていたのでした。

15年も生きてきて、それまでフィラリアの予防の薬をもらいに獣医さんちに行くくらいだったのに、昨年の夏、玄関のドアに挟まれて怪我をし、そして今年に入って2回も噛まれた。

そして今日は階段から落っこちた。

おかあさんが2階で掃除機をかけていたので、ぼくは開いていた廊下から階段を上ったんだけど途中で動けなくなったのです。掃除機を止めたときに何かく~んと聞こえた、と気になったおかあさんが2階の踊り場からのぞきました。

「ももちゃん、じっとしていなさいよ!」と叫ぶおかあさんの声がなんとなく聞こえたようだったけれど、降りてくるおかあさんが気になって、よけいにバランスをくずしておっこちてしまいました。

下から3分の1くらいのところだったから、大丈夫だったけど。

おかあさんはちいさなぼくを抱っこしてしばらくすわりこんでいました。

 

 

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